寒天作りの出張から戻り、たらの芽の栽培を進めています。とはいえこの作業は1日むったりとかかるわけではなく、作業としてはせいぜい1日3時間くらいでしょうか。頑張って作業を進めすぎても、逆に収穫期が一斉に揃ってしまい、需要をオーバーしてしまうからです。切れ目なく同じ感じで出荷をキープするには、チョビチョビが良いのです。現状では。そこは市場出荷が困難な山間地のデメリットかもしれませんね。その意味でも、もっとしっかり仕事をして出荷量を増やすためには、季節限定のものですし、インターネットからのご注文が増えてくれることを願い、そのための努力も続けるばかりですね。
現在、たらの芽は厨房用の業務利用に多くを出荷しています。そのようなご希望のご注文も合わせてお待ち申し上げております。
さて、いまの農閑期の時期にしかできないと思っていた懸案事項に、サイトのリニューアルがありました。何よりもスマホからのアクセスに対応したデザインにしたかったし、またもう一点、ホームページ作成ソフトの老朽化(?)という問題もありました。
Macで作業する者にとって、Windowsのような一般的に使いやすいホームページビルダーのようなソフトがなくて、思いっきりプロ仕様のものになってしまいます。ビジュアル画面で扱えるものは値段も高く、勉強も難しそう。値段が安いものは直接タグを扱うタイプになります(やはりプロ向きですね)。いずれにしてもハードルは高くて、フリーのビジュアル画面で扱えるソフトで長年やってまいりましたが、OSやMac本体の進化に動作が着いていけなくなりつつあり、寒天出張中もずっと悩んでいた課題でした。
そこで今回、WordPressでサイトを再構築することに決め、その結果スマホ対応のレスポンシブルなサイトを作ることができました。併せて、ブラウザで行う作業ということで、Safariと、画像準備用にPhotoshop(Element)のみのアプリケーションですむことで、OSの進化等の問題も解決することになりました。構築には正味10日間要しました。。
慣れないツールでサイトを作るにはいろんな格闘があり、頭は朦朧として、深い森にさ迷い込んでしまった状態の連続でしたが、このほど無事すべての作業が終わり、そしてブログも新しく本体(固定ページ)と緊密に合体した構成になりました。
旧ページからのリダイレクトの設定も済ませましたので、既に前のページは削除しております。index.htmlがindex.phpとなり、販売ページを格納していたshoppingというディレクトリもアクセス不要となりました。
ただ、ショッピングカートだけは以前からのCGIプログラムを引き続き再設定しております。WEB MARTというプログラムを使用しておりますが、とても使いやすいです。何もかもプラグインに頼ってWordPressの中にショッピング内容も持ち込んでしまうのではなく、そこはWordPressの外で処理される仕組みになります。
ただカートのCGIの中で、配送日時指定欄で出てくるカレンダー(Datapicker)のボタンが見えないという不具合があって、なんとか苦戦して自力で解決し(これだけで5時間かかりました)、また注文が経過する画面(お客様情報入力等)がスマホだとなぜか縮小表示されて見にくいという不満も解消しました。もしかしてまだまだ至らない点もあるかもしれませんが、これまで通りアクセスしていただけたら、リダイレクトに数秒要しますが、新しいサイトが表示されますので、どうぞ今後とも本サイトを宜しくお願いいたします。
こちらのブログはこれで最後の投稿とします。
試験的に既に2本ほど新しいブログにも同じ記事を投稿しておりますが、今後、そちらの方に宜しくお願い申し上げます。
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雪のない茅野から雪国沢内へ戻って来ました。毎日降り続いています。1.5mは超えましたね。隣の集落へ向かう山道も雪国らしい景観になっています。これから月末にかけてが山場ですので、いろいろ雪で壊されないように注意が必要です。
長野から戻った翌日は疲労困憊で何もできませんでしたが、2日後からは少しずつ準備にかかっています。三相延長コードが足りず調達したり、またプラグ部分をもう一度配線確認したり、作業するスペースを確保すべく整理したり、必要な道具類を雪山を越えて奥の作業場から運び入れたり、出が悪くなっていたお湯のシャワーの改善に給湯器のフィルターを外して掃除したり。。茅野で圧のある水道のシャワーに慣れた後だったので、家のシャワーが物足りず、調べてみたら、うちは井戸水だしもっと頻繁にここを掃除するべきでした(もともと井戸水は水道水より圧が弱いようです。ポンプも小さいし)。さまざまな雑事をしながら、何はともあれ駒木を切断して施設内へ伏せ込んでいくという作業を進めていかなくてはいけません。
穂木はこのような感じで秋のうちに収納しておきました。こちらは住宅内に作られた作業スペースで、籾摺りや計量、精米などもここで行います。ここがたらの芽作業のメイン会場になります。
この電動鋸で、芽の部分を上にして切断し、上の方は短い間隔ですが芽の間隔に沿って切って行きます。下の方へ進み間隔が空いているところは7cmくらい残してカットして残りは捨てます。
この作業は舞い上がる木の粉を浴びながらになりますので、防塵マスクと帽子や上着のフードは必須です。
切断が終わると、カゴに入れて、水に浸けます。
一晩浸けたものをトレイに並べて行きます。トレイは稲の苗箱ですが、倒れにくくするために「プラダン」を切って十字に組み合わせた仕切り壁を作っています(別にどのようにやっても構わないでしょうが)。
細い駒木もどうしても混ざってしまいますが、基本は太いもののみにします。そのためには春の畑での芽かきをしっかり行って、株の本数を立てすぎないことですね。まあ、ヒコバエでどんどん増えていく過程で細いものも畑にはありますが、そういうのは放っておきます。細くて残したものは春にてっぺんに芽が出ますので、それを採って食し、その後草刈機で刈り払いします。やがて成長してくれるでしょう。
水に漬けることで、催芽が進むとともに、樹液がトロンと溢れて来ます。この樹液が大敵で、施設内でのカビの温床となるので、並べ終わった後に水圧をかけたシャワーで丁寧に洗い流してから施設に入れます。なお、水に漬ける際は浮かんで水から出る部分がないように、重しで沈め込んでいます。
施設に入れた後も樹液は出てくるので、写真のように強目の圧の形に絞ったシャワーでいつも洗い流し、同時に保湿してやるということが大事と思います(芽が育って出荷が近づいてからは芽を濡らしたくないので、水は上からはかけませんが)。水の交換も大切で、当地のような雪国では、湛水しての保湿重視よりも、水を2日くらいでこまめに落としながら、すぐ水を入れるのでなく少し水のない期間も作るというやり方が良いと思います。
また、今年は小さめの噴霧器で食酢を薄めて随時散布してみたいと考えています。
いずれいまは最初の一斉の生育になるのですが、1度収穫が済んでからは、収穫して取り除いたスペースに新しい駒木を差し込んでいくため、いろんなステージの木が並ぶことになるため、上からジャブジャブ潅水もできなくなります。出荷が始まる3月以降には、新しく伏せ込む駒木の樹液をかなり慎重に除去する必要があり、面倒ですが、重要な工程になります。
切断する場所に接した施設のスペースです。狭い場所を有効活用しようと、去年から3段ベッドになりました。畳6枚のスペースになります。水を貯めるために木枠の内側にビニールを敷いていますが、下からパイプの骨組み・コンパネ・ブルーの断熱材・ビニール・プラダン(プラスチックダンボールの略なんでしょう)の順に設置しています。それぞれのベッドに園芸ケーブルが架設してあります。上中の2段を上のコントローラーで温度管理し、中ほどに見えるタコ足装置で2段分のケーブルをまとめて上のコントローラーに送っています。下段は地面に近く寒いため一番電力を要します。ここは下の方のコントローラーで管理し、上2段よりは高めの設定で温度管理します。
見えていませんが、中段と下段には2個ずつ蛍光灯を設置していて、大した灯ではないですが、タイマーで設定し時々灯してやります。ここは雪国なので外の通常のハウスは潰される危険が高く、単管と茶色のポリカ壁材で住宅の作業スペースのシャッターに接して造設した場所で栽培しているのです。さすがにハウスより暗く(ハウスも遮光はするのですが、それよりもどうしても暗い)、たらの芽の色付きが心配だったので、蛍光灯設置しました。
もっとも、山形で視察したやはり豪雪地の農家では、完全に室内の暗い部屋で蛍光灯だけの明かりでたらの芽栽培していました。かえって日光が入らない方が良い色が出ると言っていたのですが、私としてはそこまで人工環境にするよりも、折衷案ということで。。本当は日光だけでやるに越したことはないと思っていますが、ただ日光はたらの芽を赤く染めることにもなるので(自然のたらの芽は緑ではないです)、結果、綺麗な緑色になってくれていることは、商品としても結構なことなんだろうと思います。そのために通常のビニールハウスでは、穏やかな遮光をします。
さて、帰宅した翌日の夜は西和賀雪あかりの日でした。私は家でぐったり。出かけた娘が撮影した写真です。
これは沢内病院の駐車場のもの。前の雪あかりの記事の時にも述べましたが、盛岡など都市部の雪あかりと違う点は、除雪車で巨大な雪山を作って、そこに明かりを付けていく点で、スケール感が全然違うのです。この写真も30mは下らないと思いますね。
毎日雪が降り続いています。茅野ではゼロだったのに。。ちょうど帰った翌日から3連休だったので、2日目にアマゾンで「メリー・ポピンズ」を観て、3日目に盛岡で下の小3の娘と「リターンズ」を観て来ました。女の子には見せたい、という考えは偏見になるかもしれませんが、本人も大変気に入ったようだし、私も面白かった。ジュリー・アンドリュース版を前日に観て正解だったでしょう。もし観ていなくては、大砲のある家のことも、その他諸々面白さがわからないだらけだったことでしょう。
昨年中の長野行きした後の現金や口座の記帳も済ませ、りんどうの資材関係の注文書も先ほど完成しました。これから中山間の事務や決算、書類整理、いろんな雑事をこなしながらになりますが(年賀状も戻ってから見ました)、たらの芽作業に精を出したいと思っております。同時に、特に小3の娘については、いまのうちです。お出かけをしてやりたいと思います。久々の再会ですしね。映画だけでなく、パイプオルガンのコンサートや、いろんな博物館関係にも連れて行く計画です。中学になれば部活や受験でお出かけもできませんから。。
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2月6日を持って寒天作業が終了しました。11月26日から連続73日の稼ぎとなりました。さすがに今日は旅の疲れもあり、体を動かす気持ちになれませんで、久しぶりにMacに向かったり、娘とアマゾンの無料映画を見たり、荷物を片づけたりで、あっという間に日が暮れました。
さて、せっかく長野まで来たので、2月7日は気になってた場所に寄って長野市で宿泊し、翌8日に帰路に着くことにしました。
順番は後の方になりますが、一番の期待は安曇野にあるこの「碌山美術館」でした。特に萩原禄山という人物に惹かれたというわけではなく、この建物がずっと気になっていたのでした。
昭和56年に信州大学人文学部に入学が決まって、広島にいたわけですが、すぐに長野の旅行ガイドブックを購入しました。その本の表紙がこの美術館でした。この雰囲気のある建物はずっと印象に残っていて、というか、この表紙とともに長野暮らしへの扉が開かれたわけでして、入学が決まって一番最初に脳裏に焼き付いた信州の画像だったのでした。
そしてそれから38年が経過し、やっとその心の底に眠っていた風景に立ち会うことができました。
冬ですので蔦は這っていませんが、想像したとおりの素晴らしい建物でしたね。
アングルを変えての撮影です。
てっぺんの拡大写真です。避雷針も兼ねているようですが、美しいですね。
車で行っても十分な駐車場があります。写真正面の受付のある棟内にはちょっとした土産物のスペースもあり、ここで子どもたちに鈴を買いました(1個500円)。
さて、寒天工場に別れを告げて最初に目指したのは野辺山の天文観測所でした。これは全国的に名の知れ渡る電波望遠鏡で有名です。これは最も奥にある立入禁止エリア内にある直径45mの望遠鏡です。
中心部の拡大です。壮大な景観です。
他にも小さいのがたくさんです。バックは八ヶ岳。いいロケーションですね。八ヶ岳は茅野の方からは割となだらかに見えますが、清里の方から見ると結構荒々しく、私としてはより好きな眺めです。野辺山まで来るとまた少し穏やかですが。。
解説の看板にもありますが、ここに匹敵する電波望遠鏡が、岩手県水沢にあり、昨年のブログでも紹介しました。
ところで、スマホで野辺山観測所を検索していたら(とりあえず車のナビに入れるために電話番号を)、野辺山のやまなしというワードに遭遇し、しかも観測所のすぐそばということで、足を運びました。なでなでし、気をもらって来ました。写真は西から東を見ています。
樹齢250年だそうですね。当園でもやまなしの実を農産加工に使えないかと優良の木を植えており、高い関心を持っております。やまなし自体は全国的に自生しているものですが、神戸大学の専門の先生によれば正式には「イワテヤマナシ」と呼ぶそうで、ここもですが、ただっ広い草原や牧草地の中にポツンと1本植わっているケースが多いのです。春に咲く白い花も綺麗ですし、シンボリックな存在感を持って眺められていたことがうかがえますね。
その次は上田を目指したのですが、野辺山から、実に遠い距離になりました。信州もいま住んでいるわけではないし、適当に走っていたんですが、2時間以上かかりました。ここは上田城跡の園内にある眞田神社です。不落城といわれたこの城は合格祈願の参拝者が多いことでも知られています。長野では夕方に県内ニュースを欠かさずに見ていましたが、受験シーズンでもあり放送もされていました。「信州ハム」がこの上田市にあり、合格祈願の絵馬を型どった形のハムを試作して受験生に配ったという話題を放送していたので、合格祈願のお守りを買った時、そのハムについて聞いてみましたが、神社としては扱いはないと言われ、手にすることはできませんでした。神社すぐそばのお土産屋さんに寄ってみましたが、ハム自体なくて、お昼はとうに過ぎているし、次のスケジュールが押していたことより、ハムは断念しました。
茅野から暮れに家に贈答用のハムをスーパーのデリシア(昔の松電ストアだそうです)から送ったところ、子どもたちからもう一度食べたいとのリクエストがあったんですが、結局この後に県内で立ち寄った道の駅等で「信州ハム」を見つけることはできませんでした。ハム自体あんまりなかったんですよね。スーパーに寄ればあったかもしれませんが。
こちらは松本市の浅間温泉にある「萬山園」の萬山麺と餃子です。これを食べるために上田から有料道路を通って松本入りしました。1時ちょっと過ぎていましたが、営業中でした。去年は「しばらく休みます」で閉まっていて、念願が叶いました。
これも38年ぶりなんですが、下宿先の大家さんが泊まっている3人をここに連れて行ってくれたのでした。そして食べた萬山麺はそれまでの18年の人生で最も美味しいと感じたものでした。それほどラーメン経験があったわけではありませんが。。そしてその後何十年も経ちましたが、いま持ってベスト1のラーメンです。
ちなみに味噌ラーメンではありません。なんとも言いようのない旨さです。浅間温泉へ出かけられた際は是非お寄りください。
店舗はこんな感じです。なお、ここ浅間温泉には「信濃屋」という「山賊焼き定食」が美味しい店がありました。当時下宿に風呂はなく、浅間温泉へ通っていましたが、山に登って下山した時はお風呂の後にここで山賊焼を食べる習慣でした。東京の出版社時代にも1度訪れましたが、その後店は閉店し、またこの近辺の道路の様子も一変してしまって、建物も残っていないと思います。何軒かあったこの辺のお土産屋さんに入っていたら、信州ハムがあっただろうかと、ちょっと後悔でした。
今回は松本は昼食と下宿前の道を通っただけで、すぐに安曇野へ向かいました。雲行きもちょっと怪しくなっってきていて。
割とすぐに到着しました。せっかくなので有名な大王わさび農園を見学しました。この水車の光景は大変有名です。ただ冬だし水車は止まっていました。
わさび田の様子です。ちなみに岩手では遠野市と合併した宮守という地域が産地です。また龍泉洞で有名な岩泉町は「畑わさび」の産地として知られていて、主にチューブの練りわさび用に出荷されているようです。食文化研究会で編纂した「次世代に残したい岩手の食材30選」続編にも畑わさびは取り上げました。
安曇野といえば、道祖神ですよね。
そしてこの後、上述の碌山美術館を訪れて、長野市へ向かいました。
翌日(昨日)はゆっくり朝食を食べてから、ずっと下道で帰ってきました。栄村に行きたかったので、飯山・野沢温泉・栄村を経て新潟の津南入りというルートにしました。日本最大の豪雪地帯ですね。とはいえ雪が消えるのはこちらよりずっと早いんですが。
長野から出発したので、高速を使わずにのんびりドライブを楽しみました。途中無料区間も何箇所かあるし、高速に乗るとトラックを追い越そうとして、かえって疲れるんですよね。どうもトラックの後ろにつくのが嫌で。。下道でもそれこそトラックに塞がれてノロノロ運転になりますがね。
いよいよ前から気になっていた栄村に来ました。といっても道の駅に寄っただけです。雪が降っていますね。
栄村は「秋山郷」があることで私には興味津々の地でした。「秋山郷」もまた、先に述べたガイドブックに書かれていて印象に残る場所でした。一度東京時代にバイクで秋山郷を訪れたことがあります。関越で津南から入ったんでしたか。途中びっくりするくらい高いとんかつ屋さんで食べたのを覚えています(結構混んでいました)。ここで最終的な買い物を済ませました。「津南ポーク」というブランドのハンバーグとウインナーを信州ハムの代わりに買い、今日の昼食になりました。
茅葺の似合う雪深い山村というのは私には本当に波長が合うんです。前にこの辺りのりんどう農家さんがうちにも見学に来られたことがあります。3.11より後でしたね。この日の夜遅く栄村でもかなり大きな地震に見舞われました。ずっとラジオを聴いていたので、リアルタイムで知った出来事でした。道中「頑張ろう、栄村」の看板を目にしました。
長野市からは下道で十分と思いましたが、雪道もあったことで、12時間以上かかって夜9時過ぎに帰宅しました。何せ、新潟が長いです。道中の半分は新潟という感じでした。
いずれこっちが大した雪でなくて良かったです。大ブキの時は9時以降には車が進まなかったりしますし、荷物を運ぶのも大変なので。
そんなわけで岩手に戻って来ました。早速米の出荷も行い、農業がスタートしました。明日は少しでもたらの芽に着手します。まずは切断して水に漬けるところから。
]]>70日間に及んだ茅野市での暮らしが終わろうとしています。1階の右の方がテングサを洗って水槽に漬ける仕事場、左奥は釜の建屋になり煙が出ていますね。2階は居住区で、今期は4畳半にほぼ1人で寝起きしました。
11月26日から結局1日の休みもありませんでしたね。去年は釜に不具合があり全体のラインがストップし、1日だけ休日があって霧ヶ峰方面へドライブに出かけたんですが。今年も釜の故障はありましたが、夜中のうちに解決して何とか途切れずに続きました。
平成も終わろうとしていますが、こんな昭和な工場が続いているんですね。あと3日ですが、朝はとても冷えていて、歩くところはツルツルです。ここにきて怪我をしないようにしたいものですし、また岩手への帰りの運転も、疲労も溜まっていることだし注意したいですね 。
こういう風景は風物詩と言えるし、テレビや新聞の取材がひっきりなしに来ました。最近ではドローンで工房周囲を庭も含めて上空から映した放送があり(長野の6チャンネル)、とても美しく見応えある光景でした。
小学3年生も社会科の実習でやってきました。家が近所らしく、後にまた一人で来て、この前はありがとうございました、と丁寧な3年生でした。同じ年頃の虐待で亡くなったニュースには憂鬱にさせられました。子どもを育てることが大人の最大の務めと思います。
取材はしょっちゅう来るのだけれど、ただ、いかんせん県内発信媒体のみで、全国放送にはならないんですよね。長野県人には茅野の寒天は十分知れ渡っていると思うんですが。。全国放送するに値する光景と思うんですけどね。東北ではあまり寒天のことが日常話題に上ることはありません。昔はお盆とかに草を煮てトコロテンを作ったそうですが。
さて、家にいざ戻ると、早速たらの芽作業に着手します。着実に技術向上を図って高品質の生産を目指します。こちらでも取り組んでみたいという人もあり、たらの芽の話題に花が咲くのは楽しいものです。
季節労働だからこそ、他に季節的な本業を持つユニークな人が集まってきます。どうみてもサラリーマン的じゃないし、夢のある事業を思い描き、冬期の蓄えを得て、各地にまた戻っていきます。
私が最初の離脱者になります。豪雪地ですので、他の人たちよりいち早く農閑期が訪れ、11月最終週からスタートしました。そして冬の後半のたらの芽の生産へと繋いでいきます。
青森から多く来ていますが、だいたい3月の頭で帰省するみたいです。
家では長女も高校受験で正念場を迎えます。お金もかかってきますよね。。
時々思い出すセリフがあります。正確な記憶じゃないですが、昔の海援隊の歌。私もテツヤなので、小学生の当時はよくからかわれたものでした。
働いて、働きぬけ、休もうとか、遊ぼうなんて絶対思うな、その時は死ね。というような言葉でしたね。厳しい表現ですが本当にその通りですね。特に農業で生きていこうとするなら、休むとか遊ぶとか、考えてはダメでしょう。その気構えは、寒天作業につながります。みんな当たり前のように多い人で100日間無休で働いています。。家族の笑顔のためです。
では、次回は岩手から雪国の写真とともにご報告いたします。2月9日は西和賀の雪あかりです。
長野での暮らしも2/3を過ぎて、先が見えてきました。
毎日、ひたすらに寒天の作業です。釜から出たプルプルのところてんが青いケースに入って庭に運ばれます。切れ目が入っていて、何個でしたか、一度私もやったのですが、木枠の中に並べる「天出し」の光景です。
奥に見えるハウスは、庭で出来上がった寒天を最後に乾燥させるスペースになります。
まあ私の任務は草を洗うことなのですが。洗った草はこのようにカゴに入れられて、この先の釜の部屋へと送られていきます。
だいたい朝の最低気温は−5、6度です。テングサも凍るし水槽の間の歩く足場も凍ります。ローラーも凍って草を入れたカゴはスムーズに滑りません。
天出しされて3日くらい経ったところでしょうか。まだ重そうです。
さて、全く関係ない3連休の暦だったですが、14日には仕事終了後に一応お出かけをしてきました。尖石縄文考古館という茅野市の施設です。ここには国宝の土偶が2点所蔵されています。
9月1日に上野で縄文展を見て以来、土偶には関心を深めておりました。
縄文のビーナスと名づけられた土偶です(実物)。
こちらは仮面の女神だそうです(実物)。
建物の外にある「尖石」を見てきました。この名を取って尖石遺跡、尖石縄文館と呼ばれております。
信仰の対象にふさわしい形ですよね。
この後は茅野の隣の原村にある産直に出かけて味噌汁の具やお酒などを買い、去年何度か訪れた「望岳の湯」に一年ぶりに訪れて、部屋に戻りました。小正月ということで事業者さんが盛り合わせを用意してくれていて、ちょうどお酒も買ってきたところだったので、3が日以来の晩酌となりました。
あと3週間、勤務が終了する日は確かに待ち遠しいことではありますが、その後にバラ色の生活が待っているわけではありません。いろいろな面で厳しい農業の現実に戻るわけですね。
ただ帰路のドライブ、長野の観光という1日だけについては掛け値なしに楽しみですね。
明日の朝仕事も寒そうです。
長野県茅野市から、明けましておめでとうございます。11月26日から36日作業し、37日目の今日が折り返し後半戦のスタート日となりました。あと35日テングサ洗浄の仕事を勤め上げ、岩手に戻りたいと思います。
朝5時から始めていますが、ちょうど早朝の2時間半が終わる頃、八ヶ岳から初日の出が昇って来ました。
雪国西和賀ではまず見たことはありません。偶然晴れていた元旦があったとしても、部屋にいれば日の出の瞬間を目にすることは難しいですね。ここでは半分外での仕事でその最中だし、その瞬間を捉えることができました。
電柱のそばに見えるのは八ヶ岳の西岳だそうです。ちょうど林が邪魔をして、仕事場から全貌は見えないんですね。
初日の出は数分間おひさまの輪郭が肉眼で見えました。
どうか今年もおひさまの力で米やにんにくに恩恵がありますように。
寒天のお店の方が、諏訪大社に初詣後、このような飾りを作業場にかけて行きました。あまり見たことのない形です。
テングサ洗浄の施設すぐそばの庭で、正月から作業が続けられています。広げていた寒天の乗ったかいりょうを積んでいるようです。
今朝は−8度でした。洗ったテングサは瞬く間に凍りバスケットにくっついてしまい、とても作業性が悪いです。
しかも洗った草を水に浸ける水槽が立ち並ぶ場所での作業ですが、その水槽と水槽の間の歩くスペースが凍って、滑ります。
まあこれくらい冷える日が寒天の品質には良いわけですが。
農業からはまだまだほど遠い厳寒期です。ただ、いまのテングサ作業というのは、農業に近いものがあり、休みなく働き続けることができているのも、農作業の延長線にある何らかの親和性が感じられる仕事だからなんでしょう。
始まれば、終わる。
1日1日が淡々と過ぎ行きます。焦って手を早めたりしないことで、心の平安(アタラクシア)が肝要です。あ、いつの間にか今日も終わったな、という感じで時間が過ぎることですね。そうすれば、すぐに2月が来るでしょう。
むしろ戻ってからのたらの芽の仕事の方がいろいろ大変です。生鮮品だし、ちゃんと無事栽培ができて、それを無駄にすることなく売り切っていけるのか、いまの単純なテングサ洗浄の日々をむしろ懐かしく思い起こすかもしれませんね。
今年も災害や異常気象なく、そこそこに良い収穫が得られますよう願ってやみません。今年も宜しくお願いいたします。
最初に寒天工場から庭へ出た寒天が、乾燥ハウスに入りました。ここでしばらく乾燥させれば完成です。
最初からハウスに入れておけば楽だろうと思いますが、やはり直接外気に当てて、凍ったり溶けたりを経て寒天になるんだそうですね。「す」という何か蔓を編んで作った台座の上に広げています。
これは広げている段階です。「かいりょう」という木の枠の上にすだれ、新聞紙、白い寒冷紗にようなネット、の上に乗っています。これを上に11段積んだり、また広げたりを繰り返して寒天になっていきます。
広げる時も、積む時も2人で向かい合って作業します。結構重いです。右下の側は地面に着いているので、こちら側に立って作業する人はカギと呼ばれる鉄の器具で1か所を引っ掛けて持ち上げます。反対側に立つ人は両手で持ち上げます。
「押し出し」という、煮上がった寒天の生汁を運搬車で庭まで運ぶ作業をしています。トロンとしたトコロテンを天切りといって特注の刃物で刻んだものが青いケースに入っていて、これを庭に運んで、みんなで「天出し」を、すなわち「かいりょう」の上に木枠を載せて、ゴム手でつかんで入れるという作業に移ります。枠を取れば上の方の写真のように並びます。
さて、去年来た時に、1日だけ休みがありまして、その時に諏訪にあるオルゴールの店で一番下の娘にオルゴールを買いました。が、何かで故障してしまって、そして今回このお店に持ち込んで修理してもらいました。娘は落としてはいないと言っておりましてが、お店の技術者によれば、やはり落下して壊れてしまったとのことでした。オルゴール装置自体の交換で650円で治りました。せっかく来たので、このオルゴールの上に乗せるという回転する飾りを購入し、ゴージャスになりました。飾りでサイズも大きくなって、落としにくくなったとも思います。
もう落とさないでねと言われて店を出ました。
テレビで「ボヘミアンラプソディー」について取り上げられていた番組を見まして、昔懐かしいクイーンの音楽に浸りたくなって岡谷市にあるスカラ座へ行って来ました。
長野県の道路は結構混むんですよね。岩手よりも人口が多いというか密集もしているんでしょう。茅野から30分以上かかりました。
クイーンはやはり音楽が素晴らしいし、メンバーもそれぞれ魅力的です。静かにピアノとともに始まって、強烈なフォルテシモに至る。ドラマティックです。美しい旋律が次々と繰り広げられますよね。ブライアンのギターも最高ですよね。
中学から高校にかけて、期間としては3年間くらいでしたか。友人とカセットとかでやり取りしたり。
ボヘミアン・ラプソディーも何度も聞きました。なぜガリレオやフィガロなのかわかりませんでしたが、全然6分間という長さを感じさせません。ラプソディー(狂詩曲)とは、いろんな曲想が寄せ集められた楽曲のことで、滑稽な部分とかも含まれるのは、リストのハンガリー狂詩曲でも同じですね。ラプソディーインブルーも「ファンタジア」を通して子どもたちにも馴染みとなっています。これもいろんな楽想の寄せ集めですね。
Nothing is real matterとか言ってたと思いますが、matterは質料、物質で、それらは無であると。色即是空のような、形あると見えるものは実は空であると言っているのか、などと当時考えたものでした。いやto meと付け足しているので、主観的な観念論のようなことか、とか。
曲の最後にタムタムにような音が静かに響きます。これは当時からタムタムだろうと思っていましたが、いやそこまではやらないだろう、ドラムスのシンバルでそれっぽく響かせているのだろうとも疑っていました。が、映画を観て、ロジャーがタムタムを叩いていました。さすがです。ここはタムタムでなければならぬ、とちゃんと用意したんですね。
おそらく、この曲で私はタムタムが好きになりました。その後高校2年の後半くらいからクラシックしか聴かなくなりました。
マーラーの曲にはタムタムが多用されますが、深く重い世界観を描写する楽器として聴き入ってしまう楽器です。
明日も、明後日も正月も、朝5時から始め午後4時前まで、テングサの作業は続きます。
]]>長野県茅野市で寒天作りに従事しています。スマホ持参のため注文を受けることもでき、今回は中学生の娘が米等の出荷に携わってくれています。
単身赴任にはもちろんマイナス面も大きいのですが、昨今、冬だけの短期の仕事を探すことは大変困難であり、また2月初めからは、たらの芽作業も入ってくることから、70日間といった条件に応じてもらえていることは大変ありがたいことです。
農作業シーズン中はもっぱら一人で田畑に閉じこもってという環境でもありますから、別の環境で脳に刺激を与えることはプラスの効果もあることでしょう。土地が変わり、仕事場のメンバーも新鮮であります。この地でいろいろ得て戻りたいものと思っています。
こちらでの仕事は寒天作りではあるのですが、私自身は、テングサを洗浄するという特殊な業務になり、テングサを煮る釜の仕事とも、茹で上がった煮汁のところてん状態を外に並べ角寒天を仕上げていく庭の作業とも異なって、水舎といわれる一人のみの役割になります。一人という点では夏場と同じなんですが。。
乾燥した状態で搬入されるテングサを一晩水に漬けた後に、2台の洗浄機で洗浄します。1日に500kg弱の乾燥テングサを処理しますので、かかりきりの専従作業者が必要です。
去年も紹介しましたが、濡れた草の入った重いコンテナを引きずり回す重労働です。
茅野は八ケ岳の麓ですが、全貌がここから直接見渡せないのは残念です。
今年は早めに赴任したので、テングサ作業に入る前段階の庭仕事の準備もやりました。田に稲わらをビッシリ敷き詰めて、ハセ掛けに使う杉の棒で台を作り、その上に板の台座を設置して寒天が乗ります。運搬車が通行するスペースにはトバイタといって板を何百枚も敷き詰めてロープで結んでいきました。秋にこさえ、春には撤去ですが、時間をかけて念入りに準備するものだなと思いました。
物にはいろいろ名前が付いていて、よく覚えてはいません。
それにしても、稲刈りの終わった田なのに轍に水がたまっているような場所が皆無であったのには驚きでした。このように降水量が少ない土地柄だから寒天もできるのでしょう。もちろん田じゃない畑跡地もありました。
10日前からテングサ煮込みがスタートしていますので、現在はもう庭へは出ず草作業に専念しております。
朝5時前には作業を始め、夕方4時前には終了します。お風呂に入って、給食センター支給の弁当を食べ、ゆっくりくつろいで9時には就寝します。飲み会も用事も集まりもないので、気分的には大変楽です。夕ご飯も早く、ご飯もしっかり出るため、お酒は全く飲んでおりません。
先日、近所のスーパー(デリシアといって昔の松電ストアだそうです)で赤ワインの1升瓶を買ってきました(1,800円)。5、6回に分けて飲んで空になったら帰り時でしょう。
何にせよ通勤がないのは、時間的にも燃料代からも助かりますね。
休日はありませんので、とにかく焦らず、暮らすように日々働いて過ごすという感じでしょうか。黙々と目の前の工程の中に没入しています。
夕方、近所の縄文博物館に行ってきましたので、縄文土器を紹介します。美しいですよね。ヘビ柄だそうです。
土偶もありました。表情が個性豊かですよね。土偶というのは壊れた状態でよく見つかるようですが、わざと壊したのかもしれないそうで、安産とかを祈って祭りとか儀式に使われていたんだそうですね。
土偶については機会があったらまた紹介します。
茅野といえば、八ケ岳登山と、大学1年の夏休みの蓼科グランドホテル滝の湯でのアルバイトの思い出が詰まった土地でした。ただ茅野市内には来ていないんですが。。
お出かけにはまだカーナビが必需品です。
ちょうど一週間前になりますが、前からずっと気になってるいた岩手県野田村にある「魚の番屋」に行って来ました。
地元局IBC岩手放送の釣りの番組で紹介され知っていたのですが、ある漁師の方が長年木彫りの魚の創作をされていて、素晴らしい芸術作品であると報じられていました。そのラジオで入館チケットのプレゼントを募集していて、応募したところ当選したという次第です(もちろん入館料を払ってでも訪れたでしょう)。
11月も下旬となり、外の仕事も大体片付きました。冬の仕事が始まる前の束の間の休日です。
「番屋」の場所はHPで見ても実に分かりにくい場所で、実際迷いました。この展示館、割合最近にできたようで、車のナビには入っておらず、最近購入したスマホのグーグルマップを併用して進みましたが、ナビとスマホが交差点で正反対の指示を出したりして最後は苦笑しながらの運行です。
中での撮影は禁止だったので、その素晴らしい作品群を紹介することはできませんが、迫力ある彫琢の魚群を存分に堪能してきました。
その後は、ちょっと大回りになりましたが、一戸町に向かい、「御所野縄文公園」へ寄りました。にわか縄文ファンというわけでもないですが、9月最初に東京上野で見た「縄文展」があまりに素晴らしく、その時にあった「鼻曲がり土面」がここ岩手県の一戸の所蔵とのことで、子どもたちにも見せてやろうと決めていました。残念ながら展示はレプリカで、本物は上野の後にいまはフランスに行っているそうでした。そのことは前もってわかっていたのですが、この日しかもうないだろうと思い、番屋と合わせてドライブに行ってきました。
さて、写真は手元にないのですが、最後の秋仕事であるたらの木の伐採と搬送、そして束ねて小屋に収納する一連の作業を終えました。たらの木はこれから2か月間休眠し、そして芽吹き作業は2月からスタートする計画です。
現在は、去年と同様に長野県茅野市に出向いていて、寒天作りのために庭の準備作業を進めています。去年より10日早く来ていまして、その分終了も10日早めてたらの芽に繋げたいと思います。
今年はスマートフォンとともに赴任しているので、メールはすべて送受信できますし、お米の注文につきましては中学生の娘に梱包出荷作業をしてもらう段取りになっています。少しずつ農作業に関わるようになってくれて、頼もしく思っています。
にんにくについてはまずは在庫分を黒にんにくに回しますので、青果の方は販売を終了しましたが、黒にんにくは出荷対応させていただきます。お米と同様に変わらぬご利用をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
寒天作り工程については、また折に触れお届けいたします。
秋も深まり、収穫後の片づけ作業に追われています。積雪までもうあまり時間が残されていません。
そんな心穏やかならぬ時期になっているのですが、11月に入ると何かと行事が目白押しになってきて、毎年全国で行われている認定農業者サミットが今年は山形県で行われるということで、参加してきました。一昨年には岐阜まで出かけてきました。去年は高知だったようですが不参加です。もちろん毎年参加することではないし、今後はしばらくないと思います。今年は近場で良かったというところですね。
初日に午後から全体会が行われ、写真の会場に全員が収容するのですが、中身的には儀礼的なもの半分です。メインの内容は開催県によって自由に決められることと思いますが、今年のメインはパネルディスカッションでした(その前にいろんな受賞者の表彰があり、これはどの県も同じです)。2回目の参加ということでつい以前の時と比較してしまいますが、内容的には前々回開催の岐阜の会の方が良かったです。視聴覚技術を駆使してステージの踊りと音響、それにプロジェクションマッピングが加わって、岐阜の四季の農村の光景の推移を多彩な手法で表現し、実に素晴らしいものでした。
今年行われたパネルディスカッションも、等身大の農家でしかも個性ある取り組みの方が話すことですし、勉強にはなりました。ただ、内容的には想像がつくこともありますし、こうした会場で突っ込んだ深い議論にはなかなか至りませんで、やっぱり岐阜の時が良かったかなという感じです。こうしたビッグなイベントを開催するというのはいずれ周到な企画や準備が求められ大変なことですね。
こちらも2度目ということで恒例のようです。特産品の試食コーナーです。時間的には初日の午前中でこちらが皮切りになります。屋内と屋外に分かれ、こちらは屋外のコーナーです。山形牛ステーキに行列ができています。割と早い時間帯からいたので、まだそれほど混雑はしていません。他に、芋の子汁、鶏肉の何か(照り焼きだったか)、そして餃子のコーナーと、結構充実していました。朝はホテルのバイキングでしたし、今日は食事関連は満点です。
昼は昼で特製弁当が出ます。山形の料理がふんだんに盛り付けられています。
ちなみに、携帯をようやく買いました。シャッター音が大きかったり、連写になってしまいびっくりと、まだまだ使い慣れませんが、写真はとても綺麗ですね。iPhone8です。
全体会が終わってコース別に県内各地に散らばります。夜になって懇親会会場です。県内に何か所かに分散して(8か所くらい?)、懇親・宿泊します。全国の農業者と接する機会になりますね。私は鶴岡市方面のコースを選び、鶴岡市にいます。西和賀からは農家3人+役場農林課職員1名の4人参加。役場の公用車で前日暗くなってから5時頃に出発し、山形市内で1泊しました。4人ともコースはバラバラで、このホテルへ向かったのは私1人です。
仲間で同じコースに希望という例もありますが、基本は普段の同郷メンバーはシャッフルされて、テーブルも宿の部屋も別々にしてできるだけ遠方の初対面の交流を促そうというのが会の趣向ですね。
法螺貝を持った武者の登場で始まり、太鼓の演奏があって、懇談という感じです。
2日目です。私のコースではまず「亀ノ尾」という古いお米についての資料館を訪問しました。昔「夏子の酒」という有機稲作を扱った漫画がありましたが、ここで栽培された酒米が亀ノ尾という山形県庄内地方で育成されたお米だったのですね。庄内というのをちょっと地理的に誤解していましたが、鶴岡の辺りだったのですね。県内北西部になり雪もそれなりにありそうですが、平野だし暖かい地域です。
亀ノ尾は長棹種でいまでも山形県内で敢えて〆縄作り用に栽培されているという話でしたが、実は岩手県内でも何軒かの自然栽培の農家さんが主食用米として生産なさっています。現代の餅系主流の米とは違った味覚も喜ばれるし、栽培上も多肥は不適で、無肥料栽培向けといえます。陸羽132号を栽培したことがありますが、当地では寒すぎた感じで、かつ病気に弱いのが欠点でした。ひとめぼれに変えましたが、ずっとよく出来ます。亀の尾、沢内ではどうでしょう?? 気になる品種ですね。
穂がオサガメの尾に似ているらしいです。
学芸員さんから話を聞きます。阿部亀治という篤農家が、水口(みなぐち)近くの冷たい水の場所で豊かに実っている稲を見つけ、その籾を元に育成したそうです。ここは庄内よりもずっと寒いので、このようなおそらくは寒さに強い稲は魅力的です。
ふつう米の品種育成というのは試験場など公的機関によるものというイメージがありますが、ここ庄内地方では民間育種家が多く取り組んできたという独特の経緯を持つ地域らしいです。
亀ノ尾、いいですね。。
さて、次に花き育苗センターを訪れました。庄内地方は花き栽培も盛んで、ストックが有名らしいです。育苗センターでプラグ苗を生産し、農家に配布しているとのことです。写真は播種機ですが、正面奥の方で土を入れたプラグトレイがここで播種されるようです。
青い金枠に先端が白く丸いプラスチック上の突起がプラグ穴の数だけ付いており、種が巻かれる場所にまずくぼみをつけるのだそうです。
次に種が蒔かれます。非常に小さい種ですが(黄色い帯状に写っているのが種の集合)が回転するローラーの突起部分に付着して、プラグのくぼんだ部分に整然と着地していきます。
播種されたプラグトレイはこの冷蔵室で少し冷蔵されてから、育苗に入るのだそうです。
普及員さんがバスに乗り込んで案内をしてくれましたが、花きの方もおられ、立ち話でりんどうのこともうかがいました。山形には「ハイネス」という県育成のシリーズがあるそうですが、ここ庄内地方は暖かいため作付けはなく、全県的に奥羽山脈寄りの中山間地域に散らばっており、ここだという特定の産地はないそうでした。時々農業新聞の市況で山形のりんどうは良い値段になっていますよと伝えました。東北の日本海側はりんどうに好適な気候と言えるかもしれません。雪もほどほどに早く解けてくれる方が、春に早くからじっくり作業にかかれて良いんですが、西和賀はちょっと多すぎですね。支柱も痛められますし。山形は適地でしょう。小国のような豪雪地になるとまた違いますが(2月に訪れました)。
3番目に訪れたのは「クラッセ」という名の米倉庫を改造した工房・店舗・レストランの合体した施設です。余目駅のすぐそばにあります。
担当責任者から話を聞きます。菓子・惣菜など農産加工の工房が3室くらいあり、他に業者のテナント利用の部屋もありました。この施設で営業許可を取っていて、個人向けとして組合員というか利用者ですが、年間500円の会費で利用できるそうです。ほぼ実費のみの負担なんですね。予約で結構いっぱいに埋まっていて、なかなか予約が取れないみたいでした。専業主婦の趣味的利用から、本格的な農産加工まで、さまざまだそうです。われわれだと、農産加工=冬というイメージになりますが、こちらでは年間を通して埋まっているようです。
販売の方はこちらの組織が責任者となり、商品のクレームも受ければ、セールスに出張することもある、そういうお話でした。左の窓の向こうが工房になります。
ガラス越しに工房を覗きました。新しい施設のようですね。細かく立ち入りませんが、高額な機械も入っていそうです。
このあと店舗でお土産を買い、レストランで昼食(豚の焼肉)を食べました。全体の運営は町で(庄内町)、町職員が管理しているようでしたが、こうした施設があるというのは、われわれから見ても羨ましいですね。自前でこのような設備というのは個人レベルの小規模ものでも投資はかなりだし、覚悟もいります。気軽にまずはやってみようという体験ができますね。やってみること、は大事ですね。
すぐそばには余目駅。駅から見てもそんなに大きな町ではなさそうですが、いま見た施設は立派です。施設の立ち上げに関しては議会の否決もあったりしたそうで、簡単ではなかったようです。費用対効果の勝算は難しかったかもしれませんが、しかし現在はうまく軌道に乗っている感じでしたね。おそらくは直接の店舗訪問者への販売というよりは、積極的に全国的に仕掛けているんだと思います。
さくらんぼのタルト、と、ラフランスのキャラメル、地元産の醤油を買って帰りました。私はだいたい旅先で醤油を買ったりします。
昼食後、これで研修項目は終了しました。オレンジジャケットのスタッフさん(多分多くは普及員)、ありがとうございました。ここから3時間近くかけて、最初に役場の車で乗り入れた全体会場へ戻り、国道13号で沢内へ帰ってきました。そういえば参加した3人の農家はいずれも沢内で、湯田の農家はいませんでしたね。役場職員は湯田の人でしたが。
バスガイドさんがいましたが、確か岐阜の時はいませんでした。全体会場(だいたい県庁所在地近く)から各コースの拠点(懇親会場)までの長距離移動中も、岐阜では普及員さんがずっとガイドをしてくださり、さまざまな地元の農業事情を話してくれ、良かったなと思い出しました。今回のガイドさんもまた一生懸命で観光的なことまで話してくれましたが、岐阜の普及員さんの時はバスガイド的な観光の話はありませんでしたね。
なんと白鳥が田んぼにいます。何か所もでした。岩手では川や湖にのような水の上でしか見たことありませんでした。車窓からです。バスでは栃木のトマト農家さんと同席で、フレンドリーに話をしてくれる方でした。
さて、今回のサミット旅行では、前日出発の計画としていました。日暮れも早い時期だし、当日早朝に出て渋滞等でイライラするよりも、前泊でゆっくりしても農作業の進みに変わりはないし、サミット自体では町内参加者はみんなバラバラになるので、前夜に懇親する機会があってもいいねということで、山形市内に泊まりました。
翌日、10時のサミット開始時までの間、旧山形県庁の庁舎を訪ねました。大正時代の作りで、西洋風に中庭を取り囲む四辺形の建築でした。
昔の洋風の部屋です。「るろうに剣心」のロケで使われた部屋だそうでした。
さて、家の仕事です。廃園にするりんどうのネットを外し、支柱を抜き、自然状態に戻っています。マルチですが、秋は多忙なので、春のまだ地面が湿っているうちに除去しておりました。天候を見て、廃園の耕耘の実行です。
結構背丈もあり林立しているのですが、綺麗にすき込まれていくものです。1畝ずつバックで戻りながら最低速でゆっくり耕します。
トラクターですが、古い22馬力を使っていましたが、エンジンの冷却系統のパイプに穴が空いて(いわゆるガスケット抜け)、エアクリーナーからの空気の取り込み口の方の破損なのでしょう。エアが冷却水内に入ってリザーバータンクまで逆流し、圧力でリザーバーのキャップを外しポタポタ水を撒き散らしながらの耕耘作業という状態でした。30分もすれば冷却水も減って水温(あるいは水量か)の警告灯がつき、しばらく休ませて、ラジエーターキャップ から水を足して満杯にし、また30分作業するという感じでした。この秋のことで、にんにくや小麦の耕耘には難儀しました。。
ちょうど農機屋さんに良い中古があり、値段も手頃だったので、買い替えとなりまして、今回この25馬力の四駆のトラクターの初仕事となりました。隅っこの方のぬかるみ箇所もぐいぐい進んだし、これだけの草丈をよくすき込んでくれました。
いまは次年度に残す他のりんどうの片づけも終盤で、もうちょっとでOKです。とりあえずの粗片づけは終わりネットも外しましたので、雪が降っても大丈夫です。
りんどう以外には、あとはハセの片づけと、たらの木の伐採です。伐採は昨日少し手を着けてみました。りんどうや稲作が終わると、たらの芽のシーズンの始まりです。まずは穂木を作業場内に収納し、年を越して休眠が冷めてからのふかし栽培となります。雪がない地方では、その都度必要な分だけ伐採して芽出しをすることができますが、豪雪地なのでそうはいきませんね。。
これらの作業が終わったら、少したらの芽栽培室の外壁や天井屋根部の修繕をして、長野(茅野市)へ寒天作りの出張に2か月出かける予定です。
タイヤ交換もやらなくては、でした。
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稲刈りが無事終わり、新米の出荷を開始しました。夏の高温傾向に支えられ稲には良いシーズンだったと思います。稲刈り時に雨が多かったのには多少泣かされましたが、ただ昨年のようなひどいぬかるみでの稲刈りということはありませんでした。去年のあのひどい稲刈りのヌカリというのは、ちょうど7月の中干しの時に、雨が続いたことにより、十分な干せ方ができなかったことに由来したと思っています。確かものすごい猛暑が7月初旬に来て、その後の中下旬の中干しの時に雨が続いたと記憶しています。それだけに今年は中干しに注意を払い、端の方だけですが溝を掘ったりして十分な干し方に努めました。それが功を奏したのだと思います。稲刈りの時期に雨が続いても、割合と水がはけて、あんまりひどい状態にはならず、一部例年通りの難所はあったものの、まずは問題なく進めることができました。
稲刈りスタートは1週間遅れましたが、土曜日に子どもたちの手伝いもあり、りんどう収穫・にんにく植え付け・小麦播種と稲刈りが重なるこの最大の繁忙期をまずは乗り切ることができたところです。
稲を運ぶ運搬車(キャリア)が古くなっておりまた小さくて、次はこの機械の更新が急務です。キャリアというのはどの家でも需要があって、なかなか中古品として出回らないんですよね。ハーベスタも去年苦心して機械更新しましたが、これも大事に使っていかなくてはいけない道具です。
ハセ掛け天日乾燥にこだわる当園では、このハセの準備(それと片づけ)が結構大変な作業になります。ホケと言ったりしますが、横に掛ける杉の棒を古い小屋の2階から降ろしてハセの柱のところに運ぶ作業です。3人がかりでも半日以上かかる工程です。
棒は2本ずつ引きずっていきます。中学生になった息子は現在野球部ですが、「巨人の星」テーマ曲冒頭のフレーズが頭に流れてきますね。将来、甲子園での勝利投手のインタビューで、稲を掛けるハセの棒の仕事をして体を鍛えました、と答えてくれたらと。。
最初は紐を使っていましたが、脇に抱えた方が楽と気づいたようでした。
さて、小麦の播種も3〜4日遅れで何とか進めました。
現在は発芽も終え、順調に生育中です(写真はアリーナ)。左の方はにんにくです。周囲は紅葉ですね。トリミングしてしまいましたが、日付は10月27日です。この日から今日で4日間連続で雨です。前の日の26日に、予報を見て今日が最後と思い、最後まで掛かっていた稲の脱穀をしました。素晴らしい秋晴れで湿度も低く、良い状態で脱穀を済ませることができました(脱穀は日中の短時間で集中して行われる緊張感を伴う作業ですので、写真を撮る余裕はありませんでした)。この日にやれず次の機会を待っていたら、と思うと、この予報通りの雨続きで生きた心地がしていなかったことでしょう。それほど日本海側の秋は天候が崩れやすい、綱渡りの作業になるのです。現に寒気が入ってきて居座ったり、冬型になったりが続いています。
にんにく植え付けも長期化していて、ようやく昨日種を置くところまで全て終わらせて、あとは土が乾いてから行う覆土が一部残っているというところです。病害虫のりん片を植え付けることがないように「ツルツル植え」を行い、りん片の準備に時間を要した次第です。健全なりん片のみを植えることが栽培の最重要ポイントです。
一方、今年の黒にんにくもまずは順調に仕上がっています。にんにくが新鮮なうちに製造してしまうことがポイントのように思います。にんにく植え付けのための皮むき作業が夜なべ仕事でずっと続いておりましたが(ラジオで日本シリーズを聞きながら)、今夜からは黒にんにく仕込みのためのにんにくの皮むき調整が夜なべ作業になります。
にんにくと並んで生姜にも力を入れたいと努力しております。が、ここはやはり寒い北国。植え付け後の6月に、去年と全く同じく寒い日が数日間続いて、発芽不良をきたして、結果収穫量も少なく、かつどれも小さいです。2年続きでダメだったので、ここは明らかに無理なのでしょう。ただ2年前の初年度のみ、運が良かったのか、普通に採れたのでした。安い種にしたのがまずかったのでしょうか。。数を取ろうと欲張って種を小さく割りすぎて、発芽や成長のパワーを奪ってしまったということでしょうか。
10月も終わります。沢内は紅葉の最盛期、から過ぎようとするところです。ブルーベリーの紅葉です。今年は当地は不作の年でした。
こちらはたらの木の紅葉です(10月27日撮影)。あと1週間くらいで全部枝ごと落葉し、縦に伸びる幹だけの姿になります。
これから、猛ダッシュでりんどうの刈り取りや残骸の片づけ、廃園にするりんどうの支柱抜きと耕耘整地、ハセの片づけ、ブルーベリー等の雪囲い、など秋じまいが始まります。そして最後の仕事はこのたらの木の伐採と収納です。
積雪というお尻は目の前にきており、この2週間が勝負です。いろいろ研修旅行やらで出かける用も多く、かつ天気も悪い。無事作物を雪の下にせずに片づけ、管理し終えられるかどうか、ですね。
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台風21号が岩手にも接近しながら、通り去って行きました。大阪の大変な映像を見て、農業の方々は恐ろしさを感じられたのではないでしょうか。農業被害の方は報道されていないようですが、特に関西近郊は心配ですね。。お見舞い申し上げます。秒速50mではどんな施設も作目もひとたまりもないと思います。ハウスや果樹、稲、また私などの支柱やネットを掛けた園芸品目も風は大変な被害をもたらします。幸い今回はそれほど風が吹かなくて、りんどうが折られたりすることはありませんでした(6月には強風で折られたのですが)。
そのりんどう栽培では、お盆と彼岸という2つの出荷の山があり、現在は彼岸品種の出荷が始まったところですが、8月の下旬というと、ちょうど出荷が途切れる時期で、手を付けられなかった草取りをしたり、農道畦畔の草刈り、にんにくの植え付けのための圃場作りなどをやっていました。
そんな8月25日になりますが、われわれ西和賀地域に住む者には馴染みの深い、北上市のショッピングセンター「パル」でオーガニックのフェスタがあり、参加してきました。県都盛岡市となればまた別ですが、北上市という中間的な小都市で「オーガニック」を銘打った催事が行われるのは、時代の流れを感じるものがあり、喜ばしく思います。
米は在庫も減ってきておりますし、小麦も今年はなくて、ブルーベリーは不作であったことから、にんにくのみの出品となり、これに近所のお母さんから預かった西和賀わらびの塩抜きしたものと赤シソの塩漬けを持参しました。「パル」にはイオンとかも入っておりますし(「パル」の中にイオンが入っているのです)、北上市の中では第1のショッピングセンターになると思います。お客さんは結構来まして、暑かったり、突然大雨も降ったりで、なかなか大変でしたが、とりあえず預かったわらび30束は完売しましたし、もしかしてと思って持参したメークイン10kgも売れました。売り上げはさておいても、まずいい経験をさせていただきました。
店員は小3の娘だけでしたが、立て込んだ時は結構助かりました。私にとって出店経験というのは2回目くらいでしたが、慣れた皆さんは、店構えがやはり違いますね。コピー用紙にマジックではなくて、濡れても良いもの、風で煽られても痛まないものなど、配慮が必要ですよね。小道具の使い方とかも。
次があるかどうかは不明ですが、こういう勉強もたまには必要で、オーガニックに関心ある方々との会話もプラスになりました。お世話になりました。
こういう場ではやはり出店したフードが楽しみです。「タコス」というのが以前気になって、去年盛岡へ冬に勤務していた時に、どこかにあるはずだと探し回ってみましたが、結局見つからず、コンビニとかにもありませんで、この日、ついに初の体験となりました。沖縄風だそうです。パリッとした包みの皮が中身とマッチしています。
あっという間という感じでしたが、無事出店を終えて、にんにく用の豚糞と牡蠣殻石灰を買いに出かけ、いっぱいになった軽トラの荷台を気にしつつ、ゆっくりと帰宅しました。本当は花巻まで足を伸ばし、「イーハトーブフェスティバル」に行きたかったのですが、途中豚糞が1袋落下する出来事もあって、積荷が心配になり、これはやめようと断念し、帰宅しました。久石譲氏の講演や、他の方のライブもあって、ちょっと気になっていたのですが。。
いつも一度にあれもこれもとやることを増やす悪い癖なんですが、今回は踏みとどまりました。
さてその1週間後ですが、今度は東京での「新農業人フェア」の「何でも相談員」に頼まれていて、新幹線の日帰りで東京に行ってまいりました。池袋サンシャインですが、案内にはただ4階とだけ書いてあり、行ってみると、わからない! 約束時間通りにビルには着いたのに、20分くらい遅れてしまいました。
これは20年くらい前から行われている新規就農希望者のための相談会で、各県の就農相談センター(県農業会議や農業公社など)や市町村などの関係機関、それにインターンシップや社員を募る農業法人から構成されています。全体がリクルート社主催ということで、民間のセンスでイベント性も高めています(前は、こういうのは全国農業会議所がすべて取り仕切っていたと思いますが)。
私らは、実際に新規就農したいわゆる先輩農家としてアドバイスを受けるというコーナーを担当します。別の一角では私たちのような移住農家が画像とかを使って体験発表するというコーナーもありました。「有機農業に関する相談コーナー」や、「女性の新規就農のための相談コーナー」もありました。
私たちはよろず相談みたいな感じですが、あまり長話をせずに、他のブースへ誘導してほしいという感じでしたので、深く突っ込んだりはしないようには努めましたが、まあどうだったでしょうか。私は3年に1回くらいの相談員なので、最新の動向に疎かったりしますし、手慣れた仲間相談員には及びません。
総じて、20〜30台の男性の方は農業法人への就職を前提にし、場所はどこにしたらよいか、何の品目がいいかとか、そういった内容が多く、女性の方は、通常の意味での就農や法人への就職といった枠組みにとらわれない、こだわりのある働き方、といったものに関心があり、かえって通常の農業写像のイメージでは割り切れないような可能性を持っているように思いました。
こういう相談フェアも回数を重ねていますし、どんな希望者にも対応できるような仕組みというものは整えられているのでしょう。いつまでも20数年前の時代とは違いますし、いまは手探りで進めるしかない試みも数年後には制度化されたりしているかもしれません。多様性というのは大事にしたいものだし、アンテナを張っていたいものです。
畑や作業場に閉じこもってばかりではだめですね。全国農業会議所のベテラン相談員とも席が隣で雑談もしましたし、良い経験をして来ました。
さて、東京の知人に、何か面白い展示イベントはないか尋ねてみたところ、「縄文展」との情報提供がありまして、午後4時半の就農フェア終了後、池袋から上野へ移動し、国立東京博物館へやって来ました。土曜日は夜8時までやっているということで可能だったのですが、翌日で終了という前日でしたので何ともすごい混雑でした。ここは博物館の別館のような施設で、入口前のテントのところで入場制限をしており、10分待って入館できました。料金も1,600円と結構な額です(岩手ではこんな値段は多分ないと思います)。
ただ、この料金も、大混雑も吹き飛ばすほどの迫力の内容で、縄文の壮大な創作パワーが漲る素晴らしい展示です! 全国から勢揃いした土器や土偶はボリューム満点でしたし、たっぷり2時間満喫できました。普段読んでいる農業新聞にもこの記事が載っていて、30万人が訪れたとか。
東北からも素晴らしい作品が集結し、特に青森は多く、国宝級の出土があったようでした。同時期の世界の出土も展示されていて、これは1人1,600円分かかっているなと余計なことを感じました。
有名な土偶には人だかりができていて、近くに寄って見ることも困難なくらいです。そういえば5年くらい前に上野動物園と合わせて訪れた「恐竜展」を見た時(上野の科学博物館でしたか)は、子どもも多くてもっとすごい混雑でした。。
唯一写真を撮って良い撮影ポイントです。何かにつけ「縄文」のワードを耳にし、ある意味ブームでもある時代のキーワードになっていますが、こうして一堂に会した縄文の作品群を目の当たりにして、まさに1万年前の精緻で大胆な創作力に、存分に浸ることができました。
今回の展示にもあった「縄文の女神像」です。これは去年山形の博物館で「ケセランバサラン」とともに撮影したものです。「粘菌展」を見たくてお盆休みに出かけたのでした。この同じ像が首都にやってきて、何十万人から熱いまなざしを受けていることには、東北人としてちょっとした感動を覚えました。
山形での「女神像」の鑑賞のポイントです。
写真には撮れませんが、今回の上野で一番注目度が高かったのは、八戸より出土した国宝「合掌土偶」ではないかと思います。また岩手では一戸町の「御所野遺跡」が有名で、世界遺産登録も目指しているそうです。今回は「鼻曲がり土面」が出品。
本当は、小3の娘と夜行バスでたっぷり時間をとって上京し、池袋での私の用務の間はサンシャイン水族館に行き、フェアの後は「デザインあ展」を見るという計画でした。が、突然に学年行事と重なるということで、1人での上京となりました。昨今の学校は行事が多く、何かと重なることが多いのです。昔は放課後なども自主的に公園で野球をやったりしましたし(「ドラえもん」で描かれるように)、休日に学校へ行くことなどありませんでした。いまは子どもが減っているせいか、土曜日も半ドンでなく休日になっているためか、学校関係も平気で土日にスケジュールが組まれます。親としてはいろいろ休日にさせてやりたいこともあれこれ考えながら、仕事に都合をつけたりしているんですが、部活とかも含めて、まあ過剰ですね。。周りの大人から制度的に与えられ用意される時間を過ごすのでなく、自由な枠組みで休日を過ごさせたいなどと願うのですが、時代遅れな考えなんでしょうかね。。
1人で、縄文展を見られたことは、結果的には良かったかもしれません。
19:30頃に博物館を出て夜の上野公園を歩き、駅の方へ向かいました。上野動物園ではパンダのシャンシャンはもう普通に見られるようになっているのでしょうか?
その反対側には、東京文化会館。懐かしいです。昭和61〜62年頃でしょうか。東京に出てきて間もない頃、朝比奈隆/大阪フィルのブルックナー8番を聴きに出かけました。地方ではブルックナーなど絶対に演奏はありませんし(唯一4番だけはあります)、世界一のブルックナー指揮者と言っていい朝比奈隆です。生まれて初めての生のブルックナー、しかも最も好きな第8番の演奏です。思いのほか早めのテンポでしたが、悠揚な息遣いのその演奏の感動はいまでも忘れられません。
当時、三軒茶屋から上野へ。新玉川線から銀座線へ乗り換えです。真っ黄色の銀座線は壁にランプが付いていて、バチっとランプが光った瞬間に車内が真っ暗になる。こんなことがあったのを思い出します。東京生活も最後の頃は銀座線も真っ黄色ではなくなったし、バチッとショートするようなこともありませんでした。32年くらい前のことでした。
後に、家からも近いNHKホールでN響の定期にD席当日券(千円)で聴きに行くようになったりして、上野からは足が遠のきましたが、ホールの音は文化会館の方が好きです。
上野公園では最後に西郷さんの像を探しましたが、なぜか見つかりませんでした。電車の時間もあり急いでいましたし。。
ちなみにアメ横で、ここで食べようと決めていた大衆食堂へ急いで向かったのですが、閉店。。店内にお客さんは見えましたが、多分材料が終わったのでしょう。ここのカツ丼を期待していたのに残念でした。。他はたいてい混んでいたり、飲み屋系だったりで、空いていたラーメン屋さんでラーメンと焼肉丼セットを急いで食べて上野駅へ向かい、東京ばななのパンダバージョンと崎陽軒のシュウマイを買って20:30のやまびこに乗り、23時過ぎに北上駅へ到着。眠気覚ましにコーラを買って運転し、12時半に家に到着しました。
縄文パワーをエネルギーに、これからの山場、彼岸りんどうとにんにくの植え付け、稲刈りと小麦の播種、に立ち向かいたいと思います。
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全国的に猛暑となった2018年の夏。われわれにとっては年間で一番の山場であるりんどうのお盆出荷の時期となり、連日、残業出荷の日々が続きました。時に、関西で40度の時にこちらでは20度といった涼しいを通り過ぎたような日もありましたが、大体が28〜29度で数日31度がありました。
お盆出荷とは8/1〜8/10の10日間になりますが、7月下旬から高温少雨が続き、高温による開花抑制が予想されたので、当園では潅水を連日続けて、なんとか少しでも需要期に合わせて開花を促進させるとともに、高温による花の日焼け障害等の防御という意味で圃場の地温を潅水により下げられればという対策を続けました。もっとも日差しの強さは水によっては防げませんが。。
もともと一人での出荷というのは1日せいぜい10箱(2,000本)程度しかできませんが、その高温の影響でしょう、ダラダラと少しずつの開花という感じになって、一人作業でちょうど良いかという咲き具合が続きました。ただ、ダラダラ開花のために、結局毎日広範囲の同じ面積を歩いての採花となり、これまでのようにお盆出荷区画を3等分とかに分けて、3日間隔で収穫に入るというようにはいかず、毎日いっぱい歩いたロスが多かったお盆でした。
全国的に、ここよりももっと暑くなった地方でもりんどう産地はあると思いますが、高温による悪影響はなかったのでしょうか。35度になるような地域ではりんどうは栽培できないと思うのですが。。
まず現在はお盆の青が終わり(今日採って終了にします)、白の出荷を続けます。これからはお盆の反動で安値になります。が、もし市場での出荷量が大量とならなければ、そこそこの安値で推移してくれるのですが、今週の動向はどうでしょうか。。
さて、高温好天傾向は、にんにくの乾燥には大助かりでした。今年シルバーよりもっと遮光の強いダイオシートでハウスを覆ってみたことは、猛暑の夏として正解でした。外気が30度の時のハウス内は27度くらいでしたね。コンテナに入れているのは種にする分と未整理の出荷用にんにくです。根は全部切りました。現在入っている注文に応じるために、お盆りんどうと彼岸りんどうの出荷期の合間に皮むき作業を続けたいと思います。そろそろ乾燥も終了したと思います。
気持ち良い風も結構入ってきてくれて、扇風機はほとんど回しませんでした。
さて、お盆出荷に一区切りついた昨日、下の2人を連れて秋田の海へ出かけてきました。本荘マリーナ海水浴場です。海水浴場は8月15日までだし、これまではりんどうがあったり、また息子は部活の野球があって、結局お盆しか出かけられませんでした。
下の娘と久慈の海に出かけた7月下旬はたまたま涼しい傾向で、泳ぐにはちょっと寒い感じでした。もう一度暑い時に、ということで暑い折に海に来れてよかったです。もうすぐに涼しくなってしまいますから。。
1時頃に海水浴を終え、ちょっと遅い昼ご飯を食べた後、息子が道の駅で友達に買い物をしたいというので、急遽西目の道の駅へ向かいました。途中、午前中は姿を見せなかった鳥海山がその威容を表してくれました。
土産の傾向ですが、秋田では、まずナンバーワンが「秋田犬」のキーホルダー系やお菓子類でした。ダントツで、ほとんど秋田犬しかないような感じでしたね。
道の駅西目の近くで買ったババヘラアイス(200円)。
さて、午後は釣りの予定をしていまして、本当は海水浴をした本荘マリーナの堤防で釣る計画だったのですが、先に買い物に道の駅へということで(道の駅は早く閉まってしまいますので)、西目の方へ向かったことで、釣りも西目の漁港で行うことにしました。釣り餌を買った釣具店の情報では、マリーナよりも西目漁港が良いとの感じで、結果的に良かったかもしれません。
シロギスが釣れました。今日の昼に天ぷらになりました。
こちらはハゼ。子どもの頃広島の川で、3人で100匹、4人で100匹とバカ釣りしたものでしたが、何十年かぶりに出会いました。
こちらですが、何でしょうか。海タナゴ? 写真では大きく見えますが、10cmくらいの放流サイズです。。どことなく真鯛にも見えなくもないですが、目がちょっと違いますね。子どもの頃瀬戸内海では結構真鯛が釣れたものでしたが。
そんなわけで午後3時過ぎから6時まで釣って、久々の街場でもあり買い物を少しして、温泉(「ぱいんすぱ新山」〜料金も手頃で良い温泉です)に入って、8時になったので夕食も由利本荘で食べてから家路に着きました。到着は23時ちょうどでした。お盆出荷の疲れを引きずっての強行の旅でしたが、帰りの眠気は用意していたコーヒーだけでは抑えられず、コーラを買って乗り切りました。コーラは眠気覚ましに結構効くみたいです。
そういうわけでお盆休みも終わり、今日はまたりんどう採りです。早くお盆品種にケリをつけて、たまった別の作業にも着手したいところです。
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当園の柱の品目であるりんどうが咲き始めてきて、夜なべ作業の日々が始まりました。もっとも、にんにくを掘った時から根切り皮むき作業等で残業はスタートしていましたが、いよいよ夏本番のお盆需要期りんどう出荷が開始しました。7月後半からの全国的な高温傾向で、逆に開花が抑制され、お盆需要期には十分な供給ができないかもしれません。できるだけそうならないように、水口から潅水をして、開花を促し、かつ圃場の冷却を図っています。30度超えが続くと花に白い花焼け障害が出るのも要警戒です。
りんどうが始まる前に終えなければならないことを一つずつチェックして、取りこぼしなきように諸々の作業を進めてきましたが、農道の草刈りがちょっとだけ残ってしまいました。これからの1週間はもうりんどう出荷のことしか考えてはならず、咲いたものを無駄なく最大限出荷すべき、まさに1年の正念場の到来です。
その正念場の直前ですが、夏休みも部活で出てゆく上2人の中学生から取り残された小3の娘と、約束の海に出かけてきました。
場所は三陸海岸の久慈市です。「侍浜海水プール」というのがありまして、面白いかなと思ったことと、水族館の「もぐらんぴあ」に行ってみたいとのことで、ここ久慈まで3時間半かけてやってきました。が、グーグルマップで片道170km。ちょっとやはり遠出でした。
ここは岩場の中に平らな底のプールを作ってポンプで水を汲み上げています。海のすぐそばになんでわざわざプールを、と思われるかもしれませんが、ここは太平洋に面した三陸海岸です。私のように瀬戸内の穏やかな海辺を見て育った者には、直接目にするまではわかりにくかったことですが、波が荒いです。写真の裏側の海に接した岩場では、常に大きな波しぶきが舞い上がって、このプール脇の視野にまでも入ってきたりします。砂浜も三陸では少ないし、なかなか海=すぐ泳げるという感覚ではないようです。
もっとも砂浜の海水浴場を最初から目指せばそれもまた良かったでしょうが、今回は水族館も見たかったので、こことセットになった次第です。
うちの娘と、やや後に来た1家族の2家族で独占した海水プールでした(私は水には入りませんが)。
さて、海水プールは気温の上がる午後からと思っていて、まずは午前中に手前になる久慈琥珀博物館を訪れました。長野の八ヶ岳に東側の町では黒曜石を見て土産も買って来ましたが、ここ久慈地方は琥珀の産地です。琥珀を使った立派な美術品も飾られてあり、土産のストラップのようなものも買って来ました。琥珀は樹液が元になっているということで、虫が閉じ込められているケースが多いようでした。
展示されているチェスの琥珀です。
こちらは人魚像ですね。
人魚像モザイクの説明文です。
さて、海水プールで泳いだ後に、久慈市の水族館「もぐらんぴあ」に来ました。震災で全壊し、再びリニューアルされて1年くらい経ったでしょうか。そんなに大きい水族館ではありませんが、岩手ではここが唯一ではないかと思います。このトンネル水槽が目玉のようで、3.11を生き残ったと言われるウミガメがいました。
こちらは、5年間何も食べなくても生き延びられると言われる、ダイオウグソクムシ。
クラゲのコーナーが充実していました。冬に行った江ノ島の水族館もそうでしたが、クラゲはブームのようですね。山形県鶴岡市のクラゲ専門の水族館が火付け役になったかと思いますね。
もぐらんぴあのすぐそばの漁港で少しだけ竿を出してみましたが、アタリの気配もなく、すぐに納竿しました。
久慈からの帰り道、新山根温泉(べっぴんの湯)に寄ったことで、行きとは途中まで違うルートで帰ることになりました。ナビのままに成り行きで進んでいたのですが、道路の半分が崩壊しているところが多く見られました。途中で大型車では通行不能との看板も現れて、思わず近くの商店にいた方に大丈夫か尋ねて、通れるよとのことで進みました。崩落していないところでも道幅は狭く、カーブはまさにヘアピンで、通行する車両もなく、霧も立ち込めて来て、満月がぼやっと木々から垣間見えたりして、緊張の走行となりました。平庭高原で、久慈から岩手町へ向かうメインの国道に連絡し、ホッとしましたが、結構な時間を要して、結果、帰宅も夜11時を過ぎたりと、スケジュール満載のハードな休日になりました。
道路の崩落が多発していたのは2年前の台風10号による被害だと気づきました。岩泉町と接するこの久慈市も被災した地域が多かったと記憶しています。山根温泉から、その2年前の春に訪れた安家洞も比較的近いようで案内表示が多く出ていました。山根温泉から平庭高原へ抜ける道は交通量も多くないことから、復旧工事も遅れて現在に至っているのでしょう。
カーナビに頼るパターンが多くなっているのですが、ナビの指示のままに進んで、土砂崩れで通り抜けできません、みたいに遭いどうにもならなくなるような可能性もきちんと理解しておくべきでしょうね。ドライバーとしては。同乗した娘も不安に思ったことでしょうが、これもまた思い出の一つでしょうか。。
さて、本業の方ですが、にんにくの次の植え付けの準備がすでに始まっています。土壌改良の意味で何も植えずに去年の秋から水を張って、今年の春には代かきもしてしっかり湛水したにんにく予定地です。7月10日に水を落水し、その後7月後半の好天続きでよく乾いてくれて、1回目の耕起をしています。水を落としてから10日後に耕耘できていますので、本当に天候には助けられました。
湛水中にも一度米ぬかを散布しましたが、落水してからもまた精米所から収集できたので、全面に散布して、トラクターですき込んでいるところです。植え付けまでに米ぬかもの発酵も進んでくれるでしょう。乳酸菌の補給は大事ですね。
お盆りんどうの出荷が終わったら、豚糞やカキガラ石灰を投入してしっかり耕運し、畝立てしてマルチを張って床作りをします。彼岸のりんどう需要期出荷が9月の10日頃からスタートしますので、休眠の浅いホワイト六片についてはそれまでに、9月になったら植え付けを始めてみようかと思っています。土の中で休眠が解けてすぐに発芽できるという環境を作る、ということですね。小屋内に貯蔵していれば、休眠が解けたとしても発芽は進みませんから、遅れるよりは早めに進めて、その後にりんどう秋彼岸出荷や稲刈りをやりましょうという計画です。いつもりんどう出荷を優先し、にんにく植えは後手に回ってしまうので。
休眠の深い八木や八幡平はお彼岸の後の植え付けで十分です。早いとかえって土の中で腐敗してしまう心配もありますから。
さて、岩手でもここへ来て本格的な猛暑が来ております。先週三陸へ泳ぎに行った時は、十分に気温が上がるであろう週間予報を念頭に入れて出かけたつもりでしたが、やはり寒かったそうです。三陸沿岸部はもともと夏は気温が低めですし、この日も最高気温が26〜27度という感じでした。
今度は三陸より温度の高い秋田へもう一度行こうかと計画しています。お盆出荷が終わってからですが、秋田もそれまでは暑さが続いていて欲しいです。予報では来週辺りから気温が低めになるのではと懸念されています。盛岡などの内陸部では昨日35度に達したようですが(ここ沢内では今季最高の31度)、関東や関西の傾向とは完全に違った世界ですので、すぐに寒くなってしまうのですね。少なくともお盆が終わりすぐ2学期が始まってしまう、その時まではいわゆる猛暑を引きずっていて欲しいと願うのですが、こう言えば炎天下で復旧作業を続けられる豪雨被災地の方には申し訳がありません。日本列島の南北の気象格差が顕著な昨今です。ここ沢内では本当にいまの気温は稲にとっても貴重ですし、毎日スクールバスでプールに通う小学生にとっても貴重な日々なのです。部活で野球をする長男にはしんどいことでもありますが。。。
今日から8月ですが、昨日よりは涼しい感じで正午現在で28度になっています。
今日もりんどう圃場に水を入れ、圃場を冷やしつつ、開花を促進させようと努力しているところです。
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7月に入り、雨が続いたり高温の晴れが続いたり、総じて多湿な日が岩手でも続いています。ここ沢内では30度超えは滅多になく気温28度でもかなりの暑さに感じてしまいますのに、西日本での被災地では、35度の環境で土ぼこりが舞う足場が悪い中の重いスコップ作業、ただただお身体のご無事を祈るばかりです。
広島市内からキリンビール工場を越えマツダの工場がある府中町を経て、水分峡(みくまりきょう)へ遠征し「石ころび池」で大鯉釣りに挑んだり、瀬野川方面で毛針を使ったハヤ・ヤマベ釣りで面白いように釣れたり、呉方面へと国道31号を走って音戸の瀬戸から倉橋島へ渡って海浜での投げ釣りを楽しんだりした、懐かしい中学生の頃の記憶の地がニュース映像で流されています。広島市内を拠点に西側では宮島方面へ、北部では水内川(湯来町)へヤマメ釣りと、結構広範囲に遊んだものでした。当然自転車での釣り行脚ですが、ここ岩手で車で走る感覚と比較すれば、広島の時の方が実際狭い範囲での活動だったのでしょう。
こんな状態の時に何もできないでいるのも切ないことでありますが、農家として日々目の前で要求される作業に汗し、手に余る規模のこの田畑をできうる限り万全に管理し、最善の収穫へ向けてたゆまぬ努力を続けることだろうと思います。
お米の在庫もだいぶ減ってまいりまして、例年のそういう状況から今年はコメの作付けを若干ですが増やしました。5反歩弱の小規模でありますが、一般農家と違い、育苗や田植えよりも植えた後の除草管理の方が労力的に大変になります。
初期はチェーン除草です。去年は滑車を使い軽トラやトラクターで農道をバックで引っ張るなどしてみましたが、紐は切れるし、速度加減もよくわかりません。今年は本来の姿の田の中を漕いで引く方式に戻しました。この作業を2度行いました。
10年くらいも前に作ったチェーン除草器具です。3cm間隔に30cmのチェーンを垂木に付け、塩ビのフロート(両端にはしっかりキャップ)に結びつけたものです。長さは2m。チェーンを垂木に止めるのは電気コードを柱に止めていくコの字状の釘です(ホチキスの針を大きくしたようなものです)。通常のペンチではチェーンを切断できず、容易に切断できる切断専用のペンチを中古で買い使いました。
10年前に田を引いた時は苦痛にも思いましたが、あれから田の中を多少は歩き慣れたためか、今年はそれほど重労働には感じませんでした。りんどうの芽かきや草取りのしゃがんだ作業の後にこのチェーン引きを組み合わせて、作業姿勢の分散化を図ったという形です。
そして通常はこの後にエンジン除草機で2回くらい除草するのですが、2階から担ぎ下ろしてエンジンまではかかりはしたものの、その動力が先端の回転部に伝わらず、故障。。古いものではあったし、修理代を惜しんで躊躇しながら、時間は過ぎていきます。。
そして、今年は本格的に「除草下駄」を使用することに。
太い針金のついた下駄で田の中を歩くことで、草を泥の中に押し込んでいくという理屈です。田の全ての部分を歩くので結構大変でしたが、他になすすべもなく、いままで真面目に使ったことがなかったので、今年こそはと賭けてみたのでした。
左が下駄除草歩行後です。効果はてきめんです。ある程度雑草が伸びて大きくなってからの方が埋め込みが良いようで、中干し直前の最終の除草工程となります。田の土が固くなってしまうと埋め込めないので、中干し前です。今年は少し遅れてしまいましたが、田の泥と雑草の草丈から勘案し、7月5〜10日が当地ではベストの時期のようです。そのまま、水を落として中干しに入りました(7/13〜14)。
作業時間は1反歩で2時間というところ。この「除草下駄」は岩手県金ケ崎町の農家の方が製造販売していらっしゃいます。通販で7千円くらいで入手したと思います。
田の最終除草と併行して、にんにく掘りです。
全て掘り上げました。西日本の豪雨後に着手となりましたが、その後梅雨前線が北上して、ちょうどホワイト六片を掘り上げた後に雨が続き、一気にというわけにはいきませんでした。
以前にもお伝えしておりますが、昨年夏のにんにく掘り後に土壌浄化のために水張りを行って、今年の春には代かきも行って湛水するという処置を行ったために、小麦の作付けができず、今年は小麦はありません。去年まで小麦を植えていたあまり状態の良くない畑ですが、そこに昨年秋ににんにくを植え付けいたしました。石が多く耕盤も浅い畑でして、まとまった面的に成長ができないままに小さい状態のまま収穫期を迎えた株も多く、ただ9月半ばという早い時期に植え付けができたことから、良好に育ったものももちろん多くて、まずは胸をなで下ろしています。小さいものは結局用途もなく調整作業の手間ばかりかかってしまうため、畑に残し、良いものだけを持ち帰ったという感じです。
上に触れた代かきした水張り圃場も現在は落水し、この3日の高温の気候で順調に干せ始めています。ここをしっかりと乾かして深く耕し、次の作付けを期待感と緊張感を持って臨んでいきたいと思っています。次回には植え付けする種も厳選して小さいものは植えず、植えたものは全てS品以上のサイズになることを目指します。
また、収穫期に雨が多いという梅雨の気象を変えることはできず、タイミングを逸して収穫が遅れ、抜いても茎が切れて地下に裂球となったにんにくが残るという事象も結構ありました。思うに、植える時に深く植え過ぎているのではないかと自問しています。秋にたまたま浅めの植え方になっていて収穫ですっと抜けたものを見てみますと、別に小さくはありません。10cmの深さの穴、あるいは覆土5cmというのはちょっともうやめて、気持ちやや浅めにしてみたいと思います(思った以上に深く穴を開けてしまうこともありますし)。
沢内では雪が早く積もるために土の表面が凍ることはあまりなく、麦踏みなども不要です。にんにくについても同じことが言えるのではないでしょうか。去年など11月19日から根雪になりました。自家用で11月初めに植えた玉ねぎなど、全滅です。いたずらにテキスト文献のセオリーに従うのではなく、早く、浅く植えることでいかに早く芽を出させ、秋のうちの生育を確保させるか、に焦点を当てる農法がここでは現実的でしょう。
気象にしても、こちらは豪雨的な振り方は少なくて(皆無ではありませんが)、寒気が入った時のようなチリチリと霧雨が降るような低温多湿型の気候です。こういう気候は今後もこちらでは変わらないように思うし、ここは35度にはなりません。われわれから見て南日本(いわゆる西日本と東日本)との格差はより先鋭化すると思います。
数年前の広島市北部の集中豪雨の時にも思ったことですが、もともと広島は雨が少ない温暖な気候と言われていました。そのためにため池も多かったと思いますし、山を削り谷間筋を切り拓いて住宅が立ち並ぶ様をごくごく当たり前のように見ていました。岩手や長野のような深い山というわけではありませんが山は山ですし、崩れます。いま被害なくこうした谷筋に住まわれてる方も、将来的に不安をすごく感じておられるのではと危惧いたします。
もちろん、どんな場所でも水害には遭ってしまいますし、2年前には岩手県岩泉町で大変な豪雨災害がありました。あの時は8月でしたが、当初ここ西和賀方面は台風10号の予報進路のど真ん中に位置していました。子どもたちも早く下校して来ました。それが南に逸れて、いったん太平洋に抜け出た後に、逆に西へ進路を変えて岩泉町に向かったと記憶しています。岩泉では激流が特養施設を直撃し、道の駅も壊滅しました。あの豪雨が来ていれば、ここも同じ状況になっていたでしょう。
そもそも農産物の被害というのは、ニュースにもならないようなちょっとした気象のカラクリでも起きてしまいます。2週間前の大雨と風で、既にりんどうのある品種は大きく曲がってしまいました。こういう曲がりやすい品種は次には定植を避けたいものですが、こうした失敗を身を以て重ねながら、学び、最善を目指してやっていくしかありませんね。
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昨年のヤマト便の大幅値上げに伴い、ゆうパックに一本化して出荷させていただいておりましたが、この7月からゆうパックも運賃の大幅な改正が行われることになり、大変残念なことですが、運賃の改正をさせていただきたく、どうぞ宜しくお願いいたします。
<ゆうパック80サイズ>の料金〜お米15kgまでの場合
岩手県
|
北海道
|
東北・関東・信越
|
北陸・東海
|
近 畿
|
中国・四国
|
九 州
|
沖 縄
|
1,010
円 |
1,290
円 |
1,080
円 |
1,180
円 |
1,290
円 |
1,500
円 |
1,720
円 |
1,730
円 |
<ゆうパック60サイズ>の料金〜にんにく2kgまでの場合
岩手県
|
北海道
|
東北・関東・信越
|
北陸・東海
|
近 畿
|
中国・四国
|
九 州
|
沖 縄
|
800
円 |
1,080
円 |
850
円 |
950
円 |
1,080
円 |
1,280
円 |
1,510
円 |
1,520
円 |
今年の3月から既に一般のゆうパック料金は値上げになっておりましたが、われわれ契約後納支払いの扱いは保留ということで従来の契約価格で後納で支払っていたのですが、年間扱い量200個以下の小規模出荷者については完全に一般個人の料金と同一にするという郵便局側の判断のようです。
資本力がものをいう世の中ですがから、力があり多数の出荷を行う企業が料金面で優遇されるのは当然のことでしょうが、中小事業者にとってはますます生きづらい社会になっていく気がしてなりませんね。
上記の料金表は当園で郵便局に支払うそのままの額ですが、この額そのままですと現状から1.5倍以上にもなりますので、当園の方でも一部負担をし、できるだけ運賃がご負担に感じられないように配慮をさせていただきたいと思いますが、それでも値上げになることは避けられず、どうか宜しくお願い申し上げます(関東のお米10kgの出荷でリピートの方では現状の600円から800円へといったお願いをさせていただればと思います)。
確かに、自分たちもアマゾン等を利用しますし、そういう巨大企業に囲われて送料の軽減という恩恵を受けているわけで、ネット通販の肥大化から逆にカウンターパンチを食らったという格好でしょうか。それなりの大規模化を目指して出荷量を増やしていくことで宅配業者と有利な契約を交わしていくことは今後の目標にはなるでしょうが、限られた労力の中、「小さい農家だからできる」ようなお米やにんにく等の「自然乾燥」へのこだわりなど、譲れない点もございます。農園をより大きくしたいとの努力目標は保ち続けながらも、量だけではない農の姿をも追究していきたいとも思いますし、今後ともどうかご支援を賜りますよう宜しくお願いします。
郵便局よりの通達がつい一昨日のことでしたので、あと何日もありませんが、お米など今月中でしたらば従来の契約価格で出荷できますので、できましたら宜しくお願いいたします。またお米などこれから悪くなりやすい気候になるところで、少量ずつの出荷を望まれる方もいらっしゃるのですが、米は基本的に80サイズのかさになりますので、多少なりとも1回の出荷で多めの量を梱包できたらというようにも思っております。ただ、玄米は特に常温ではカビ等の危険がありますので、どうか冷蔵庫での保存を宜しくお願いいたします(当園では出荷日まで12度で貯蔵しています)。ただ、ゆうパックはヤマトと異なりキロ数でなくサイズで決まるようなので、60サイズの扱いで米が何キロまで梱包ができるかはちょっと早めに計測してみたいと思います。
また農園の近況も発信させていただきます。
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例年そうなのですが、西日本とかで梅雨入りすると、こちらでは晴天が続く傾向があります。5月は寒気が入って寒いことが多く、それが一転して晴天続きとなる、ほとんど唯一と言っていい貴重な時期になります。トラクター耕耘作業で晴れて欲しい時に雨が続き、その後植え付け等が終わって雨が欲しい時に晴れが続く。いつもそんな感じです。
さて5月末に田植えも終わり、米ぬかの散布をし、チェーン除草の出番となっています。追って動力除草機も使うことになるでしょう。
当園の田畑は黒い火山灰系の土壌ではなく、粘土や砂も混ざった土質が多く、田の粘度としては硬い圃場に入ります。このため代かき後時間を置くと田植え機で開けた穴が塞がらずに浮き苗になってしまい、なるべく植え代かきの翌日にはすぐ田植えをするようにしています。どうしても高低差があって、高い部分は硬くなりやすく、多少の浮き苗は発生し、欠株のできない綺麗な植え付けが課題であります。
もともと高低差ができやすい田で、土を代かき時に大幅に移動させると、移動させた先が深くなりすぎて田植え機が入れないという状況になりますので、この辺り、微妙なバランス感覚で完璧にこなそうとしないこともまた、現実に必要な心得になるところです。
今年は苗の生育条件としては良い気候でした。ただ当園としては大きくなるのにちょっと時間がかったかなという感じで、薄まき方式では当然初期生育が遅れますから、その意味でも余裕をもって早めの種まきが必要と思います。平置きで出芽に時間もかかりますし。寒冷地の稲作になるので、出穂時期など後ろから逆算して考えても、田植えはあまり遅くなりすぎない方が良い気がしています。西日本とかだと6月半ばの田植えまで引き延ばしてでも大きな苗を作る方式が良いのかもしれませんが。。
米ぬかを散布しました。これで1袋15kg分撒いたところです。これは小さい田で6アール、1枚で散布は60kgです。10アール100kgの投入にしました。飯米用の田を除き40アールちょっとが散布面積になります。この米ぬか集めも楽ではありません。子どもたちのピアノ送迎の際にコイン精米所に足を伸ばして採取して来るのですが、いつも潤沢に取ってこれるものでもなく、空振りのこともあります。以前にも書いたかもしれませんが、盛岡や北上など都市部の精米所ではまず米ぬかは採取できません。精米者自身がすぐに持って帰るか、近隣の農家が取って行ってしまうかでしょう。ここ沢内ではまだあまり米ぬかに興味を持つ人が少ないのでしょう。とても助かっています。これからもあまり採らずに、当園に残してもらえれば嬉しいですね。
さて、5月末頃からの高温傾向は生姜の植え付けの絶好のタイミングで、田植え後すぐに生姜の準備をしました。芽が2〜3個付いている状態に切り分けて、切り口には薪ストーブから出た灰をまぶします。ここ数週間はおが屑をクッション材にしてコンテナに入れた種生姜を(切り分ける前)、昼間はハウスの中に入れて芽出しを促し、夜は寒いので部屋に入れる、という形で管理していました。芽が出かけたところで植え付け準備です。
1アール程度の狭いスペースではありますが、適当にマルチを張って、株間50cm、条間60cmになるように置いて行き、植え付けしました。170個のカケラを植え付けましたが、果たして秋にどうなってくれるか。。まずは芽が出てくれることです。芽が出れば半分は成功のように思います。マルチは出芽後は除去して、土寄せをしてやります。畑のスペースに合わせて種生姜の数を切り方により調整したという感じです。できるだけ植える1個が大きい方が大きい生姜になると思いますが、数も欲しいですしね。
検索すると、生姜の植え付け適期は平均気温が15度になってから、とのことです。気象庁の過去のデータによれば、当地では6月の初めがその時期です。ただ生姜の種は早くに売り切れてしまうので、4月の初めには入手しなくてはならず、1か月半は寒さで腐らせないように室内で管理し、5月半ばからはハウスも利用して催芽させながら、定植後のスムーズな出芽にこぎつけるという技が必要になります。寒い地方でもよく育つような生姜が育成されれば、朗報でしょうけどね。
5月はずっと農作業ずくめでしたし、部活で土日も全く家にいない2人の中学生から取り残された小3の娘と、絆まつりに出かけて来ました。前に「六魂祭」といわれていた時に、一度秋田市まで見に行ったことがありました。その日は猛烈に暑く、しかもものすごい人出で、飲み物を買うのも困難という状況でした(結局路地裏の自販機を探して買ったのでした)。それに比べれば今回は全然混み合っていませんが、それは警官がこの通りに計画人数分以上に入って行けないようにガードしていたことも一因でしょう。私はある道筋で中央通りまでたどり着けたのですが(この辺の地理は詳しいのです)。
所用もありやや遅れてパレード度会場へ着きましたが、ちょうどさんさのパレードが来たところでした。道路いっぱいを使って何百人という列が踊り歩いてくる様はやはり圧巻でした。
ねぶたはこの1台でした。ラジオで聞いたところによると、青森でやる本当のねぶたはもっと大きいそうです。輸送上の問題でコンパクトになったんでしょうね。
竿燈も見事ですよね。今回は県外への出張で限られた精鋭のみが来られたんだと思います。秋田で見たときは、地元ということもあり大勢の竿燈が並びましたが、何台か倒れて来たりしました(息子にぶつかり、縁起が良いねという話をしました)。今回は上手な人だけなのでしょう。倒れませんでした。
そういえば秋田の時は夕暮れの灯りの灯った竿燈を見ましたが、今回は昼の短い間だけでしたので、明かりの灯ったねぶたや竿燈は見れませんでした。六魂祭よりはコンパクトになってきているのでしょう。あまり大規模にやりすぎると、本番のそれぞれの祭りの人出が少なくなってしまいますしね。
出発地点へみなさんゴールしました。盛岡市役所前です。去年まで冬はこの辺に通っていました。市役所前の電話ボックスをよく使っていました。
さて、娘にとってはパレードよりもこちらが楽しかったようです。チャグチャグ馬っこに触れるという滅多にない体験ができ、ここには結構長時間おりました。サンビル前の岩手公園の広場です。パレードの開始を告げる狼煙の音で暴れるぞ、と離れるように言われ、確かに音で結構暴れた感じでした。
昼はメイン会場でいろいろ食べました。暑かったし、ババヘラアイスも盛況でした。
束の間の休日はあっという間に過ぎて、いまはりんどうの芽かきと新しい苗の定植、そして田のチェーン除草に追われています。草刈りの暇もありません。ただタラの木畑だけは、これ以上経つと木が混み合って入って行けなくなるので、園地内の草刈りはやってしまいました。
タラの木園地は5年経って死んでしまった(皮が剥げて芽が出てこなくなります)株もあり、一方で通路部分に伸び出た根から芽を出すものありで、整然とした並びでなくなって来ました。トゲが刺さるのを我慢しながら迷路のように隙間を探して草刈りをし、残したい子どものタラの木を確保して来年以降への備えとしました。小3の娘が描いた絵が面白かったので掲載します。若い根を掘って切り、芽出しをして植える様子も見ていて、それが下の図です(タラネです)。
りんどうの農家にとっては、むしろ田植え後の方が忙しくなります。ネット管理作業もありますし、芽かきの時にはひどい雑草のところは草取りもやりながらとなり、遅々として進みません。
新植のりんどう苗も金曜日に届いて、植え付け中です。定植はあと2日で、中断した芽かきは今月いっぱいの目標で頑張っております。田の方はチェーン除草をまずは各2回ずつかけて、その後は様子を見てエンジン除草機と手取り除草で。これも今月の仕事です。タラの木の方は雪が降るまでもうすることはありません(外側の畦畔部のみは草刈りをしますが)。
来月はもう7月で、にんにくの収穫が迫ってきますね。消防のポンプ練習(大会)もあり、ゆとりの全くない日々が続いています。。。
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いつも撮影しているわが家独占の一本桜が今年も咲いてくれました。当園の畑のアングルからの眺めでは、雑木林を背景にこんもりと丸っこい形が綺麗です。この花の満開とともに、りんどうの「芽かき」という1か月(この作業だけで30日要す)に渡る春の大変な地道な作業が開始します。
とはいえ、今年は雪が多くて、消雪は去年や一昨年よりも1週間遅れました。その分外の農作業は遅れているのですが、3月以降、比較的暖かい日もあったので、雪に覆われる地べたと違って、こうした木々の花や芽吹きについては、さほど遅れずに例年並みとなっています。
さて、そんな中、ゴールデンウィークが来ています。中学校の上の2人はずっと部活で、小3の下の娘が家にいるというパターンでして、29日の朝、町内「廻戸」の写真家・瀬川さん所有のカヌーに乗せてもらう催しに参加して来ました。息子さんの瀬川然君に後ろで漕いでもらい(後ろは舵取りコースを決める役目とか)、私が先頭で、真ん中が末娘の3人乗りです。写真は娘が撮ったものです。廻戸川になりますが、錦秋湖との合流地点から上流に向けて漕いで行きました。早朝が素晴らしいとのことで、朝6時から約1時間、のんびりと楽しんで来ました。
連休を過ぎて5月半ばになるとダムの放水により錦秋湖の水位は下がっていき、下旬にはすっかり減ってしまいます。いまの時期は豊かに水を湛えているため、カヌーには絶好の季節だそうです。滝のように沢から水が川に落ちていくのが何箇所もありました。
最後に錦秋湖に出て、そちらからいま漕いで来た川の方を振り返ります。ちょうど北上線の汽車が来て、これも娘ですが、うまく撮影できたようです。この線路と並んで向こう側にR107号があり、いつもそこを車で走りますが、もちろんこちらから汽車を見るのは初めてですね。
カヌーの後は朝食をいただきます。瀬川陽子さんの手作りのメニューで、時期の山菜や和え物、大根の一本漬けのアレンジ品、湯田ヨーグルト、などなど、美味しくいただきました。ふだん全くないことですが、娘は味噌汁のお代わりをしまして、やはり子どもの舌は何か初めて味わう美味しさ(あるいは苦さとか、まずさもでしょうが)を敏感に感じるのだと思いました。その点で子どものうちに食べさせたい、あるいは食べさせたくない味というのはありますね。
これも娘が写した廻戸の瀬川さん宅そばのカタクリです。いまが盛りです。
その後、朝5時からカヌーに乗っていて、この朝食時に同席した青森県田子町のにんにく専業農家、種子さんという方が帰路に当園に来訪して、にんにくについていろいろアドバイスをしていただきました。岩手ではにんにくの産地もなく、詳しい専門家とか普及員等もいませんで、いろんな作業手順などもわからないことだらけでやっているという感じがあります。ちょっとした会話からも「ああ、そうか」ということがわかったりして、私には大変勉強になった機会でした。
いつかにんにくの本場・田子の「種子にんにく農園」の圃場も見せていただく機会があればと思います。
さて、こういう雪国では、春の花は一気に咲いてくるもので、庭のクリスマスローズは今年も綺麗に咲いてくれました。
福寿草もいまが盛り。葉の方にピントが合ってしまいましたか。
行者にんにくも顔を覗かせて来ましたね。
水稲苗の様子です。いつも稲の種まきをすると、4月後半に必ず寒気が1週間くらい居座って、雪がちらついたりなどして、芽出しにやきもきするのですが(うちは種まき後すぐに並べる平置き出芽法です)、今年はまあまあ〜やや高温で推移して、無事芽も出揃って、現在は水も入れてプールにしています(1.5葉頃にプールにするということで、いきなりプールにすると発芽不良になります)。
左全部と右の奥の少しがいわてっこ、右の大半がひとめぼれです。比率は2.5:2という感じで去年よりもひとめを増やしました。去年は冷夏であったこともあり、元々穫れ高が少なかった米の在庫量はだんだん乏しくなって来て、ひとめぼれについては、秋までルーティーンの方への出荷で尽きてしまう在庫量です。
労力を考えると、現在の作付けを増やすこともままならず、面積でなく反収を上げる方向の努力を傾けていきたいところです。限られた圃場で作付け品目のせめぎ合いになっています。
たらの木も芽吹いて来たし、芽を間引いたり、放置したままの細い幹を伐採したりの作業、ブルーベリーの剪定もしなければなりません。
ふかし栽培のたらの芽もまだ最終盤で出荷になっていますが、畑の方も芽吹いて来ており、収穫しました。頂芽になりますが、これは昨年の秋に、細いということで伐採をせずに畑に放置した幹が芽吹いたというものです。まず頂芽が食べごろになって、側芽が次々と膨らんで来ており、これを放っておくと細い木になってしまうため、下の1芽のみ残して木をカットします。
水槽での栽培と違って赤みを帯び、トゲもしっかり付いています。こういうののみをいまの旬の時期に出荷するというやり方もあるかもしれませんが、2月〜4月の仕事を作るという意味で、需要もまたその時期にあることから、ふかし栽培は当園には必要な品目です。
稲作部門では、米ぬかボカシの仕込みを昨夜スタートさせました。1週間後には田に投入できます。堆肥も散布しますし、下旬の田植えの時期までに育苗と歩調を揃えて進めたいですね。
連休後半だし、もう1回末娘と行楽もしたいところです。
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ここ数日寒気が続いて寒いが続き、もっぱらたらの芽の作業に従事しつつ、まずは水稲籾蒔きまで進めることができました。先週も積雪があったり風が強かったりで、ビニール掛けしようにも、なかなか仕事をさせてくれませんでした。当園はプールに並べての平置き出芽になるので、やはり早めの播種を心がけています。いつ蒔いても、必ず寒気には当たるので、暖かくなるのをのんびり待ってからということはしませんね。慣行では種まき後、密閉した出芽器に入れて2日間で芽出しをさせる方法が取られ、カビ防止に農薬も使われるわけですが、無農薬の平置き法では出芽に7〜10日もかかり、日々の温度確保に一番気の抜けない期間になっています。
育苗培土は今年も「花巻酵素」製の土を使いました。花巻まで取りに行くのも慣習になっており、今年は子どもたちの要望でその際に北上市で「ジュマンジ」を観てきました。面白かったです。そしてアマゾンで旧作があることを知り(ロビン・ウィリアムズ主演)、後日パソコンで観ましたが、これも良かったですね。最近、急ぎの注文がしたくてアマゾンのプライムという会員になりましたが、特典として多くの映画等が無料で視聴できることを知り、結構活用しています。
ちなみに、個人的に「深夜食堂」にハマっています。。なぜでしょうね。全体の醸し出す雰囲気が良いんですね。1作目の映画を観て、いまはテレビ放送版(1話30分)を昼休みに見るのが楽しみになっています。
さて、あまり写したことがなかったですが、水稲プールはこのようにしています。5〜6cmの太さの垂木を2段に重ねて枠を作り、ブルーシートを新旧2枚重ねて敷き、その上に19mmパイプを並べます。苗箱1枚が2本のパイプの上に乗ります。横に6枚並べますが、中央に30cmくらいの歩けるスペースを作っています。向こうに20枚置けますが、余裕を持ち19枚にしていて、今年は全部で112枚蒔きました。ひとめ2反歩、いわてっこ2反5畝です。坪60株の設定で田植えしており、1反歩当たりで20枚ちょっとの枚数になり、かつ薄まきであることから、種や土の量は節約している勘定になります。
こういう寒冷地では分けつが少ないので、みんな厚まきにして密植にしますが、当園は薄まき、間隔広めの田植えを続けています。そもそも薄まきにしないと大きい苗になりませんし、大きい苗を1株あたり少ない本数で、かつ間隔を開けて田植えすることが、草対策も含めて有機栽培の基本だと思います。もちろん風通しを良くし、いもち病を防ぐことも狙いです。
パイプを下に敷く理由ですが、これにより、田植え直前の完全落水が容易で、また完全な均平が取れていなくて苗箱の高さがいつも不揃いになるものですが、低い苗箱のパイプの下に小石を詰めることで苗箱の高さを、なだらかに上に持ち上げ揃えることができます。
さて、先週は末娘の誕生日がありまして、蛯名鉄工製オーブン付きストーブで久々にスポンジケーキを焼きました。まだ雪もあり農繁期でないいまだからこそできることですね。薪ですが、通常の薪だけでなく、たらの芽で使った廃木も燃やしています。小さいので、生木でも燃えやすいです。処分にも困りませんね。
そして「バタークリーム」を作ります。以前にも書いていますが、昔は生クリームよりもバタークリームの方が市販ケーキでは主流だった気がします。いまはお店でも売っていなくて、作るのが一番です。卵の白身を撹拌器で撹拌し、それに砂糖と無塩のバター(うちは節約してケーキ用マーガリン)を混ぜて出来上がりです。クックパッドを見て作ります。バニラエッセンスを少量かけて、風味を出します。普通の生クリームならいつでも食べることができるので、特別な日の感がありますね。
さて、雪はあと1週間で消えるかという感じで、結局連休近くの頃となってしまうんですね。やっぱり。。11月19日に仙台へサーカスに出かけた日から根雪になっていて、そろそろまる5か月を経過します。こちらでは冬は長く、春は5,6月、夏は7,8月、秋が9,10月で11〜4月が冬という感じでしょうか。少なくとも暖房は完全に6か月は使用しますし、5月6月でも暖房の欲しくなる寒い雨の日はあります。「温暖化」など全然体感できないここ奥羽の里ですが、まあ焦らずに雪解けを待つしかなく、でもりんどう畑など、早く草取りがしたい! いましたい! というのが本音です(切り花りんどうの作業は県内の各地よりも50日遅れての作業開始になります。雑草が取り切れないことにご理解をいただいきたいです。。)。
そうした残雪期ですが、たらの芽の作業があるだけ、当園はまだ仕事に恵まれていることになりましょうか。駒木をすべて切り終えた現在では、収穫と出荷準備、および収穫して空いたスペースに次の駒木を置いていく作業になります。まだまだ素材の木は豊富で、サイトからのご注文にもお応えさせていただきます。連休中には終わりますので、これからは終盤ラストスパートといった時期です。
とはいえ、たらの芽だけでは時間に余裕はあって、子どもたち関連のお出かけも含め「いまのうちにできること」を探しつつ、過ごしております。
農作業と別にやるべきことといっても、何か別の作業対象に目を写して取り組もうということだけではなく、自分の生き方暮らし方の点検をしてみることも必要かと思います。こういう作業もやらないと、何の目的でどういう農業をやりたいのかも見えなくなってしまうかもしれません。夜には読書もしますが、そのうち農繁期になると疲れてやめてしまうことでしょう。いろんな意味で、「やるべきこと」を探し出して、それなりの形を示しておきたいものです。
大学時代の長野県で2か月滞在した報告をしましたが、松本で暮らした20歳の頃からハイデガーの哲学に不思議な魅力を感じていました。いわゆる「哲学史」に出てくるどんな哲学者とも違う異質な哲人です。1980年代当時、いわゆる「実存哲学」は勢いがなく、学科内の雰囲気としては、やはり「学」として論述できるものが志向されていたと思います。もっとも、ハイデガーはいわゆる実存哲学ではない気もするし、そもそも実存哲学自体が正しく捉えれていなくてしかも軽視されていた時代ではなかったかと思います。
そういう背景を身に感じながら、ハイデガーに感じた魅力に匹敵するインスピレーションを受けたのが、大学3年生の後半になって読んだヘーゲル「精神現象学の」序文や緒論でした。いわゆる学説としてのヘーゲルの体系内容そのものよりも、認識や経験の構造について生き生きとした言葉で書き進められた前置きの文章(これだけでも80ページくらいにはなるのですが)に惹かれ、4年生になり卒論の対象に選びました。ハイデガーでは書けそうにないということもありましたが。。その卒論の中でもハイデガーによる「ヘーゲルの "経験" 概念」という論文は重要な文献になりました。そもそも「経験」Erfahrungとは何か、のハイデガーの省察は深いです。
学者ではなく農家として暮らしているいま、ヘーゲルよりも、ハイデガーの方が気にかかります。「自分が自分であると感じ自覚していることの不思議感」とか、「世界とはわからないことだらけで、根本はどんな構造になっていると考えたら良いのか」、あるいは「日常、具体的な物事に関わりつつ生きているが、個々それぞれの具体的な物事の背景にある何かとは何か」。。。そういった直視しようとしても対象化できず、その都度背景に退きながら、もやもやと「それは何か」と問うてしまうもの。。ハイデガーのいう「存在」とはそういう感じなのではないかと思っています。対象としてフォーカスし認識がなされないものは語り得ないし、直視もされず、それは思考・思索によってしか接することはできないと思います。思考といっても近代の学問が求めたような主観性とか、カテゴリーとかの認識の仕組みというものとは違い、いわば「悟り」のような思考になる、そのような意味では直覚とでもいうような仕方で体得すべき本性かもしれません。
そういうものなどない、仮にあっても意味がない、と言ってしまえばそれまでで、不要な考えとして一蹴されるものでもありそうですが。。
そんな感覚にずっと囚われていた気がしますので、ハイデガーに親近感を覚え、私の出発点というのはいつもそこです。そして都会生活の中では、意識の向かう対象や情報・記号といったものがが多くて、個々の存在者に埋没してしまいそうになります。一方、山の中とか、こういう農的暮らしの中では「世界」や「自然」に包まれていて、もくもくと一人作業をしている間、ずっと頭の中にあった「謎」、「世界とか私といった現象」「対象化して捉えようとすると背景に退いてしまう何ものか」を無言で問い続けることができる気がします。農村へ惹かれ移住した動機として、ハイデガーのいわゆる「故郷喪失性」"Heimatlosigkeit"についてのイメージが大きかったと思います。もっとも彼の言う「故郷」は「ふるさと」のような故郷では全然ないのですが。故郷は存在する対象ではなく、対象の地盤でわれわれにそっと何かを語りかけるものと思います。直視はできませんね。
農家として、商品化とか、消費者とのつながり、や伝統的な農村的文化の共有とか、大事な取り組むべきことは多いですから、こんな抽象的なことに囚われていても、生産者からも消費者からも理解を得られることもないでしょう。先達に比べ、当園ではこれといって具体的に特別な、人のやっていないことを何かできているわけではありませんし、現実の農家としてヘーゲルやハイデガーに関心を向けている余裕はないといえばその通りでしょう。。
いずれ、上に述べた個人的関心事や、ハイデガーから感じ取られる「世界があるというのは一体どういうことなのか」を語ろうとするそのことは、すぐに社会や人々と共有できるツールのようなものではありません。ハイデガーのいう「技術とは何か」といったテーマはそれだけ取り出せば、現代社会に対し何かメッセージを伝えることはできるかもしれません。しかしハイデガーの真意は現代社会への批判といったことではなくて、やはり視線を向ける都度、背景へ背景へと隠されてしまう「何者か」に向いている気がします。晩年には「最後の神」とかいった表現もあったそうです。だからそれは具体的内容を持ち説明される「学説」なのでは決してなく、「道」であるとか、「指標」であるとか、そういう語られ方もするでしょうし、ヴィトゲンシュタインのような感性を持った人にとっては、語られないもの、示されるもの(SagenではなくZeigenされるもの)として感じ取られているものでしょうか。
現実の社会で暮らしていくことの不安(経済不安・戦争の不安、等々の存在者の不安)といった切実な関心事に加えて、この「捉えがたい何か」がわからないでいることの不安(存在不安)がいつも静かに押し寄せます。いわゆる哲学の目標とは、単純に幸福とか救いを見出すということではないと思います。この存在不安を解消したいということが動機になり、この語り得ない「それ」は何だ、と対象化し得ない背景を言い当てようとする試みではないでしょうか。コツコツと「個々の存在するもの」(作物や土やいろんな資材など)に関わりつつも(存在者への頽落)、背景・土台の領域(対象化できる存在者と並ぶような別の1つの存在するものではなく)について、漠然とではあれ追い求めて暮らしていくこと、そんな風でありたいと思います。ハイデガーの文章は難解ですが、字づらに迷わされず、言わんとすることを想像することが大切ですね。無数に出ている解説書に手を出すよりも、ハイデガー自身の文章に翻訳でも良いので接して、「言わんとすること」を想像することが大切に思います。
平凡社の「世界の思想家」というシリーズが昔からあり、いまは絶版と思いますが、これは思想家そのものの全著作から選ばれた重要文章(と編者が感じたもの)を寄せ集めたアンソロジーです。ハイデガーの巻もあり、個々の著作に挑むよりも、全体の概観をするには格好の1冊と思い、これもまたアマゾンで入手しました。翻訳でも良いでしょう。思想家の生の文章に触れた方が良いと思います。ただこの平凡社の本は発行が古く、前期の主著『存在と時間』に焦点が当てられていて、まだハイデガーの生涯を通じた全体像が見えていなかった時期のアンソロジーです。時代も進んで、全貌がいまは公刊されています。この時代に新たなアンソロジーでハイデガーの美文に触れたいですね。1冊1冊に深く立ち入っている余裕はなかなかないので、できればコンパクトな形で出版されないでしょうか。。。
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新しい農作業シーズンが始まりました。積雪は1mを切ったかという感じです。既に3月30日より水稲籾の水漬けを開始しており、これから種まき・育苗しつつ、雪が消えるとりんどう畑の作業が増えて来ます。
冬の間、前半は記事にも掲げていますように長野へ2か月ほど働きに行ってまいりました。その反動もあり、2月末からの1か月余りは、のんびり休養もしつつ、子どもたちと出かけたりもし、そして、3〜4月のメインの作業となるたらの芽の栽培出荷に専念しています。写真は第1陣の芽吹き開始の頃で、いまは出荷も半ばを迎えております。
昨年の冬仕事は3月末までの家からの通勤であったことから、たらの芽作業はかけもちであり、作業の分散の意味も込め1月から週末を主に伏せ込みを開始し、そして4月最初には用意していた穂木(駒木)がなくなってしまうという結果となりまして、結局最大の需要期には応えることができませんでした。最大の需要期というのはこれからの2週間くらいでしょうか。
その対策として今年行ったことは、まずは家を留守にしたことで自ずと伏せ込み時期を遅くしたこと、そしてベッドの棚の数をもう1段増やして3段ベッドにしたことでした。増設の器具資材には結構投資もかかりましたが、ケーブルとサーモを1セット導入し、直管パイプとコンパネ等を準備し、3段水槽にしました。サーモは1個で2系統のケーブルを管理することができます。2つのサーモの間にある2ケーブル分を差し込む部品を使って、去年までは1つのサーモで2段を管理していましたが(温度設定は2系統とも同一)、今年は下の段に1サーモ1ケーブルを増設し、最下段ということで上2段のサーモよりも高い温度設定を施しています。
とはいえ、最下段はなかなか加温がうまくかからず、ストーブと扇風機で1段目に温風を適宜送り込んでやりながら、いまこれからようやく第1陣の出荷を迎えるところです。時間がかかった分、やや大きめにできてきているようです。
3月半ばに高温期があって、その影響で芽の胴体部分が十分大きくならないうちに芽吹いて小さいたらの芽になったものが多く出ました。温度管理、そしてカビを生やさないような湿度管理が重要で、日々の換気や、扇風機での送風作業も大事であると感じています。
手探り試行錯誤でのたらの芽栽培ですが、おかげさまで道の駅や飲食店さんからも定期的に注文をいただけるようになり、現在では一時的に生産が滞る状態で、HPでの販売も50gパック詰めでの少量の出荷と制限させていただいております。
やはりベッド(棚)ごとに芽吹きの進行が異なるため、水槽に挿していった順番に採れていくというものでなく、収穫には山と谷ができてしまいます。始めたのが遅かった分、まだタラの木素材は豊富にあり、これをあと3週間から1か月の間で余さずに使い切ることができるか、ちょっと不安がよぎっています。次の仕込み、次の仕込みと加温加湿を施して短期決戦で進めていきたいと思います。
たらの芽はどんな場所で栽培しているのかとよく質問されるので、外観を掲載いたします。住宅の一部のようなところです。もともとわが家はコンクリを打った作業スペースと合体した住宅でして、別棟の作業場を建てる前は、切り花りんどうの選別などもこの住宅付属の作業場で行っており、手狭になってきたことから単管を使って写真のような拡張スペースを作りました。採花したりんどうをいったん水槽に浸けておくといった場所にしたり、冬にはちょうどぴったりとトラクターが収納できました。単管でしっかり作られているので雪で潰れる心配はあまりないですが、何度か屋根の雪払いはしてやります。別の作業場を建てた後はたらの芽スペースとして活用しています。
外壁には半透明のポリカ波板を使っています。ドア部分は夏には取り外して、籾など搬入しています。たらの芽は多少の光がほのかに入るくらいが好ましく、光が強いハウスではわざわざ遮光したりするようです(緑色ではなく紫色になるからでしょうか)。現在のたらの芽の規模をより拡大しようとするならば、外のパイプハウスで栽培するしかなく、そうすれば冬は潰されないように毎日除雪のことが気になって、とても外へ働きに出ることなどできないでしょう。現状のこの狭いスペースで最大限の生産を上げることが課題です。
たらの穂木は十分すぎるほどあるので、細いものはどんどんはじいて、燃やしもしましたし、とりあえず壁面に放置していています。
ちなみに、この拡張スペース奥の住宅内コンクリの作業場には、籾摺り機・計量器が設置してあり、こちら側の壁には使う薪を積み、中央には犬のケージがあって、そして取り置きしたたらの芽の置き場所とたらの駒木を切断する切断機のスペースとなっています。秋に籾摺りして現在出荷している玄米在庫と精米機もここにあります。右奥には田やにんにくで使うため精米所から採取した米ぬかを置いています。こうしたコンクリの屋内というのはいくらあっても余るということはないみたいです。外に出ないでたらの芽の仕事ができるのは楽ですね。
そろそろ秋に籾摺りした玄米在庫がなくなってきたので、別棟の作業場内の氷温冷蔵庫で貯蔵していた籾を籾摺りしなくてはいけません。それは次の出来秋までの出荷になります。氷温貯蔵により糖分の蓄積を期待しています。
ちなみに、薪ストーブが盛んな当地ですが、一般にこういうコンクリが住宅にない普通の家では、冬の間日々使う薪というのは皆さん広い玄関(風除室)に積んでいます。
さて、外仕事の方ですが、豪雪だったことの対策で炭の補助が出ましたので、早生りんどうに炭の粉を散布しました。日付が入っていませんが、3月24日でした。子どもたちも手伝ってくれていますが、これには理由があります。。
当園ではMacのBootCamp機能でWindowsにしていますが、切り替えには再起動が必要で、特にWindowsからMacに戻るときに、システムファイルの更新とかで時間がかかることがあります。子どもたちはWindows版でのドラクエ10を時間を決めてやっていますが(利用料のかからない時間帯が1日2時間あり、さらにそれを3人で分けると、自ずと時間制限になります)、待ちきれずに電源ボタンを押して無理に終了したことが原因で、突然Windowsが立ち上がらなくなってしまいました。
ゲームはおろか、私の農業簿記もWindowsでの作業だったので、大変困り、結局クリーンインストールしかない状況で、敢行しました。Windowsに仕切られていたHD領域をいったんMacに復元し、再度BootCampの設定、そしてWindowsのインストール(無料の10から後退して当初の8、そしてアップグレードで8.1です)。現在では5年前に購入したWindows8のDVDのソフトはそのままでは使えず、ISOという別の形に変換してからのインストールで、結果、復旧するのにまる1日の時間を要す困難な作業となってしまいました。
農業簿記についてはバックアップデータの取り方が不十分だったこともあり、復旧が困難で、アプリの再インストールだけでは済まず、3月までの伝票の打ち込み作業も必要でした。いまはFrameworkというアプリをインストールした上で、簿記記帳後はその都度USBにバックアップしています(HD内へのバックアップでは意味がありません。Macの方はTime Machineで外付けに自動バックアップしています)。
お子さんをお持ちの方は、パソコンを変にさわれてトラブルに遭遇した経験をお持ちと思いますが、このような顛末で、春休みでもありますし、子どもたちも作業を共にしているという次第です。苦労して育てたキャラのデータが消えてるかもしれないぞと不安を募らせていましたが、データはサーバーの方に保管されてあり、簿記と違ってドラクエの方はアプリの再インストールだけで復旧しました。
こちらはにんにく畑。植え付け時には多くの若い方々に手伝ってもらいました。ドローンも上げて撮影してもらって、懇親会も楽しく、良い経験をさせてもらいました。そんな畑ですし、早く雪を消して、春からの成長を早めたいと願っての散布になります。
にんにくですが、在庫も減っており、残りは黒にんにくに回す計画です。-1度設定で貯蔵しても、そろそろ賞味期限時期というところです。
水稲の育苗も春の大きな仕事ですが、こちらも早めに除雪機で払っておいたため、だいぶ雪解けが進んできています。4月1日の様子です。このあと、ちょっと残った雪を除雪機で飛ばしてしまったので、あとほんの数日でビニールを掛けることができそうです。
薪の仕事もいまの時期の重要な作業です。地元新田商店から2間ほど購入し、置き場から軽トラで搬入し、チェーンソーで玉切りして、割って、積むという作業になります。この春中1になる息子ですが、体格も良くなってきて、いい感じで割ってくれています。中3になる娘よりも上手で、この点は頼もしいところですね。しっかり褒めて、おだてつつ、こういう作業を半ば得意になって続けてくれたら嬉しいですね。
薪は森林組合から買うこともできます。もちろん割高にはなりますが、薪割りする地点までユニックで運びきれいに積んでくれますし、全量がナラで、しかも太さも同じ。玉切りも積み上げも短時間で作業できます。地元商店のものは「春木山」(伐区山)で伐採したもので、当然根元の最も太いところから枝の薪割りも不要の細いものまで混ざっています。雑木林だしナラだけではありません。置いてある場所(山ではなく舗装路の脇)から自分で運んで来なくてはなりません。根元の太いものは運ぶのも切るのも割るのも大変です。
いろいろ考えると、お金に余裕がある人は森林組合から買うべきでしょう。が、地元で残雪の山に道を付け、運搬車で運び出してくる伝統的な「春木山」の木を私は優先して使いたいと思います。大型機械に頼る大規模農業よりも、手仕事型の小規模農業に自分は魅力を感じることとつながっている気がします。昭和のスタイルの「寒天作り」にも相通ずるものがありますね。
秋に雨の多い当地では1シーズンでは乾燥が不十分で、いま割る木は次の次の冬用になります。
こんな感じで、たらの芽を中心に、水稲の種まき準備、薪の用意という作業を行っています。
さて、行楽レジャー部門の写真をいくつか掲載させていただきます。70日間留守にしたこともあり、2月の後半からは、子どもたちと遊ぶことも大切な行事でありました。ディズニーランドは約束していたので、長野からの帰宅後の翌週の週末に東京へ行ってまいりました。本当は1月10日頃が冬休みであり、混んでいない時期でもあってベストなのですが、残念ながら出張中。春休みになるとたらの芽出荷もあり、また一層混み合います。そういうことで2月末の金曜の夕方に出かけて日曜の夜に帰ってくるという形にしました。
今回のこの時期ならではの特徴というのは、このアナと雪のパレードでしょうか。
昼のパレードを待つ間の半端な時間に手品コントをやっており、結構面白かったです。
ディズニーランドは2度目になりますが、初めて乗った乗り物で「スターツアーズ」というのが面白かったです。朝9時頃から夜10時過ぎまでいて、へとへとです。。ビッグサンダーも乗りましたし、ジャングルツアー、海賊のツアー、フィルハーマジック、等々、結構いっぱい遊べたと思います。パレードは3つあったし、アナと雪のシンデレラ城への投影映像とか花火とか、アトラクション以外も多く、お土産も買うし、本当に忙しい感じです。
一般に、ただの遊園地、というのは語弊があるかもしれませんが、そういうのではない感動がここにはある気がします。何度来ても遊び尽くせなかった感が残りますし、また来たいと思って帰るのですね。子どもがいなければ決して足を踏み入れることはなかったであろうこの場所ですが、ある程度子どもが大きくなったら、間違いなく再び縁遠くなってしまうことでしょう。
翌日は、本当は上野動物園へと思ったのですが、シャンシャンのブームもありチケットを買って入園する自体が行列になるとか、整理券でシャンシャンを見る時間帯というのが午後遅くなる、とかの情報もあって断念し、「新江ノ島水族館」へ行くことにしました。見応えのある水族館でした。最も印象的という1枚はクラゲでしょうか。ここではクラゲの展示スペースを使ったプロジェクションマッピングのイベントも人気でした。
イルカのショーもアートな要素が組み入れられていて斬新でした。
岩手では、気になっていた水沢の天文台を訪ねました。NHK朝のラジオ「すっぴん」でここの天文台の所長さんがロングインタビューのコーナーに出ていて気になっており、実はここは2度目なのですが、特に末娘にこのパラボラアンテナの光景を見せたく、出かけてきました。「宇宙遊学館」という見学施設とセットになります。岩手にお住いの方は是非一度訪れる価値ある場所と思います。本当にこのパラボラ(20m)は圧巻です。
春休みになって訪れた、宮古市の浄土ヶ浜の近くにある「水産科学館」。一度は見たい場所でした。昔の漁具やはえ縄や巻き網などの漁法も展示してあります。
浄土ヶ浜では、ウミネコに餌を販売しており(かっぱえびせん。。)、平日だったこともあり、大盛況という感じです。かっぱえびせんでは塩分過多になるのではと心配ですが、大丈夫でしょうか。鳥にも肝臓はあるかと思いますが。。
宮古から釜石へ45号を南下し、釜石大観音へ。地上120mの展望スペースに来ました。
大観音からの釜石港方面の眺めです。この後に、釜石港で釣りをします。
大観音の内部には1階に1体ずつ七福神の像があります。これは恵比寿様ですね。鯛を持っています。ちなみに平日の夕方ということもあり、来訪者は私たちだけでした。。
そして釜石港のT字堤防へ。夕暮れ時でこの日は気温も高く期待も高まりましたが、小さいオコゼ系が1匹釣れただけで。。春は釣れない時期なのはわかっているんですが、この時期しかなかなか遠征はできず、仕方ありませんね。広島では昔いつの時期ももっと釣れたと思います。冬から春はカレイやアイナメ、夏場はシロギスやベラなど。。ぜひ6月頃にもう一度T字堤防は挑戦したいですね。何と言っても、深いです! ブラクリを使ったこともありますが、底に着くのに結構時間がかかります。
堤防釣りの仕掛けでは、何が良いのでしょうね。中学生の頃のしかも広島近辺での知識のまま止まっていて、昨今の事情はよくわかりません。砂浜からと同じで投げ竿でジェット天秤とかで投げ込むのが昔自分たちのやり方でしたが、何か芸がありませんし、柔らかい磯竿系で、根魚を狙うブラクリ(オモリと針のセット)というのが、いまの私にはしっくり来ました。もちろん鯖とかイワシの群れであればサビキ系になるでしょうが、そういうのが釣れる秋には絶対来れないですので。
釣具屋ではミミズも買って来て、容器に土を入れ家で養殖しています。庭で採れたら加えていきます。ミミズでの家の前での岩魚・ヤマメ釣りが息子の当面の遊びになるでしょう。一度竿を出してみましたが、まだ釣れませんでした。。
もう少し春が進むと、横手公園の池、やや遅れて地元「廻戸池」でヘラブナ釣りのシーズンになります。釣りは子どもたちとの絶好のレジャーですし、昨日は子どもたちの要望で、花巻広域公園の金矢池に行って来ました。総じて小物のフナでしたが、ヘラも2匹かかりました。ここは遊具もあり小さい子も楽しめる公園です。次回は花巻酵素さんへ水稲培土を買いに行く際に出かけたいと思います。
本当にいまのうちですね。子どもたちと遊びに出かけるのも、また時期的に雪のあるいまだから。
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あと何日だと待った、寒天工場の任期満了。ついにその日が来ました。日本海経由で帰路に着くわけだし、もう帰りは松本に寄ることを決めていたので、終了後工場で最後に寝て翌朝の2月16日、茅野を発ち20号でまっすぐ松本へ向かいました。途中諏訪湖を見ました。久々の寒い冬で御神渡りができたと話題でしたが、ちょっと溶けていて、残念。。
松本市内に入り、詳しくない駅より南の方では一方通行とかでやや迷ったですが、下宿のあった岡田地区に向かい、それから歩くと30分くらいになるでしょうか、当時よく訪れた小径を車で辿ってみました。
しばらく進むと安曇野と北アルプスが一望できるところに着きます。よく知られている「アルプス公園」と同じようなロケーションです。一人で散歩に来たこともあったし、友だちや先生といろんな議論をしながら訪れもしました。大袈裟にいうならば「思索の山道」でした。ハイデガー流にいうと「森の杣道」という感じでしょうか。。舗装路でしたが。。いまの大学生も基本はそうかと思いますが、私たちも下宿に集まって、お好み焼き(広島風)を作って食べたり、そしていろんな議論(高尚な話から血液型の話などまで)を朝までやったものでした。近所で鶏の声が響きました。
そういう過ぎ去った20歳頃の時期を振り返るような旅にもなったかもしれません。この松本の地で現在まで続く意識とか世界観とかが築かれたのですから、やはり大事にしておきたい記憶です。
さてエピソード1で霧ヶ峰から見た北アルプスを掲載しましたが、上のこの写真が松本から見える北アルプスです。写真の辺りは700mを超えていると思いますが、真実の高みには達していませんね。メインは槍穂でなく常念岳が主峰に見えています。左が蝶が岳、右は大天井岳(おてんしょうだけ)です。
下宿にはお風呂がなかったので、歩いて浅間温泉に通っていました。その途中に女鳥羽川に架かる橋を渡ります。冬などは帰り道では髪の毛が凍っていましたね。
この橋の真ん中で、こうして上流を見下ろしながら夏にパナップを食べたことをふと思いましました。美しい時代の記憶そのものです。当時聞いた話で、かつて学生運動の頃にその風は信州大学にも押し寄せていて、教授陣も学生に追われて逃げたんだそうですが、女鳥羽川を渡って逃げたか、手前で踏みとどまったか、で、後々いろいろ人物評価が違ったとか。。。この光景で思いましました。橋を渡って逃げたか、川をジャブジャブ逃げたかはわかりませんでしたね。
大学に通う途中のちょっとした公園も健在です。この青いベンチもそのままではないでしょうが、残っていました。大学からの帰り道にこのベンチに座って岩波文庫の「イーリアス」を読んだ記憶が蘇りました。「イーリアス」の中身はあまり覚えていないんですが。。静かな佇まいが思索的です。大学1年生。知識への欲求は大きかったですね。現在では、欲求は実際的な「情報」を求めることで止まってしまいがちですが。。
写真は撮りませんでしたが、信州大学付近にも立ち寄ってみました。大学の北側に、いまでは小澤/サイトウキネンで超有名なキッセイ文化ホールがありました(私の時はありません)。聴きに来たい、が、ここまでコンサートに来る予定というのはちょっと立てられないかも。。
余談ですが、できることなら、子どもたちと燕岳に登りたいと思いました。松本に来て初めて登った北アルプスで、頂上の奇岩は独特だし、盟主槍ヶ岳を好位置で望むことができます。最低2泊3日の行程で、無雪期になるのでちょっときついですかね。
松本城にも訪れてみました。以下は観光情報です。下宿探しの時に家族で天守閣に入った記憶がうっすらとあります。学生時代は通行したことはあっても天守閣には上がらなかったように思います。通行止の看板が見えるこの赤い橋ですが、そういえば「ザ・ベストテン」という番組があって、そこで松田聖子(確か同年齢)が全国中継でこの赤い橋の上で歌ったことがありました。確か自転車で見に行ったような記憶が。。すごい人だかりだったような。
松本城から大きい通りを駅方面へ向かう途中にある古本屋さんの「青翰堂」。グーグルマップでこの辺を検索したことがあり、健在なのはわかっていました。古本を買っていきました。
「縄手通り」もリニューアルされた感じで残ってました。ただ入口の角に建っていた大きなビルの本屋さんはなくなっていました。ここの花屋さん(左手前の店でしたか)で「エンゼルランプ」という鉢花を買って、それを眺めながら下宿でチェンバロの「フランス組曲」(バッハ)を聴いた記憶が蘇ります。
また、この通りに当時は小さい映画館があって(本当に小さいです)、リバイバルのみの上映をしていました。「ラ・ブーム」を観た記憶が。。でも映画館は見つけられませんでした。
記憶を辿りつつ、一度だけ行ったことがある喫茶店「シンフォニア」を探ししばらく歩いて、ついに発見! 入ってみました。
学生時代に人文学部の友人と入ってみると、授業を受けていたドイツ語の先生がいて、確かメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」か何かが流れていたような。。いまはご主人も高齢で耳が良くなくて、当時のレコード類はほとんど人にあげてしまったそうです。テレビで男子フィギアの予選をやっていました。
寒天工場の2か月間、全く音楽を聴くことができませんでした。それでブルックナーの4番をCDで見つけ、かけてもらいました。2か月ぶりのブルックナーです。
山の写真がかかっていて、また寒天工場本編の記事で触れた槍ヶ岳山荘の穂刈氏の本もありました。オーナーの穂刈家4代の番組(長野県内のみの放送)の話も交わし、新刊の出版パーティーに出席したのだと伺いました。山が好きなご夫婦のようで、いっとき山の話をして、店を出ました。もう再び訪れることはない気がします。。
その夜は松本駅前に泊まり、翌日は山形での研修会に向かいました。
ちなみに、昼ごはんは「源太」の山賊焼き定食を食べて来ました。夜は浅間温泉の「萬山園」に行き萬山麺を食べる計画でしたが、午前に店の前を通った時に「しばらく休みます」の紙が貼ってあり、断念。駅前で第2候補の「スパゲティのヤマナミ」を探しましたが、かなり本気で歩いて探したのですが見つかりませんでした。家に戻って検索してみると、駅前の喫茶「アベ」の近くに引っ越していたようでした。スマホがあれば解決したでしょうに。。学生たちによく知られていた「かのう」(1度だけ入りました)も頭をよぎったのですが、記憶がぼんやりとしすぎ、これも断念。。
ちなみに、駅前の「アベ」も何度か訪れていて、「モカパフェ」と「ブルーベリーパフェ」がゴージャスで人気でした。モカパフェのみ、入口のショーケースに残っていました。680円になっていました(当時は450円くらいだったか)。
翌朝はホテルの朝食バイキングでした。かなり良かったですね。松本駅でそばを食べようかと思っていましたが、見つかりませんでした。飯田屋ホテルのそばコーナーも立ち寄ってみましたが、朝の開店時間が遅く、断念。結局この2か月そばは1食も食べませんでした(72日間の連続弁当生活でしたので)。かつてセルヴァン?とかいった駅に並ぶショッピング街も一変していましたね。前より賑わいに欠けている雰囲気がしました。駅前のイトーヨーカドーもありませんでした(井上はありました)。
そんなわけで、翌日17日は研修会ということでお昼過ぎに山形県小国町に到着し、「食べる通信」高橋博之さんの公演を聞きました。結構な雪で、建物の入り口を見つけるのに苦労しました。小国も西和賀以上に豪雪地帯として知られたところ。ここで久しぶりに覚えた顔と再会です。遅く入って最前列に誘導され、そこから写真を撮ってみたので大きく写っていますが、有名人なので許してもらえるでしょう。高橋氏の農業や農家に対する思いは共感するところが多いです。経済的な面から一歩踏み込んだ内面的な充足感とか、あるいは死生観につながるような面も「農」の根底にあるわけですが、こうした抽象的で伝えづらい領域もわかりやすい言葉で表現してくれる人だなと思っています。値段と機能というモノの面だけでない奥深いつながりを生産者(漁師とかも含みます)と消費者の間に構築していくことが、彼のライフワークになります。
関心がおありの方は「食べる通信」で検索してみてください。
夜は懇親会。。テーブルについて酒を飲む懇親会というのも2か月以上ぶりのことでした。ちなみに、寒天工場では住み込み部屋を閉鎖する時に盛大に打ち上げ会をやり、その後は近隣の通勤者のみで終了まで続けるそうです。
小国の2日目です。小国町にある基督教独立学園高等学校を訪れました(内村鑑三が設立)。日曜日ですので、朝の礼拝に参加して来ました。そのあとに、教頭先生から学校の歴史や方針などについて話していただきました。
学生は携帯も持たず、テレビも見ない生活だそうです。キリスト教徒であることは必須ではないそうですが、キリスト教や学校の方針に理解を持つことが前提になり、親も一緒に何度も面接をして入学を決めるそうです。「戦う」ことにつながるという考え方からスポーツ活動は取り入れず、部活では野菜や家畜の世話をする活動をするようです。もちろん食事に使われます。
基本的に試験というものはないそうで、人間教育が基本になりますので、進学を目指す方向きではないかもしれません。しかし卒業生の話を聞いてみると、ここでの3年間の記憶はやはり根強くずっと残り続けていると。いま自分の高校時代を振り返って、ここまで強烈に自分の一部になっているかと聞かれれば、そうではない。独立学園では、勉学という範疇を超えて一生の生きていく頑丈な基礎が修得されているのだと感じました。
1学年が25人という定員で全寮制。進学校ではないのだけれど、大学の方から、このような教育を授かった学生を欲しいと逆に言われるそうで、たった25人なんですけどね、というような話もあったりして、時代のかなり先端にいる場所だと私には感じられました。
最後にランチを挟んで参加者と懇談。西和賀の顔も見えます。考えさせられる研修会を終え、3時前に出発し、ここからは高速もなく、13号から秋田県経由で午後9時頃に家に到着しました。2か月半ぶりでした。
さて、既に日常が戻っていますが、やっぱり疲れているのだと思います。朝4時半には起きれないし、部屋でゆっくり検索や事務(申告やネット販売の事務等)をし、備忘を兼ねてのブログ記事の書き起こしなどを進めながら、タラノメの設備改良や駒木の切断と伏せ込みの作業に取り組んでいます。
にんにくも在庫わずかとなってきました。青果品を取り崩して黒にんにくへと仕込んでいく作業も残ります。
雪は非常に多く、本当に春が来るのか? 不安な気持ちの昨今です。
山ぶどうを這わせたパイプが潰されてしまって、この片づけも雪解け後の余計な作業に加わりました。ただかえって露地としてジャガイモ等のスペースができるので、手のかけられなかった山ぶどうを断念する踏ん切りがつきました。
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12月5日の夕方に寒天工場に着いて、翌6日から仕事が始まりました。その6日の早朝、1時間だけ「庭」の仕事をやりました。2人で組んで寒天の載った積み重ねてある板を1枚ずつ持ち上げて並べ広げていく仕事。その後、朝食後より私は「水舎」でテングサを洗浄する仕事になったので、後にも先にも「庭仕事」はこの1時間だけでした。
その時に板を広げる仕事を一緒にやったのが、吉田さんです。吉田さんは「カナディアンファーム」のオーナーであるハセヤンこと長谷川豊氏の生き方やファームの取り組みに触れて共感を持ち、他県から茅野市(あるいは原村?)に移住された方です。早朝5時前から8時まで寒天の仕事をし、それからファームに行って夕方まで作業(修行)をするという生活をされていました。
自分の手で建物を作り、食材を作り、自給で生きていく王国を作る。そんな希望を持って京都生まれのハセヤン氏は高校生の頃に八ヶ岳山麓の「酋長」と呼ばれる農家に弟子入りしたことがきっかけで、消防士になったり、アメリカへ渡り修行の旅を続けたりして、最終的この八ヶ岳の麓に農場とお店を開きました。
その建物は極めて独創的で、オーナーのハセヤンが廃材や自分で切った木(カラマツが多いようです)を使って吉田さんたちお仲間と一緒に作ったものです。余談ですが、ハセヤンは「テレビチャンピオン」という番組で「廃材を使った建物作り」のチャンピオンになったとか。
その独創的な構築物を写真に撮りたいと、ダッシュでテングサの仕事を少しでも早く終わらせて、日のあるうちに訪れようと頑張り駆け付けました。独特の曲線が良いですね。。写真はフォトショップで少し明るくしましてありますが。
こうした壁のない建物はお客さんが食べるスペースなんだそうです(冬は閉鎖ですが)。
このような窯でパンを焼いています(ピザではないそうです)。カナディアンということで出てくる料理はサーモンとかお肉が中心になります。薪も廃材が取り入れられていますね。
最近作ったというツリーハウスです。訪れた子どもたちの遊び場所としての意味合いだとか。ハセヤンオーナーは子どもたちに自然で生きていく技や、自給の知恵などを教えたいという気持ちを強く持った方のようでした。
こちらの部屋で寒天の同僚吉田さんやその友人のスタッフさん、そしてハセヤンとも話をして工場に戻って来ました。冬の時期でもこちらで料理を食べることはできますので、HPで検索して訪れてみてください。そしてここで働きながら、何かを得たいと思っている方も、訪れてみていただきたいと思います。
ハセヤンについては、下記の本に10ページほど紹介されていて、私はここにある蔵書を借りて読みました。職業としての農業経営という視点での一般の農家の方には関心は薄いかと思いますが、私はいろいろと考えさせられました。
自分は大学時代から内面ばかりを見て生きて来たタイプです。関心事は自己意識とか、認識の背景にあるものとか、物自体とはどういうことか、とか。。ハセヤンや吉田さんは、もっと外に向かって行動しています(世界を旅する寒天釜係の坂口さんも同類ですね)。建物を建てるだけではなく、子どもたちを募って体験学習を行い無償で技を教える。震災の時は即座に救援に向かい、そのような状況でどうすれば良いか体で判断して手を差し伸べる。。
気持ちがあってもすぐにそれを表すということは、そうできることではありませんし、むしろ困難なことです。農家であれば、いまこの目の前の農作業を捨てて被災地へ行けるか、とまず自問自答するでしょう。
自分がもし、信州大学生の時から再スタートするとしたら、ひょっとしたら、こういう現実社会へ積極的に飛び込んで自らの精神や肉体を「意識」や書籍からではなくて、現実社会から行動して学び、そして自分の王国を具体的に表現したい、という選択肢を持ったかもしれません(もっとも当時の自分のままに戻るなら、何度やっても同じルートを辿るのかもしれませんが)。
もっとも、それはいまからでも遅くはないし、農家として鍛えられ、また寒天工場で鍛えられ、実際、社会とも無縁ではありませんし、子どもに何を伝えるべきか具体的にいつも考えます。いまからでも自分なりの王国は築けるでしょうか。
2月16日の朝、吉田さんが吉田さんの王国を実現できますようにと願って、握手して別れました。
冷燻サーモンを土産に買いました。ハセヤンや吉田さんの描く夢を自分になりに解釈しつつ、思いを馳せながら晩酌にいただきました。生の感じが濃いワイルドなサーモン料理でした。焼酎にもよく合う美味しかったです(子どもには生臭い感じと敬遠されましたが。。)
寒天工場のすぐ近くにある諏訪中央病院院長の鎌田氏が書いた本です。確か150ページからハセヤンが取り上げられていました。
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真冬の霧ヶ峰を訪れました。雪に覆われた北アルプスが圧巻でした。
寒天工場任期の半分をやや過ぎた頃、草を茹でる釜の調子が悪く、修理のため工程が1日だけストップしました。後にも先にも休日はこの1日だけ。休みがわかった前日には、35年前に訪れた霧ヶ峰方面が頭に浮かび、とりあえず蓼科や白樺湖方面を目指してドライブに出かけました。白樺湖に来てみると、先のビーナスラインが通行可能だったので、そのまま霧ヶ峰へ走らせました。何と言ってもすぐ麓で暮らしているので、霧ヶ峰まで1時間という感じでした。
全面結氷した白樺湖です。お客さんはいないし閑散としています。こうしたところの従業員は冬はどうしているのでしょうか。寒天工場ですかね?
さて霧ヶ峰への途中に車山があり、ここはスキー場が賑わっていて、そこまでは往来もありました。そこを過ぎると車はいません。そして、冒頭のパノラマと出会うことができました。
夏の間は多くの観光客が目にしたでしょう、アルプスの遠景。しかし、このようにべったりと白い衣装をまとった北アルプスをこのビーナスラインから目にする人は限られていることと思います。
右の方に形の良い三角形の「常念岳」が見えます。信州大学時代、松本で4年間この常念岳、そしてその左の斜めの直線雪形が並ぶ「蝶ヶ岳」を真正面に見て過ごしてきました。写真では蝶ヶ岳の後ろに「大キレット」がはっきり写っています。そして、松本で見たときはこの2峰(+知名度は劣りますが大天井岳)が高く聳え、槍ヶ岳などはその後ろに隠されてしまっているのですが(下宿のある岡田地区の話で、信州大学のあたりまで南下すると槍ヶ岳の穂先はちらっと見えます)、ここでは、常念・蝶は前座として、己れの立場を低くし、その背後の主峰、槍・穂高連峰が高く見えているのです(実際高いです)。
立っているビーナスラインが高いから実相が見えるのですね。
35年前に松本から美ヶ原へ訪れた時も、同じように体験しました。美ヶ原に登っていくにつれどんどんと背後の北アルプスが高くなっていくのを体験しました。ヘーゲル「精神現象学」の言葉を思い出しました。「意識・視座が変わると対象自体も変化する」。自分が成長して見方や尺度が変わることによって、いままで見えなかった新たな対象が生成する。自分の位置が高みに達すれば達するほど、これまで見えてこなかった対象の真の高さが、見て取ることができる。実は(in truth)、常念の陰には3千メートルを超えた主峰が聳えていて、それはたかだか標高600mの松本という町の視座からは認識することができない、ということでしょう。もちろん、大キレットも見えるはずがありません。
ちなみに、大学生だった自分にとって、この「大キレット」には畏怖の念が強く、どうしてもこれが何か恐ろしくて「槍・穂高の縦走」は結果、叶いませんでした。いまならそうでもないですが、でも体力的にどうでしょうか。いつか息子が親の縛られていた限界を乗り越えて「槍穂」を達成してくれる日をひそかに期待したいです。
左右18cmというこのブログの制限がなければ、もっといくらでも大きく掲載したい光景でした。
上の写真から槍ヶ岳を最大限引き伸ばしてみました。典型的な氷河が削った形ですね。
こちらは中央アルプス。ここには登ったことがありません。なお、伊那や飯田など南信地方も私は好きで、実は就農への準備旅をしていた時に東京から何度か足を運んだこともある地域です。西に中央アルプス、東に南アルプスを眺めることができるるロケーションは最高ですね。長野と静岡、愛知の接する地方は、とても山深い魅力的な土地です。
南アルプスです。東京時代に鳳凰三山、仙丈ケ岳、北岳に登りました。松本を離れ、東京時代に山の意識というのに変化があって、スポーツ登山というよりも鬱蒼とした深い森への憧憬が強くなったように思います。それが、現在の奥羽山脈につながっているようで、自分にとって、南アルプスはまた特別の存在でもあります。聖岳・光岳とか南部の方も登りたくて地図を見たりしましたが、就農して実現しませんでした。
霧ヶ峰の終点までやってきました。お客が1人だけいました。写真は夏場はほとんど乗ることのない私用の乗用車プレオです。普通乗用車は家内が乗っていて、私がピアノやその他子どもの送迎をする時などのため買った安い中古車です。軽トラでは乗り切れないので。。白樺湖から先のビーナスラインはほとんどが雪道(凍結路)でした。
さて、白樺湖付近で「黒曜石体験ミュージアム」という案内看板を見つけたので、霧ヶ峰からの帰路に寄ってみました。看板の場所から、茅野市から白樺湖を越え反対側にかなり15分以上走った末にありました。
私は黒曜石のファンなので、来てみてよかったと思いました。展示もさることながら、お土産が充実していて、ここで長野土産の半分は入手しました。黒曜石のお守りや飾り物、鹿の角のナイフと石がセットになったものとか、いろいろ興味深いものが並んでいて、かなりじっくり時間をかけて選びました。お客さんは私だけでしたし。。そしてこのお土産はこのミュージアムで職員が手作りしたものである点も特筆すべきです。他所から仕入れた土産物ではありません。買い物には入館が必要ですが、ぜひ入館して見学し、黒曜石のお土産を手にしてください。
「銀河鉄道の夜」にも黒曜石は登場しています。
麓まで降りて来て、蓼科方面へ向かいました。「蓼科グランドホテル滝の湯」は、大学1年の夏休みに住み込みでアルバイトをした思い出の場所です。この日はちょうど明日まで休館改装中ということで、中に入ることはできませんでしたが、道路からの坂道のお地蔵さんも含め、懐かしい場所です。バイトは従業員用の寮で寝泊まりしますが、夜バイト仲間で1部屋に集まってワイワイと話したり、みんな若かったし、仲良しでした。いろんなところから集まっていて専門も違うし目標も違う。寮にこっそり入ってみましたが、いまは全室個室になっているようで、かつてのようにオープンにはいかない感じでしたね。
当時はバブル前ではありましたが、夏でもありお客さんも多く、いまよりは景気も良かったのではと思いますね。現在は滝の湯も苦しい経営を強いられているようで、大学の頃にはわからなかったような「オトナ話」も工場で耳に入ってきたりしました。
なお当時はプールがあったはずなんですが、見当たりませんでした。
このあといったん茅野に降りてきたらちょうどお昼になったのでいったん工場に戻って弁当を食べ(金曜の昼なのでカレーです)、それから諏訪湖方面へ出かけました。ホームセンターでタラノメ用の水につけるバスケットを買い、SUWAガラス館でガラスのお土産を買い、1000円カットで散髪し、諏訪大社を見て、オルゴールの館を見て、温泉に入り、ネットカフェでメールチェックと検索をして、工場に戻りました。
何と言っても主役は午前の霧ヶ峰でした。
それほどの疲れも感じずに工場で晩御飯を食べ、また翌日は4:30に起きて草仕事に戻りました。
ちなみに、携帯もなく地図も持って来ない環境でこのような旅ができたのは、車のナビのおかげです。寒天工場も分かりづらい場所だし、ナビがなければ何もできない体になってしまっており、それはそれで愕然とすべきです。バイク時代は「ツーリングマップル」でどこへでも行ったのですが。。今回では、目的地の名称をまず地元人に聞くなりなんなりで探り出して、工場の電話帳で番号を調べることができれば、セット完了、です。
記事を変えて、エピソードはまだ続けます。
付録: これまでの山登り経験(大したものではないですが)から、いまでも記憶に焼きつく長野関連2点をプリントフォトから読み込んで、この機会に掲載してみました。八ヶ岳の赤岳を登った後に南下して、キレットを無事下り、「キレット小屋」辺りで夕暮れに。平日だったこともあり小屋にもテントサイトにも誰もいなくて、単独行だし半径何キロかに自分しかいない状況で、日が暮れて行く「天狗の尾根」。あまりに神々しく、畏怖の念を抱いた光景でした。
こちらは有名な紅葉の涸沢です。出版社時代、若いバイト生とともに(新宿発の夜行電車だったかな)。この時は上高地から岳沢を登って前穂・奥穂とピークを踏んでから涸沢へ降りたと記憶しています。奥穂の山荘へ泊まって、涸沢まで下山したところですね。ここのナマカマドも忘れられない色彩で記憶に深く残っています。1993年頃と思います。
おまけです。この本のことを思い出して探し出してきました。25年くらい前に古書で買いましたが、実に面白く、一気に読める本でした。古い最初の装丁の本で、ただ実際は山渓社から出ている新版の方が活字も読みやすく、新しい写真や記述も加わっているとのことでオススメですね。北アルプスで最も奥深い山域の憧れである「雲の平」や「水晶岳」(ともに名前も良い!)を舞台にした、荒唐無稽な山の出来事にどっぷり浸かり仕事や日常のことなど一切忘れていたい、そんな1冊です。
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久しぶりに記事をアップいたします。12月の6日から70日間、長野県茅野市の寒天工場で住み込みで仕事をして、帰ってきました。
これまでは冬場は盛岡市で農家の土壌の分析作業を行っていましたが、分析装置の老朽化で昨年度で事業が終了となり、今年は類似のというか、できそうな仕事を通勤圏内で探してみましたが、結局「冬だけ」という仕事はうまく採用にならず、たまたま大学時代の思い出の地である「長野県」に選択のチェックボタンを入れて仕事検索して、見つけ、決まったのでした。
冬場はタラノメの出荷もしていて、去年までは土日と平日帰宅後(19:30〜21:00頃)の作業で通勤と両立していましたが、休む間もない疲れる日々でありましたし、逆に作業を均平化しようと早くから伏せ込みを始めて、終盤に素材がなくなってしまったという結果にもなりました。。
それで今年は冬の4か月を2期に分け、前半をこの寒天出張に、後半の2か月をタラノメ専業(+米やにんにくの出荷)に集中して充てようと決めたのでした。
そんなわけで、12月5日岩手を経ち、長野県茅野市(金メダル小平奈緒の出身地です)で2か月間暮らすことになりました。
私に与えられた仕事は、テングサの洗浄です。毎日、乾燥した草500kgを包みから開封していったん水に漬け、翌朝はその漬けた草を洗浄機に入れて洗浄し、水槽に漬け(2日間)、一昨日漬けた草を、茹でる部門である「釜」に送り出し、そして搬入された乾燥した草を1段階目の水槽に漬ける。この作業のくり返しです。
テングサは栽培ができないそうで、採集に頼るということで、昨今はなかなか入手量が増えていかないようで、貴重な資源とも言えます。外国からの輸入が多く、それに国内の伊豆漁協産も混ぜて使用しています。
これが洗浄機です。朝4:30に起きて2階の部屋から下の作業場に降りてきて、まずボトルにレギュラーコーヒーを沸かして入れ、それから第1段階で乾燥品を昨日水に漬けたものをホークで取り出してこの洗浄機に入れて、1番草と2番草は25分間、水を注入しながらタイコを回転させます(写真は3番を洗浄中です)。
草は3番まであり、3番だけは乾燥した草をそのまま放り込んで50分間洗浄します。3番草はそのためか泡が最初多く発生します(左の洗浄機)。
洗浄した草は本日早い段階で草出しして空いた水槽に入れて、それは明後日釜送りになります。一昨日入れた草をコンテナに移し替えて、ローラーで午前11時までに釜まで送る草出し作業を毎日します。写真はローラーに乗り釜へ送られるコンテナが待機している状態。
中央にホースが見えます。水は全て地下水(地下50mの井戸水)を使用しますが、夜間には10個くらいある水槽にこのホースを1つずつ入れて水を掛け流しにし、水槽内が凍らないようにします。昼間は草入れや草出しの邪魔になるのでこうして今日は使わない水槽の草の上にまとめて置いておきます。緑のケースからホースがタコ足のように出ていて、右下に見える太い蛇腹ホースで地下水をケースに投入して、タコ足ホースで全水槽に行き渡らせます。設置は夕方の最後に行う作業です。
ちなみに奥に土手があり、車が並んでいますが、遠方から住み込みに来ている人たちの車です。矢印が自分ので。。
仕事は午後4時には終わるので、それからすぐ風呂に入り(入る順番なので)、5時半頃には夕食です。テレビを見て、9時に消灯です。時々は夕食前に車でワークマンに行ったり、ネットカフェへ出かけメールチェックや検索をしたりもしました。遠足もしたし車で来て良かったです。
食事は3食、給食センターの配達する給食でした。70日間1食も休まずに弁当を食べ続けました。ご飯は食べ放題です。自分で作らなくていいので、まあ楽ですね。食費は給料から天引きにされます(安いです)。
こちらが、同じ建物内にあるテングサを煮る釜です。相当大きく、毎日1,000リットルくらい重油を焚いているようでした。最初の写真は車の置き場所からこの釜を炊く時の煙を撮った写真でした。
釜セクションの若い2人です。私が洗った草を釜に投入しています。11時から始めて、写真は午後1時頃の段階です。彼らはこの作業を2時頃まで行った後、風呂や夕食など休憩に入り、少し雑用もあるらしいですが夕方5時頃には寝て、夜の11時に起きて1日の仕事を開始します。非常にハードなセクションで、誰もができるわけでは決してありません。結果的に残った精鋭2人がこの若者たちです。
夜中にトイレに起きることがあると、金属の軋む音が聞こえて来ます。クレーンの操作音で、茹で上がった草と茹で汁を一緒にこのバケットで、写っていませんが、隣の濾過層に移し替えます。布のようなフィルターの上にドサっと載せる格好で、下には濾過された綺麗な寒天の汁のみが溜まっていきます。
溜まった煮汁をホースで静かに箱に流し込んで、寒天の原型が出来上がります。これがいわゆる「生天」「ところてん」になります。切れ目が入っているのが見えるでしょうか。これを外に「天出し」します。
これが「天切り」の道具。釜の係の仕事になります。夜明け頃の作業ですね。最後に私が仕事を終えて出発する際に撮らせてもらいました。坂口さんは世界中をバックパックで歩き、山岳も海のダイビングや釣りもこなし、自由な世界観で自然や人々を見続けて来た人と言えます。ネパールでヒマラヤをロングトレールされた話など、とても刺激になりました。こうした旅を息子としてみたいと強く思いました。が、いまの農業の現実で、1か月というようなスパンで海外を歩くということは、なかなかできることではありません。そういう生き方を選択する人には敬意を抱きますし、しっかりした考えといろんな努力の上に成り立つこととも思います。
まもなく寒天の仕事は終了するわけですが、そのあとはヒジキの作業を少し行った後にタイへダイビングに行くそうです。家族を持ち定住する時期も近いのかなとも感じましたが、冬以外の3シーズンは山小屋で働くそうで、ぜひ時代に合ったセンスで山小屋経営をなさって成功していただきたいものです。
折りしも、長野だけのテレビ放送で、槍ヶ岳山荘の4代目(30歳)が東京での仕事を辞めて代々継ぐ山小屋にスタッフ入りしたという1時間番組を見ました。私が槍に登った頃は2代目の穂刈貞雄さんでしたが、この放送の収録直後に亡くなられたそうです。
彼一人のことではありませんが、なかなかわれわれには真似のできない生き方に出会いました。これからのご発展を祈ります。
さて、野外に天出しされた直後の寒天です。長野県茅野市は雪がほとんどなく湿度が低く、最低気温も−8度と、寒天作りに適した気候です。ここで強い寒気に晒して良い寒天が熟成されていきます。なお、軽井沢などの茅野諏訪よりもっと寒い地域では、寒すぎてまた適さないという話でした。県北部も雪が多くてダメです。
青空のもと、寒天がいい感じで並んでいます。岩手と違って、特に晴れると日中の最高気温が高いです。晴れれば春のようです。
さっと雪が積もることも当然ありますが、こうした時は竹ぼうきで払ってやります。作業しているのは「庭」のセクションの人たちで、最も多く15人くらいいます。天出しされた寒天を並べ替えたり、運搬車で移動させたり、最後は奥に見えるハウスで乾燥させたりという作業を行います。草の部門は私1人でして、孤独なセクションではありました。そのため、洗って漬けた草を水槽からコンテナに入れて釜に送る作業はこの人たちの支援で一気に行っていました。
タバコ休憩スペース。急な階段を上ると居住地区です。私は携帯がないため、電話はこれです。2週間に1度くらいはさすがにネットカフェに行きました。そこはソフトクリームが食べ放題なのが良かったですね。これからはやはり携帯がないとやっていけないし、便利かどうかとかいうよりも社会の仕組みから目を閉ざす行為とも感じられ、必要性を痛感してきました。ネットでの農産物の販売の面でも、たまに携帯からの注文があって、こちらのパソコンからのメールが先方に届かないといったことがあります。メールのチェックも携帯があればメールサーバーに入っていって送受信可能ですし、こうした出先での交通面や行き場所の検索も必要になりますね。来年の冬に向けて、本気で準備を考えたいです。
住み込みの人が入るお風呂は、普通の家にある大きさで1人ずつ入ります。キャリアによって順番が厳格に定められており、相撲部屋のようです。多くは夕方5時までの勤務なので、4時に終える私は2時に終わる釜の人たちの次に風呂に入って5時までには上がるようにしておりました。
とはいえ時々は車で温泉にも出かけます。ここは10分くらいのところにある「望岳の湯」という温泉で、八ヶ岳が見事に一望できる場所にあります。写真では感動を伝え切れませんが、良いですね。信州の山は。夕暮れ時、雪の波打つ山肌が神々しいです。
工場から歩いて5分くらいのところにホームセンターとスーパーや百円ショップ等があり、便利でした。道路は国道20号。甲州街道ですね。沢内にいるとねじ釘1つ買うにも不便でしたので、店が近いありがたみが痛感されます。メモに控えておいたタラノメ用の資材器具も茅野で買って帰りました。
信州大学生の頃にあった「松電ストア」は「デリシア」と名を変えていま風な感じになっていました。時々は酒も買い、せっかくなのでよそ製の焼酎やビールでなく地酒を買いましたが、木曽の「七笑」が自分には合いました。学生の頃「一升瓶のワイン」を「コンパ」とかで飲みましたが、これは健在でした。
そんなわけで、2月15日に終了した後は1日松本を旅し、山形での研修会を挟み、2月18日夜に帰宅しました。その後はタラノメ作業や申告の作業、子どもたちとの約束だったディズニーランド行きなど実に多忙で。。積雪は3mになっており、山ぶどうの這うハウス(パイプのみ)は山ぶどうの上に雪が乗ってパイプが潰されました。ここでは山ぶどうは無理と断念し、春にパイプを抜いて、ジャガイモやニンジンの露地スペースに改めます。
タラノメは去年後半に失速した経験を踏まえ、最初に書きましたが3月〜4月に集中してしっかり出す計画で伏せ込みを続けています。その様子、そして長野でのエピソード(遠足)等はまた改めて記事にします。
20人を雇っての寒天工場でしたが、経営者は私たち個人事業主と同じ延長の、いわば農家さんのような方です。経費も投入し規模はもちろん私たちとは比べようもない経営でしょうが、夏は田んぼとかもやりながら、営業の旅に出たりもするそうです。その点はわれわれ農家とは夏と冬が逆転した格好ですね。この近辺が発祥の地と言われ、江戸時代から続いているとか。見学に来る人も多く、そういう人には外から丸見えの施設内で1人いる私が声をかけられます。羊羹に寒天が使われていることを初めて見学者に教えられて知った次第です。
農機屋さん情報によると、寒天作りの際は、水の確保が一番だそうです。蓼科の方からではなくて、霧ヶ峰の方から流れてくる地下水脈が良い水だという話も聞きました。
さて、今回の写真に掲げたような昭和のスタイルの寒天作りが今後いつまで続くでしょうか。30kgや50kgの乾燥草を水に投入し、ホークを使って水槽から草をコンテナに入れ、コンテナから洗浄機に入れ、洗浄機からコンテナに移してそれを次の水槽に入れ、2日後に水槽から出してコンテナに入れ、それを釜に送る。地道な作業。労働とは何か、を考えさせられます。休憩時間は特になく、話をしたり、あるいは機械のトラブル等があって作業が止まれば、その分遅くまでかかるだけのこと。「時間」で動く「庭仕事」の人とは違い、1日分の作業を終わらせたら終わり、のスタイルです。ちなみに働いている人は、ほうれん草やりんごの農家(地元や青森から)、漁師、庭師、山小屋で働く人(先の坂口氏)、たまたま仕事の切れ目だったので来た、などという人たちでした。
私の担当は「水舎」と呼ばれる草(テングサ)を洗う仕事。農業のように果てしのない作業ではありません。1日分の工程が終われば自由だし、あれこれ悩むこともありません。農家は先行きのことをいろいろ考えて不安になります。このタラノメは無事売れるのだろうか。その前にちゃんと物になるだろうか。機械は壊れないだろうか。寒天の経営者もそんな忙しない気持ちで従業員に指示を与えながら激動の4か月を乗り切っているでしょう。
冬の仕事の何かヒントになれば、との気持ちもあって長野に出かけました。ただ寒天はこちらではできないし、規模がやはり個人として真似できるものでもありませんでした。しかし懐かしい信州で、出会った人たちと会話しながら過ごせた70日は貴重な体験でもありました。休みは途中1日しかなかったので、お金を稼ぐ条件というのは良いと思いますが、コツコツ続く重いコンテナを休みなく引き摺り回す作業は、農家でないと苦痛かもしれませんね。
沢内で当初にお世話になったおばあさんの言葉を思い出しました。
「おばあさん、そんなに休まずに動いて作業して疲れないですか?」
「動きながら、休んでら」
動くと休むは普通は別なので、寒天庭仕事のように「休憩」が必要ですが、農家は動く=休むを同時に行っています。だから、休まずに1日を過ごし、それを何十日も続けられた。登山も同じですね。仕事とプライベートは別ものではなく、一体化していて、それが「暮らす」なんだ、と思っています。でも、このおばあさんの言葉を思い出し何度も反復しながら作業をしたので、そのおかげで71日の連続無休日無休憩の労働の日々を、何とか終えることができたのかもしれません(くり返しますが1日だけ休み、ドライブに行きました)。
お土産にいただいた角寒天を食べて元気に春を迎えたいと思います。
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突然に50cmの積雪が来て、外仕事は強制終了の沢内です。りんどうの秋じまいを終え、ハセの片づけをすませ(1日仕事)、前日にはブルーベリーや庭木の雪囲いを慌ただしくすませた直後の積雪で、ぎりぎりセーフといった感じです。特にブルーベリーは幼木もあり、これだけ降られては棒に縛っていく作業自体不可能でした。
残るは、タラの木の伐採です。これは一度積もってからでも良いという気持ちで最後の作業にしていたのですが、さすがに50cm積もられると、畑を歩くのも容易でなく、伐採する切断点が雪の下になっていて、よろしくないのです。運搬車も入ってこれませんしね。
雪をかぶった軽トラは、夏タイヤでもあり、とりあえずこの状態でしばらくいてもらうしかありません。タラの運搬が終わった後に、運搬車を荷台に乗せてから奥の作業舎に入庫し、春まで冬眠です。
タラの木の伐採ができないので、まずは屋内作業を進めます。夕暮れ後の作業として進めていたスライスにんにく用のにんにくの準備がまずはまとまった量になったため、加工作業を進めました。
今年正月過ぎの時の写真ですが、モーターで回転する切断機を使用します。回転刃は厚さ2.0mmを使用。付属していた0.8mmの刃では薄くて乾燥後にくっつき合ってしまいます。薄いスライスを手で揉み砕いた状態にしたものもそれなりに良さそうではありましたが、ここは形がしっかりした力強さを持った形状が良いかと、2.0mmを選択しました。2kg程度の材料を準備しましたが、切断作業は一瞬です(2分くらい?)。
今回は「八幡平系」を使用。八幡平系の特徴は、とにかく出芽が遅いこと。出根は標準的に始まるのですが、根の部分は切り落として使用しませんので、これは問題はありません。これから年末になってくるとホワイト六片とかだと芽の緑色が混じったりするので、見た目上も八幡平が適しているかもしれません。特有の茶色い薄皮が混じっていますが、出荷の時には取り除きます。
スライスにんにくの1番面倒な点は、りん片まで完全に皮むきをすることです。当たり前のことですが。。八幡平や八木ではりん片とにんにく実質部の間にだんだんと隙間が空いてくる傾向があります。そのため、一晩水に浸けてやると、割と簡単にするっと剥けてくれるのです。ホワイト六片は皮が実質部に密着していて、皮むきは大変な部類になります。
サイトでも書いておりますが、にんにくの鮮度は、必須である氷温貯蔵していても最大で3月まででして、4月から収穫時の7月まではこのスライスにんにくで食べていただく形になります。青森の産地では特殊な技術を駆使して周年芽が出ないような処理をするのですが、私にはにんにくへのかなりのダメージを与える処理と思い、「自然な形のにんにく」から遠ざかった行為のようにも見えます。
かえってまだ鮮度を保持しているいまの時期にスライス化して、風味を閉じ込めてやりたいと思っているところです。同じことは黒にんにくにも当てはまり、鮮度の良い状態で仕込んだ作った方が良いと思います。両者とも1年くらい何ともないので、早い時期の仕込みが肝要かと思っています。
さて、今年は、自分としてはブルーベリーが割合採れた方でして、在庫を冷凍にして貯蔵しているのですが、この機会に「ドライブルーベリー」にも挑戦してみました。
2kgくらいでしょうか、ジップロックから取り出して水洗いし(収穫後初めてここで水洗いです)、トレイに並べます。
食品乾燥機に入れます。にんにくもですが、40度の設定です。にんにくの方は15時間で、ブルーベリーは実に48時間とのマニュアルの記載に従い設定します。
こちら2段階で試験してみます。柔らかめの方は33時間くらいで取り出し、固めにする方はそのまま48時間乾燥にかけ続けます。せっかくなので、両方の仕上がりを見てみたいと思います。
仕上がりました。乾燥後1日経ったこともあり、見た目の違いが薄れていますが、33時間の方はやはりしっとりとしています。どちらが好まれるでしょうか。貯蔵性は48時間乾燥と思いますが。。
さて余談ですが、末娘と仙台までサーカスに行って来ました。前にも一度盛岡へ来たサーカスに行った記事を書いたことがあります(2010年9月)。その時にも書いたはずですが、私自身、幼少時に見たサーカスの記憶がずっと消えないで残り続けておりました。普段会話や何かで表立って思い起こすことはないとはいえ、脳裏に深く焼き付いているビジュアルです。
前の時は末娘はまだ1歳で、記憶にないので、今回は良いチャンスと思いました。この日11月19日はしかも大雪。上の2人は用があったり、まあもういいかなという感じで、結局末娘と2人で。今年初めての本格的な雪道走行で高速を南下しました。北上を過ぎ金ヶ崎辺りまでは完全な雪道で、前沢の辺りで雪は消えました(時折降ってはきました)。
寒い日ではありましたが、決心して出かけて良かったと思います。雪道走行で当初予定より到着が遅れ、自由席がなくなってしまい指定料金がかかってしまったのは、地元からの気軽な参加に比べて、ちょっと悔しくもありましたが、仕方ないことでしょう。
10時半からの2時間の公演は、世界中から集まったサーカス員の素晴らしい技の数々で、感銘を受けました。特に冒頭の意表をついた空中ブランコには、ああこれがサーカスの感動なんだ、と感じ入りました。写真は、終了時に出身国の国旗を持って挨拶するシーンです。遠い国からはるばる仙台までよく来てくれましたね。サーカスの人生はディズニーのイメージでは辛そうな感じだったりしますが、子どもの頃から旅を続ける人生なんでしょうか。学校とかは? 団長というのは太っていて金の勘定ばかり考えている悪者イメージとは違うのか? などと思ってしまいます。
ディズニーランドのパレードやショーにも同じことが言えるかもしれません。幼少時のこうした光景は、きっと生きる糧になってくれることと思います。
サーカステントの近く、三井アウトレットパークのフードコートでラーメンを食べて、それから、八木山動物園へ向かいました。前に息子と来た時もですが、八木山への道は分かりづらいです。迷いつつ到着したのは午後2時半で、閉園の4時まで時間がない。。。けれど、結果的には1時間半で全部普通に歩いて見学できました。盛岡の動物園は爬虫類が少なく、ここは爬虫類館があるので、これはまず優先して見て来ました。
最後に見たゲレザ(アビシニアコロブス)。珍しいですね。ちょっと分かりにくい通路にあって、見落とす方もいるかもしれません。閉園4時ギリギリといった時間帯。そしてこの後もう少しお土産コーナーもゆっくり見たかったですが、まずは去りました。
ところで、今年の初夏頃からですが、作業中腰を強くひねった時より、お尻の筋肉の奥の方に鈍い痛みを感じておりまして、それがこの11月になって急に悪化し、現在回復を目指しストレッチに励んでいます。どうもお尻の内部にある梨状筋という筋肉の筋膜を痛めてしまっていて、それが坐骨神経を通じて同じ側の太ももの裏側にも関連痛を招き、さらにふくらはぎから指先までも痺れを感じたりと、結構重篤な痛みでした。
病院で2度「トリガーブロック注射」を打ってもらい、昨日あたりから少し改善した感じです。りんどうの片づけ作業も辛かったですが、軽トラの荷台に積んだりんどう残骸をゴミ捨て場で投げ捨てる時、雨続きで重くなったりんどうのカラを適量束ねて持ち、ゴミ場の側へ捨てる時の体をひねる動作が痛く、大変でした。りんどうを刈る時の草刈り機の刈る動作もこたえました。
また、続いては稲の乾燥脱穀が終わったハセ棚をほぐし、棒を2本ずつ脇に抱えてズルズル搬送し、作業場の2階へ立て掛けて、その後2階に上がってその棒を引き上げて床に並べる、という作業。休み休み、足と尻をいたわりながらの作業です。
この作業です(おとどし)。少々雪があっても構いませんが、ないに越したことはないです。
草刈り作業、あるいはスコップで掘るといった作業など、体をひねるという動作が多い農作業です。ふつうに歩くだけならかえって梨状筋のストレッチになって、回復も早かったかもしれませんが、農作業のいろんな動きが結局痛みを持続させて回復を遅らせたことでしょうか。仕方ないことですが、結果積雪直前に間に合ったので、良かったです。。そして今回雪が降ったことでかえって安静の静養を判断し、コタツや風呂で十分に温めた状態でいろんなストレッチをやりました(コタツは4足の下に木片を入れて台を高くします)。サーカスの日までは辛かったですが、その翌日に病院で2度目のブロック注射をしてもらい、雪のためゆっくり静養し(スライスにんにくを作りつつ)、リハビリだけに徹したことで、回復を見ているという状態でしょうか。
農家は体が資本だし、秋の繁忙期・稲刈りの真っ最中にこのような痛みを抱えてしまっては大変なことです。これを機に、梨状筋だけでなく、足腰全般についても、日々ストレッチをすることの必要性を感じました。繁忙期には気にかかる目前のことが山ほどあって、自分の体の数分のほぐし作業も難しく感じますが、結果的に「永続農業」のための大事な要因であると、認識せざるを得ないところです。年寄りたちが、手押しカート(老人カート)を押しながら歩くと楽だ、と言っていたことを実体験することができました。同等の痛みを抱えた農家は多いと思います。長年体を酷使してきた年寄り農家たちの気持ちが初めて理解でき、そうした人の気持ちの側に立つことの必要性をも改めて痛感した次第です。
雪が止まらず、午前午後の雪かきも25日土曜日から本格的に。それにしても気にかかるのは、タラの木の伐採ができないこと。。せっかく無理やり運搬車の轍を付けて1/8くらい分は運び出してのですが、また運搬車の入れない雪深さになり、途方に暮れています。気温がずっと低いので、少々の雨では溶けてくれそうになく、根雪になりそうな勢いです。雪の中にノコギリ(剪定鋸)を差し込んで手探りで位置決めして伐採し、現場で10本強に束ねてズルズル雪上を引いて除雪された道路まで出すか(約100m)。しかも軽トラは夏タイヤでしかもパンク気味。。幾多の難関が待ち構えています。。
去年はこんな感じで畑に入れ、楽勝でしたが。
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今年も紅葉の時期を過ぎ、慌ただしく秋じまいを進めています。いつも春に写真を投稿している山桜も綺麗な紅葉となり、春のピンクと異なって、周囲の木々と同化しています(写真中央やや右下)。晴天が極めて少なかった今年は、紅葉もイマイチ精彩を欠いているところでしょうか。既に収穫期を過ぎた白りんどうと、まさに収穫が終わる淡い紫のりんどう(最後に咲く品種)も、秋色に色添えを与えています。
10月の上旬にいわてっこから刈り始めた今年の稲刈りですが、ずっと雨続き。石カラで干せ気味のこの写真の田のみが唯一まともに機械が入れたという状態で、あとはぬかるんで大変な稲刈りでした。
干せ気味の田は結構良い稲になっており、泥で汚れず綺麗な稲束になっています(あとは結構汚れました)。チェーン除草機とエンジン除草機の併用で、今年は草も例年よりは抑えられています。
そして、晩生品種のひとめぼれは今年は12アールの田1枚のみでしたが、冷夏と雨続きで登熟が遅れ、適期かという頃にちょうど先週の台風21号で延期。その時の雨が田から抜けるのを待って、やっと26日に稲刈りができました。隣のタラの木は紅葉が進んでいるところですね。
ここまで遅れた稲刈りも初めての経験でした。実際籾摺りまで進めてみないとわかりませんが、稲刈り時期をじっとを待つことで、今年の天候でもそれなりの米になっているとしたら、ここ沢内でもひとめは問題なく栽培できることの実証になります。
今年から、いわてっこ・ひとめぼれともに価格を600円/kg(玄米で)に改定させていただきました。HPでお米を販売するようになって初めての改定になりますが、それは主にこのハーベスタの購入によるものです。玄米での販売が多い当園では、白米の出荷時以上にお米の品質が気にかかります。アラ(籾)やくず米、異物などを的確に取り除いて品質を保つためには、このハーベスタと籾摺り機、選別機を備えた計量器の3装置がきちんと正常に稼働してくれることが必須です。欲を言えば、色選機(色彩選別機)があれば完璧でしょうが、これは目玉が飛び出るほどの価格で、われわれ小農家の手に届くものではありません。近所の所有者に頼むこともできなくはありませんが、玄米の30kg袋を1つずつ開けて色選機に通していく作業は、とても面倒がられることです(彼らは最初から乾燥機より落ちてくる籾摺り機ラインに接続して色選します)。カメムシ害の除去に一度お願いしたことがありましたが、確かに面倒をかけました。
紅葉のブルーベリーです。今年のブルーベリーは、カラス対策にネットを掛けましたが、これはある意味、失敗でもありました。ネットを掛けるときに網目が実に引っかかって随分落果させてしまったし、8月後半に行っていた園地の草刈りが、ネットやパイプ支柱の設備が邪魔でできず、最終的に草が伸びてネットと絡まり、結局ネットは取り外す際に大半がぼろぼろに破れてしまって、焼却処分となりました。カラス対策は必要ですが、来年はネットはやめることにします。設備を取り外し、草刈りをして、やっとすっきりした園地に戻りました。
ネットを掛けるために譲られたパイプ支柱は、来年はにんにくの乾燥に使えないかと思案しています。
泥まみれになったバインダーを洗浄し、出荷が終わった作業場内は、農機収納モードに移行しています。農機を入れていたハウスは雪が降る前にビニールを剥がさなくてはなりません。一部稲を干している乾燥ハウスも同様です。りんどうの片づけもあり、秋じまいは実に大変です。春に設置して秋に取り除く。雪が降らない土地から見れば、毎年繰り返されるこの作業の時間は膨大なロスとも言えますね。
ブルーベリー等の雪囲いとタラの木の伐採、稲扱きが終わったらハセの片づけもあり、冬はまだまだ来て欲しくないところです。
もうひと頑張りです。
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岩手食文化研究会で、6月頃から企画を温めていた、西和賀の料理人鈴木智之氏の手による食事研修会を10月15日日曜日、沢内太田地区にある「遠巣谷の森文化交流センター」で開催しました。
この研究会では、今年の6月に、「次世代に残したい岩手の食材30選」続編(前編は既刊済み)を発行し、私も編集に携わっておりましたが、編集会議等で西和賀の食材の話題が出るたびに、湯川温泉の高級旅館「山人」で料理長をされていた鈴木智之シェフの話題になりまして、実際、熊肉についての記事の執筆に当たっては、この鈴木氏にジビエを含めた熊肉についての取材を行ったりもしました。私たちの中では、鈴木氏は伝統食の枠組みとはまた異なった、まさに現在の西和賀の食の中心的なプレゼンターであるという認識が生まれておりました。
鈴木氏は既に「山人」は退職され、現在はパン工房「コルヴァ」を主宰し地元の数点の店舗でのパンの販売をメインにされつつ、こうした食事会の求めにも応じてくださるという活動をなさっています。
工房はあっても、店舗や食べるスペースをお持ちではないので、今回は、この鈴木さんにとっても、私にとっても馴染みのあるここ「遠巣谷塾」を定期的に開催している小田島弘枝さんのお宅を会場にお借りしたのでした。私が鈴木氏に会って、今回の食事会のお願いを申し出たのも、ここでのセミナーの時で、その時のセミナーは「三閉伊百姓一揆」がテーマでして、鈴木さんは「百姓一揆を表現した」というパンを参加者に配布してくれたのでした。農民の魂の湧き上がる噴火のようなイメージだったでしょうか。。
写真がありましたので、お付けします。
小田島さんは長く東京でスタイリストの仕事をされた方ですが、沢内出身のご主人とともにこの地に住まわれ、震災後、主に私たち西和賀住民を対象にした広く歴史、芸術、文学、健康といったテーマについて、第一級の講師を招聘してセミナーを定期的に開催していらしゃいます。
こういう素晴らしい場所で、鈴木シェフの料理を堪能し、西和賀の食についてや、ご自身のこれからの展望などを語ってもらったひと時でした。12月よりレストランを立ち上げたいとのことで、愛好する開高健氏の料理を辿りつつ、かつ縄文イメージをベースにした食の場を提供される計画と聞いています。期待も高まりますね。
料理の概要はこんな感じです。ちなみにテーブルとか調度品などは、既に亡くなられた小田島さんのご主人の手によるものです。ご主人もまた東京で、サントリーのCM作家として、まさしく開高健氏が出演するウィスキーのCMを数々手がけてこられた方です。絵画の技もすばらしく、陶芸や木の作り物などもご自分でなさる方でした。絵本童話も出版されています。
そういうロケーションで、料理も映えますね。まさにここが西和賀の文化的発信の拠点になっていくのではないかと私は思っております。
本職はパン屋さんなので、今回、当園の南部小麦とライ麦を使ってパンを焼いてもらいました。自分の小麦で作ったパンを食べるのは初めてのことでした。
こちらは熊肉になります。全然固くないし、臭みもありません。
こちらは、鈴木氏自身が一番うまくいったという湯田牛乳ヨーグルトを使ったメニューで、ウサギの肉が入っておりました。
これは、お通しという感じの皿で、これもまた芸術的です。お皿の右上に盛られた黒いものは、当園の黒にんにくをベースにしたシェフ特製のソースです。実に美味しくて、何にでも付けて食べたくなりました。こういう美味しい独創的なものを、どんどん商品化してほしいです。シェフご自身の特製ソースを何通りかお持ちですので、それにより他とは違うオリジナルの料理になっているんでしょう。
さて、この食事会の前に、研修先として、南部地鶏を飼育している農場を訪れました。秋田の比内地鶏よりは有名ではないかもしれませんが、岩手の鶏として、知名度もそこそこにはありますし、農場を経営する高橋雅一さんに忙しい中、説明をしていただきました。最近、専用の解体工場も整備されて、これから本格的に売り出すというところです。このお肉も食事会のメニューに入っておりました。
最後に、せっかく盛岡から足を運んでもらったので、参加した会員さんには、帰宅時に篭制作工房「若畑創作館」を見学してもらいました。前は当園のホームページでも篭の注文を受けておりましたが、近年はあけび蔓などの素材を取りに行ける人がいなくて、在庫があまりないという状況が続いており、当園でもHPでの受注をやめました。ただ細々とは続けているので、ゼロというわけではありません。
お年寄りの活動になるのですが、夏場には畑仕事をして、冬に篭を編みますので、秋である現在が一番在庫が乏しい時期になります。一冬越えて春先になれば、もっと陳列も増えていることでしょう。それなりに素材の蔓も集まってきているんでしょうかね。
こうして、沢内を舞台にした研修会は無事終わり、段取りをした私の肩の荷も降りました。
次回は稲刈りの話題になります。今日の台風も含め、10月は天気がとても悪く、まだひとめぼれの1枚が残っています。先にりんどうの片づけ作業に着手しており、廃園にする場所のネットや支柱を取り除いたり、来年も残すりんどうの花茎部分をもぎ取って、ネットを一つに重ねて上げて、取り外しする準備を行っています。りんどうの収穫は、明日最後の1箱を出荷して、今年は終了です。昨夜は最後の出荷用の結束をして、すぐそのままフラワーバインダーの清掃に着手し、機械の内部や下に落ちたりんどうの葉の屑などをきれいに集めて掃除しました。ちょっと早めに夜なべをやめて、選挙特番を見て、という感じです。だんだん夜なべも早めに終わるようにはなってきました。
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秋の繁忙期真っ只中です。当園では彼岸向けりんどうの出荷が大きな作業内容ですが、現在はまず需要期の出荷は終了し、りんどうとしては極晩品種に移行しております。が、これも結構忙しくて、時に出荷するにんにくの皮むき作業も加わりながら、相変わらずの夜なべ作業の続く日々となっています。りんどうの出荷が途切れることはないですが、そうした開花がつながっていく作付けにより、高い時も安い時もある中で、トータルではならした販売額になることが狙いでやっております。もともと一人の作業なので、ピンポイントの時期を絞って大量に出荷をすることはできませんし、そこで外してしまっては、目も当てられません。。
さて、この彼岸りんどう出荷といつも重なってくるのが、ホワイト六片の植え付け作業です。生もので需要期のあるりんどうがどうしても優先されて、ホワイト六片の植え付けは後回しとなり。。そのうち当地ではすぐに冬が来て、雪解けを迎える春は遅く、結果、小さいにんにくの収穫になってしまいがち。
そうした困った連鎖をどうしても克服したいと思っていたところ、地元の産業公社職員の瀬川君が中心になって、植え付け体験会を呼びかけてくれまして、9月16日、10名を超える人たちが集まってくれました。
いままで、こんな秋の早い時期に植え付けたことなどもちろんありませんでした。多肥で大玉を狙うのではなく、栽培期間を長くとることで大玉を得る。これは自然でかつ賢明な選択と思います。早い時期に植えたことで、実際収穫時にどう反映されるのか、それを試してみたくて、この16日という早い段階の日を選びました。ホワイト六片の休眠が醒めてすぐという最も植え付け一番乗りの時期になろうかと思います。
集まってくれたのは、県職員、「食べる通信」の編集さんや県内の協力隊の方、東京から来ていただいた学生さんやお勤めの方、湯川温泉「鳳鳴館」の主人、といった主に若い人たちで、先に触れた瀬川氏のつながりで集まってくれた方々です。
ちなみに、写真右上には、ドローンが写っております。
これが飛び立ったばかりのドローンでした。上から植え付け風景を撮影しています。
https://www.facebook.com/events/316604922144367/?
↑こちらで、「すべての投稿を見る」のボタンを押すと、その動画が見られます(「食べる通信」山下さん撮影)。その他のこの会についての記事もご覧いただけたら幸いです。
植えるに先立って、まずカケラ割り作業があります。ここが結構大変なのですが、私はりんどうの作業をやらざるを得ず、完全なお任せで、大変申し訳ありません。
にんにく植え付けはホワイト六片のすべてと、八木の2/3くらいを完了することができました。あとは八幡平が残っていますが、これはまだ休眠中なので、もう少し先になります。全量の半分を超えるホワイト六片が植え終わったのは大きな成果でした。
また、もっと大きな成果だったのは、集ってくれた若い方々との交流でした。当日の夜は、湯川温泉鳳鳴館で打ち上げ懇親会を行いましたが、いろんな職種の熱い方々でして、遅くまで盛り上がり、本当に良い体験をすることができました。
にんにくを植えていただいてありがたかった、ということはもちろんなのですが、単に「援農」目的でお願いしたということではなくて、共に土を触りながら、耕すことの意味や現代に生きる我々の存在理由みたいなことを感じ合い、語り合える「場」であることが大事だったと思っています。
「グリーンツーリズム」とは何か、を考える時、お金をいただいて、楽しんでもらえるおもてなしをする、というようなアプローチでは長続きしないし、農家にとっての作業上のメリットは必要です。同時に、その作業を通じて何かを得て帰ってほしいし、野良の暮らしの息づかいみたいなことを感じ取ってほしいと思います。今回は、そういうことが共有できた、とても貴重な一日だったと思います。いつもこうはいかないかもしれませんが、良い巡り合わせだったのでしょう。農家の側としては、そろばん勘定で面倒な作業をやってもらおうなんて考えず、参加者の人たちから何かを学ぼうという姿勢が大事なのではないでしょうか。ふだんポツンと圃場で過ごしているのですから、こういう機会は知見を広げるチャンスですね。
もっとも、グリーンツーリズムの時だけ、別の顔をするというのではなく、普段の「農」に向き合う姿勢も同じでいたいものです。結局ビジネス性やお金の収支部分が、生きるための手段としてでなく、目的になってしまうような農「業」を考える時、最終的には行き詰まってしまうのではないか、というのが私の考えです。特に有機農業のジャンルは、「野良とは何か」みたいなことと深く合体しているのではないかと思います。
いわゆる「業者」が有機分野に参入するというような時に、ある種の不信感を感じてしまうのは私の偏見かもしれませんが、ビジネス意識が先立っているでしょう。できた商品性だけで見れば、誰が作っても農産物は農産物ですが、何を見据えて耕しているのか、に、こだわりを持ちたいと思うところです。「有機でやりたいから、有機でやる」というのがストレートで好きですね。
さて、今年は本当に天候不順だった夏でして、ビニールハウス内に掛けていた小麦の乾燥も進まず、雨に当たってもいないのに、困ったものでした。やはり日照は大事なのですね。そして8月末の晴れの日に1か月の乾燥期間を経て脱穀し、9月になってやっとゴミ取り選別をして出荷準備が整いました。
これまで小型の籾摺り機(米で使っているのとは違うもの)で選別していたのですが、どうも玄麦に傷を付けてしまいそうで、今年は以前のやり方に戻してみました。もともと量も少ないし、結果は綺麗に仕上がったと思います。
最初にフルイに通します。この工程をカットしていきなり唐箕に投入しても、結局何回もやり直さなければならなくなります。
次に、唐箕です。久しぶりに使いましたが、残ったゴミがきれいに飛ばせ、良い玄麦が確保できました。
ところで、当園ではにんにくと小麦を毎年交互に輪作しております。農薬を使わない当園の農法では、産地で行っているいわゆる土壌消毒のようなことはもちろん一切しませんので、土壌病害は最も恐れる点です。これを回避するために、今年の秋から来年の夏まで、小麦を一作休み、水張り水田にすることにしました。何年かに1回、必要な対応と思います。
簡単に代かきして水は張りましたが、来春に稲の作付けはできません。作付けすると、秋のにんにく植えに間に合わないからです。7月中に水を落として土を乾燥させ、9月ににんにくを植える予定です。
そのようなわけで、小麦はこの秋は、種子を維持するためにアリーナのみ小面積播いて、南部小麦は播けませんでした。来年の小麦の販売はできなくなりましたが、再来年には、また復活させますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
また、にんにくの種子としての販売も、本年で終了しようと思っています。万一、病害を受けたにんにくを販売して、買ってくださった農家の畑にまで影響を及ぼしてしまっては、申し訳ないことです。外観では病害はわかりませんので。。また、彼岸りんどうで夜中まで出荷が続く9月の時期に、植え付けに合わせ日時指定され出荷準備をするというのも、作業上辛いことでした。こうした種苗用にんにくはにんにく専業の方に任せることにして、当園としては、家庭消費向けの小さくても風味を好んでいただける食用利用の方に出荷していきたいと思っております。
さて、春に花を咲かせたやまなし(ハンベエナシ)が、実をならせました。全部の木ではありませんが、とりあえず、手の届くところまで頑張って収穫しました。
手前の木は熊にやられ、その体重で木は傾いて、枝も折られております。既に田も熊被害に遭っております。
落ちた実が完熟していて良いのかと思っていましたが、木に付いたまま採り遅れてシワシワになっているのもあったので、もいで採ろうと思った次第です。ただ、ラジオで梨農家が言っていたのですが、梨は素人では採り頃の判断が難しい。だからお客さんがもぐ観光農園のようなのはやらないんだ、と。今回適当に手を伸ばして採ったので、早いものも、過ぎたものも混じっているかと思います。この辺は見定める目を養っていかなければと思います。
うちの木(ハンベエナシ)は大きめです。時期は9月初めなので、早生になるでしょうか。
まだこんな量です。確かに青いものも混じっていますね。現在はにんにくと同じ-1度で貯蔵しています。これで、どう製品化していこうかと、少しワクワクして考えを巡らせています。
春に播いたポポーの種子が夏を過ぎてやっと出芽し、現在も育苗中です。このまま秋に定植しても、去年そうであったように確実に枯死してしまうので、発泡スチロール箱に入れて室内で冬を越させ、来年の秋に地植えしてやりたいと思います。こういう木の実系は大好きです。サルナシ、カシス、ラズベリー、ブラックベリー、ハスカップ、グミ、スグリなどなど、ブルーベリー以外にもいろんなものを植えて楽しんでいるところです。
稲刈りのためのハセ組み作業中で、午後も引き続き進めながら、りんどうの収穫も続けたいと思います。
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当園では一大繁忙期であるお盆用りんどうの出荷も終わり、ふだんの管理作業に戻りつつ、にんにく植え付けのための準備にも取りかかっています。
今年は予想外にブルーベリーが実を付けてくれました。剪定を怠っていたことで樹勢が弱くなっているということに気づいて、栽培書も読み手をかけてやり、3年かかって復活した感じです。いただいたご注文分の出荷は終えて、残ったものをお盆のお客を見込んで地元の産直に出してみようということで、子どもたちに採取からパック詰めまで全てやらせてみました。売り上げは3人で均等に分けるようにということで、夏休みの1日、頑張って取り組んでおります。
が。。結果的にはブルーベリーはあまり売れず、2/3を撤収してジップロックの冷凍室へ。。ふだん閑散の産直所もお盆だけにりんどうはしっかり売れたようなんですが、ブルーベリーは植木としてみなさん庭に植えているのかもしれませんね。
冷凍したブルーベリーが7kgくらいありますので、ジャム等にお使いになられたいは宜しくお活用ください。
突然やってきた8月の低温で、お盆休み頃に予定していた小麦の脱穀が進んでおりません。。水分も15-16%となっていて、かなり時間はかけて干しているのですが、目標の12%台には届かず、今後の高温晴天を期待しています。今日あたりでオホーツク高気圧は去っていくとの予報なのですが、どうでしょう。本気の晴天がくれば、一気に乾燥は進んでくれるのですが。。
出穂した稲の穂もなかなか頭を垂れてくれず、大事な時期の低温傾向に、東北では悩ましさを感じています。
今月中には脱穀・選別して出荷に漕ぎ着けたく、いましばらくご猶予を宜しくお願いします。
ライ麦も今年は販売しますが、作付けはもう終わりにしようかと思っています。最後のライ麦になると思いますので、よければご利用ください。
さて、天気は悪くても、次のにんにく植え付けの準備は進めなければならず、取りためていた米ぬかをしっかりと散布して、耕耘しました。これまでなかなか大きいサイズのものが採れなかった経験から、低温多雪のこの地域でそれなりのサイズのにんにくを確保するためには、とにかく早い時期の植え付けが大事であると確信し、この秋には早い植え付けを実行すべく、計画を立てています。
休眠の浅いホワイト六片が何よりも早く植え付けが必要で、当地では9月中旬が適期であると判断しました。具体的には3連休になる土曜日の9月16日になりますが、彼岸向けりんどうの最盛期であります。それで、初秋の奥羽の気候を感じてもらいながら、にんにくの植え付けの会を募って、希望者に作業を共にしていただくことを企画しています。
野良の暮らし方について語り合いながら、地元産の食材を取り入れた特製のお昼(弁当等)をお出しして、秋の一日を過ごしていただけたらと思っております。関心がおありの方は、どうぞご一報ください。参加費は若干いただくことにしようと計画者で話し合っていますが、にんにくでのお礼等を考えています。
そのにんにく圃場ですが、ふだんなら、7月の収穫後にすぐに雑草すき込みの耕耘をしているところ、今年はそれを待機しておりました。理由は、初の試みでしたが、小麦を植え生育中だった6月半ばに緑肥であるクロタラリアのタネを蒔いてみたことによります。クロタラリアは土壌センチュウを抑制したり、マメ科であることから土中に窒素を蓄えてくれる機能があるということで、指定の播種適期6月に、小麦の畝間に蒔いて、小麦収穫後(そしてにんにくの圃場になるわけですが)も引き続きある程度生育を遂げるのを待ってみたのです。
結果は、大した背丈にはならず、緑肥として十分な効力は発揮してくれなさそうです。クロレタリアは暖地向けのものなのでしょうか。気温が上がってから播種するとのことで、それを8月にはもうすき込みするというのは、作型として無理があったようでした。
土作り・センチュウ対策を考えると、7月の小麦収穫後すぐに粗起こしして水を張り代かきをして、お盆まで1か月弱掛け流し湛水し、お盆に落水して土の乾燥を進め、9月最初に耕耘して畝を作る、という計画が、ぎりぎりの行程ですが効果がありそうに思っています(水はけが良い圃場なので可能なことです)。
さて、お盆の終了とともに小学校は2学期ですが、2学期が始まって最初の土曜日に、お盆りんどうも終わったことで遅ればせながら夏休みを取りました。山形県立博物館で「粘菌」の特別展示を行っていたので、出かけてきました。
子ども向けの漫画伝記で「南方熊楠」を読ませていたので、粘菌の存在はわかっていました。展示室での撮影は禁止でしたが、熱心に見学してきました。
こちらは、常設展示にあった「ケサランパサラン」です。展示は貴重なものですね。
家に帰り、翌日に粘菌探しをしているようでした。木の葉に付着したこの物体、粘菌なのではないでしょうか。粘菌についての本もすぐ1冊取り寄せて、わが家ではちょっとした粘菌ブームになっています。
この鬱蒼とした奥羽の森には、きっといろんな粘菌が潜んでいるに違いありません。博物館の学芸員さんも、そうおっしゃっていました。
山形に来たということで、昼にラーメンを食べた後、教えてもらった情報で、午後からプール「ジャバ」に行って来ました。この屋外の75mの滑り台は気に入ったようで、何度も並んで遊んでいました。
室内にも結構大きめの螺旋のスライダーがあり、この2箇所を何回も何回も、でした。
山形は遠く、一般国道になりますし、時間はかかって疲れました。行きの車中では甲子園の盛岡大附属と愛媛との中継を聞き(12-7で勝利)、帰路では結構な雷雨にも遭遇しました。プールにいた数時間は夏らしい天候で晴れて、プール日和でした。
余談ですが、娘(小2)の自由研究で、近所の神社を巡るレポートを作っていました。撮った写真のプリントは私の係で、画質を調整し、L判にサイズを合わせて加工する作業は時間も要しました。
この辺では家ごとに神社を持っていたりしますので、裏山とかに結構こういうのがあるのです。年に1度はちゃんと神官さんを呼んで例大祭も行うのです。移住後最初の頃ですがそれに参加したこともありました。
夏らしい天候を期待しつつ、草刈りや、草取り等に励みます。
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8月に入り、お盆向け切り花りんどうの出荷が最盛期を迎えています(お盆商戦がスタートしたところ)。去年は極端に早咲きとなり、価格も暴落。。やっと今年のお盆は順調に需要に見合った出荷となりそうです。最大の出荷ピークが8月8日頃にくればピッタリというところでしょうが、どうなるでしょうか。
その出荷を前に、にんにくや小麦の収穫直前で、もうこの日しかないということで、子どもたちもまだ夏休みに入る前になりますが、7月8日に、姫神山ハイキング(登山)に出かけてきました。
この日は猛烈な暑さでしたが、さすがに山頂は幾分涼しさもあって、心地よい風に吹かれます。もっとも登りは山の形からしてとても急な斜面で、追い討ちをかけるようにアブの攻撃に遭いながらの、結構重労働な歩きでありました。山頂で、カセットボンベのバーナーで持参した水を沸かしてカップラーメンを食べました。
ちなみに、この頃は最大級の猛暑が到来していて、6月前半の強い連続の寒気で停滞していたお米にはいくらか取り戻しになったことでしょう。逆に涼しさを求めるりんどうにとっては、高温は開花の抑制に働いてしまい、開花の遅れが心配されました。7月の下旬になってようやく梅雨空が戻ってきて、大雨も降ったりしましたが、それで開花期は挽回し、どうやら無事お盆に合った出荷が叶いそう、という感じです。
子どもたちはこれまでほとんど登山はしたことがなく、今年は是非と思っていたので、まずは達成できたよかったです。ただ後で検索等してみると、姫神山は急な上り下りとなるために、レベルとして難易度がやや高いとのことで、小2の娘としてはよく登り切ったというところでしょうか。
姫神山登山は4時間程度で全行程を終えられるので、帰りに有名な「焼走り溶岩流」に寄り道してきました。これは本当に荒涼とした世界です。草が生えていないということは、何メートルもこの溶岩が敷き詰められているということでしょう。
コースは延々と続いており、帰路のことを考えずに奥に進む子どもたちでしたが、ちょうど展望台の所で車道に接していて、帰りは車道を歩いて入り口に戻ってきました。小1時間も溶岩流を歩いた気がします。歩く歩道は溶岩もこなれていましたが、それでも歩きにくい路面です。登山の後だし、車道を歩いてこれて助かりました。子どもたちは疲れも忘れ、普段あまりないレジャーな時間に気分も高揚していて、ハイになっているようでした。
帰りに盛岡市内で、昔懐かしい銭湯に入ってきました。
さて、あとはもうひたすら仕事漬けの日々で、夏の収穫期を迎えました。カラスに散々やられていたブルーベリー畑には、今年は防鳥ネットを張り巡らせました。つなぎ目のところを探せば入って来れる気もしますが、多分足の爪が網に引っかかって大変なことになるだろうと、賢いカラスならば想像し、近寄らないことでしょう。
にんにくは、まずはホワイト六片から。今年はやや小ぶりに思います。6月前半の寒気が原因でしょう。沢内は秋も短いし、春も遅いため、休眠の浅いホワイト六片については、とにかく早く植え付けすることが大玉を作る最大の要因と思います。休眠の深い八木や八幡平は10月になってからで十分ともいえますが、普段翌春になって初めて目が出るこの2品種について9月下旬に少量試験的に植え付けしてみたところ、八木については秋のうちに目が出ることが確認できました。
休眠の浅い順に、ホワイト六片を9月中旬までに、そして八木を下旬に、八幡平を10月上旬に植える、という体制を築きたいところです。いかんせん、中旬は彼岸向けりんどうの出荷、下旬は稲刈りが大きな作業としてあるために、労力の確保が最大の課題なんですが。。
八幡平を掘っています。町外から少しお手伝いに来ていただきました。
こちら、にんにくの皮むき作業をしてもらっています。県内の2家族さんが来園されて、作業を体験してもらいました。あいにくの雨で、もし降っていなかったら、にんにく掘りそのものを体験していただいたのですが。。このあと、バーベキューで昼食を楽しみました。
にんにくの次は、小麦です。こちらは刈り取った直後のライ麦ですね。ライ麦は続けるべきか、需要の多い南部小麦の方を増やして品種の数としては減らしていくか、思案しています。ライ麦を植えている畑は大変な石カラ畑で、やせてもいて、通常の小麦は背丈も伸びず、バインダーで刈り取れないという。。ライ麦しかできないような畑なので、どうしたら良いでしょうか。
こちら、最後の刈り取りはスイスから来た極晩長棹品種のアリーナです。小6の息子はバインダー作業を稲刈り時にマスターしてくれたため、今回はアリーナの刈り取りを頼みました。私は奥の畑で八木にんにくを掘り取り中です。収穫適期でもあり、とにかくりんどうが始まる前に駆け込みで作業を進めます。
にんにくと小麦の収穫が終わった先月28日に、毎年恒例の志和稲荷神社に行って来ました。移住して来た最初の頃に、近所のおばあさんたちを乗せて行く目的で自分も参拝するという感じだったのですが、高齢でおばあさんたちが行かなくなってしまった後も、習慣という感じで毎年参拝しております。境内には巨木の杉があり、この辺りの散策も楽しいです(写真)。
その後、盛岡駅前のマリオスでバイキングを食べ(年に1度の恒例)、その後プールに行きました(「ゆぴあす」という、ゴミを焼却する時の熱で沸かすお風呂とかを運営する施設です)。
プールの帰りに街中で見かけたゴジラ像です。交通量が多いところで、撮影に苦労しました。
神社とプールで束の間の休息を取ったあとは、もうひたすらりんどう採りの日々となります。。
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バタバタと田植えも終わり、田んぼ関係ではとにかく除草のシーズンで、田植え後5日目くらいから久々にチェーン除草を行っております。除草機にワイヤーロープを付けて畦畔から引っ張ります。うちの田はどれも小さくて、最大でも12アール。写真の田は7アールです。
向こう側は農道があるので、ホースを90度回転して向きを変えるローラーを通して、軽トラで左方向にバックして引きます。こちらは山側なので車で引っ張れず、人力で引っ張ります。除草機は2mもので、5年くらい前に作成したものですが、田の中を漕いで引くのがやはり辛く、しばらくやっていませんでした。去年、中島紀一先生の講演を聞いて再び新鮮な気持ちとなり、チェーンを引こうと思い至りましたが、田に入らずにロープで引く「ものぐさ式」で対処しました。。塩ビ管に蓋を付けたフロートを装着しているので、子どもでも引っ張れなくはありません。
3週間程度経ち、草も生えてきておりますので、先週はエンジン除草機をかけましたが、その際もエンジン除草機にチェーン器具を引っ張らせてダブル除草機で行ってみました。エンジン除草機・私・チェーン除草機の順番で、もちろん田の中を歩きます。ターンの時のチェーンの扱いがちょっと面倒でしたが、やった甲斐はあったと思います。田の中から出てカメラを取りに行くのが面倒で写真はありませんが、エンジン除草機はチェーン器具を引っ張れました。1週間経ちますが、ただのエンジン除草に比べれば草の量は少なく、チェーンを何度か引いた効果は十分認められたと思っています。
明日から7月ということで、にんにくの収穫期が近付いておりますが、今年は6月の特に前半が寒い雨続きの天候で、稲、にんにく共に遅れています。八木が特に小さい感じで、心配です。こうして見ると、八木と八幡平の色の違いは歴然としています。八木を植えている辺りは粘土が強くて、悪い影響もあるかもしれません。
平均気温が15度になったら、生姜を植えるというのがルールのようです。5月下旬に高温の晴天が続き、植え付けをしました。今年は「近江生姜」一本に絞って種を購入し、2か月ほど低温に当てないように部屋で貯蔵し、植え付けをしました。
種は10kgほど準備しましたが、割って配布してみると、面積としては大したことはありません。問題は、その植え付け直後から6月前半に平均15度を悪寒い日が続きまして、1か月が完全に経過した現在も、まだ芽は出ておりません。前回のブログで触れた「ポポー」も出芽はまだ、です。心配になりますね。
余談ですが、連休時に初めて訪れた横手公園「牛沼」に、その後息子とリベンジ釣行し、2度目のトライでヘラブナを釣り上げることができました。初回の時に聞いた情報「マッハ」という名の餌に、これはバラケ系のためグルテンの入った一般的な餌を混ぜて使用しました。
なお、最近のニュースで、この池を含む横手公園内でクマが歩いていたとの報道がありましたが、確か横手公園はしばらく立ち入り禁止と言っていたような。。早めに出かけておいて良かったかもしれません。
なお、西和賀町内にも、国道107号線沿いに「廻戸池」というヘラブナがいる池があります。錦秋湖花火大会があった上記「牛沼」の1週間後に、花火大会開始前に訪れて1時間ばかり釣ってみましたが、ヘラはいるようで、小さいのが1匹釣れました。
横手の牛沼ではブラックバスがいることで、ヘラブナは繁殖できず稚魚が食べられてしまうため、成魚をどこかから持ってきて放流しているとか。廻戸池では小さい別種の小魚も釣れたため、ブラックバスはいないと思います。何年か前、池を落水してブラックバスを退治したという話も聞いており、ここは安心して魚の自然繁殖が期待できる池となっています。横手公園が立ち入り禁止となれば、秋田方面からも廻戸池に釣り客が結構来るかもしれませんね。
さて、遅まきながら、八幡平にんにくのトウ摘みの時期が来ました。去年より1週間遅いです。低温の影響ですね。もっとも去年は極端に雪解けが早い年で、それもあってか、りんどうの開花もお盆・彼岸共に大幅に乱れて価格も荒れた年でした。
現在、りんどうの芽かきをまだ進めていて、やっと極晩品種(最後から2番目の品種)まで進みましたが、去年価格低迷によりりんどう採花を控えたということも理由になりましょうか、株の温存効果でりんどうの生育はとても良好で、早生品種によくある葉先枯れ現象も少ないです。背丈もよく取れているようで、このまま風雨等でダメにされることなく、病害虫にもダメージを受けず、しっかりと稼いで欲しいところです。
りんどうの作業は、葉が乾く日中に行って、露で濡れている早朝は、八幡平のトウ摘みを行っています。この品種はまさに100%トウ立ちするので、とにかく毎日見回っています。これをそのままにすると、栄養がトウに取られにんにくが情けないくらい小さくなってしまうのです。
もっとも、これは除去作業として必要であるのですが、他方、風味の良い「にんにくの芽」としては楽しい収穫作業でもあります。油炒めで美味しく食べていますが、この時期にお米等でご注文をいただいた方には、同梱して差し上げています。地域の料理家の方にも差し上げて、新作メニュー作りにも活用していただいております。可能性のある品目にもなりそうです。
北国の品種として流通のほとんど全てを席巻する「ホワイト六片」は、このトウが立たない、立ちにくい品種です。ですから、にんにくの芽も当然流通は少ないのです。中国産が多少出回っているようですが、冷蔵庫で長持ちすることも輸入できることの理由でしょうね。八幡平にんにくの魅力はこのにんにくの芽でもあるのです。しばらくはこれをおかずに頑張ります。
欲しい方には、どうぞ差し上げます。
ちょっと歩いただけで、すぐカゴがいっぱいになってしまいます。今朝採ったのであらかたになりましたが、見落としのないようにチェックしたいものです。
夏の色が層になって、見えています。アリーナの穂と南部小麦の穂の色は全然違います。よその雪が少ない地域では、もうこんがり小麦色の景観になっていることでしょう。好天が今日までということで、もしかしたらコンバインで一生懸命収穫している最中かもしれませんね。うちは、バインダー刈りのハセ掛けになります。少規模ですので。
こちらではあと3週間後の刈り取り予定です。にんにくは2週間後というところでしょうか。
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雲ひとつない素晴らしい好天に恵まれています。年間でこんな日は10日もありません。やまなし(イワテヤマナシ)の花がきれいに咲き誇っています。町内あちこちに見られますが、普段はそれと気づかれることもなく見向きもされませんが、この開花期のみはその見事さに人々の目線が向かうという感じでしょうか。
いままで、こんなに咲いていないので、今年の秋はようやく実が多くなることでしょう。
連休中は結構天気が良くて、スポ少(中学は部活)で忙しい上2人の子と違って何もない小2の娘を連れて、秋田の大森山動物園へ行って来ました。上の子たちは保育所の頃(1歳から入園)から平日も結構あちこち出かけたりしていましたが、その子らが学校に上がり、スポ少や行事で土日も忙しくなってくると、親(母親ですが)はその送迎にかかりきりとなり、末娘はポツンと家に取り残されるパターンが増えて来ました。経営規模も上の2人が幼少の頃に比べると忙しさが倍増しており、そんな娘にかまってやれない日々。。でありますが、この日は、出かけて来ました。
秋田といえば、やはり私には鳥海山ですね。菜の花畑をバックに娘が撮ってくれました。13号線は通らず、少し西の県道を適当に進んで秋田市を目指しました(ナビも使いながらですが)。
大森山動物園を選んだのは、盛岡だともうあまりにも多く出かけているし、仙台の八木山はちょっと遠いしで、いままで行ったことのない大森山にしてみました。
カピバラは温泉タイムというのがあったようですが(緑の容器がお風呂でしょう)、時間が合わず、見れませんでした。動物園へ行くときは、各イベントの時間を把握して、それに合わせて全体の歩き方を構想しなくてはいけませんね。初めての来訪ではなかなかそこまで完璧には歩けませんね。ディズニーランドの時もそうでしたが。。
冬に訪れた横浜ズーラシアでも人気だった白フクロウ。笑っているような表情にみんなシャッターを切っていました。
昼にはホカ弁を途中で買おうと思っていましたが、ついに店が見つけられず、園内で高い軽食を買うことになりましたが、これもたまにはご愛嬌です。ただ入園時の混雑は大変なもので、敷地内に入ってからの渋滞+入り口から遠いところへの駐車となり、1時間は余計に費やしました。最高に天気の良い連休真っ只中の日ですから、仕方ありませんね。仙台だったら、もっと凄かったかもですね。
来年は登山(低山)ハイキングなども検討してみます。あるいは、釣りとか。
さて、帰宅時に、目を付けていた横手公園牛沼へ初めて出かけ、日暮れ寸前の30分ほど、初めて竿を出して偵察として来ました。すぐ暗くなってほとんど何もできませんでしたが。。
そして2日後、結局スポ少で動物園に行けなかった小6息子がたまたま一人家に残っていたので、天気が唯一悪かった日ですが、お昼頃まで仕事をして、それから牛沼へ再度出かけて来ました。近くの釣具屋さんで情報と釣り具を若干仕入れて、3時間くらい粘ってみました。が、ダメでした。
写真で息子が竿を出している場所に、動物園帰りの日も、この2日後の時も、ベテラン風の釣り人が陣取っていて、結構何枚も上げていました。ベストのポイントなのでしょう。その人たちが帰った後にちょっと竿を出してみましたが、まあ、ベテランもアタリがなくなって引き上げたというその後に、素人にヘラが釣れるべくもありません。
日中、赤い橋をまたいで反対側に座っていた私たちに、そのベテランの会話が聞こえて来ました。「マッハ」とかいう言葉が何度か聞かれ、これはエサ(練りエサ)の商品名を指しているに違いないと直感し、撤収後に先の釣り具屋に再度訪れて、エサの棚に「マッハ」を見つけたときは、思わずニンマリで、当然、すぐに買って、次回に備えたのでした。
何となくヘラブナ関係のサイトを見ていると、ヘラ師のこだわりの性分や、技を教えたいといった親切な面など書かれてもいて、ひょっとしたら、対岸の釣れない親子にさりげなくヒントを送ってくれていたのかも、とさえ思ったりしました。
こうして連休は無事終わりました。
さて、連休明けの火曜日5月9日(大安)に、ピアノがわが家に搬入されました。連休行事などよりもビッグな、もうほんとに一大イベントです。前日の強風と打って変わって、素晴らしい五月晴れです。
念願のピアノ。私は弾けませんが、子どもたちには3人ともレッスンに通っています。古いクラビノーバを近所からいただいて10年近く使っていましたが(製造は何十年も前のものです)、音の出ない鍵盤が出て来たり、ペダルが効かなくなったり、まずもう限界でしたし、やはり本物のピアノの音にはかないませんから。。
新品は買えませんし、近所で眠っている使わないピアノを探したりもしましたが、結局メンテナンスのできていないようなピアノを入手してしまうと、その修復等のため後でかなり大変なことになるだろうとの判断で、ピアノ屋さんからのきちんとしたものの購入としました。ちょうど、たまたま、ピアノの先生経由の情報で、古いけど良い状態のアップライトが入荷したということで、鍵盤を全部新調し、綺麗にされたヤマハの「U1H」を買うことになった次第です。
刻印の品番から1974年1月の製造と思われます。ピアノ製造の全盛期といわれる時代で、木などの素材も本当に良いものが気合を入れて使われていたというような逸話もあり、いまでも人気のピアノのようです。バイオリンとかと同じく、古い年代を重ねた木の楽器の音色には味わいがあるのでしょうね。
2回の娘の部屋への納入で、専門業者によるユニックを使っての作業となりました。
写真でも薄く見えておりますが、ケーブル(テレビの)が邪魔をしていて、その上まで高く吊り上げてから下ろすという作業になりました。
部屋へ入れる瞬間はかなりの高度なテクニックで、手に持ったユニックのリモコンを微妙に操作して引き寄せて、斜めに傾けながら部屋に入れるという技です。素人にはとても無理な作業です。
こうして、216kgのピアノは、無事部屋に収まりました。2日後(11日)、調律もしていただいて、美しい音が鳴っています。
ここは雪や雨の多い風土です。前の所有地は花巻市だったそうですが、ここはもっと夏冬通して湿度が高いと思います。カビやサビなどに対する対策をちょっと真剣に考えていきたいと思っています。
春爛漫、すべてのやるべき作業がテーブルの上に乗っています。その中から毎日筆頭の作業を選んでコツコツ行っていますが、一つにポポーの種まきがありました。去年の秋に種苗交換会で買った1年生ものの苗木を植えたところ、この春、若い新芽が出てくることはありませんでした。もっと大きい苗木を見ると恐ろしく高く、何気なくヤフオクを見て、種を出品していることを発見。早速落札し、届いた種をすぐにポットに播きました。
写真は名前のついた品種になっていますが、もう一つ、在来種6粒もセットに入っていて、在来種の方を重視しています。おそらくはウィルソン系という方は、性質が固定していないのではと思い、どんな実をならせるかわからないですね。
まずは発芽が大変長くかかるようで、温度も要するとのこと。水稲ハウス内にトンネル支柱をして、2重ビニール張りとして育苗を開始しました。この晴天で芽が動いてくれますように。
さて、最後はまさにたらの芽です。秋に切り倒した後の株から芽が出て来ました。朝仕事で芽かきをして歩いています。いっぱい芽を残すと、細い木になり、小さなたらの芽になってしまいます。かといって減らしすぎると極太の木になり、しかし収穫される芽は普通サイズ(ちょっと大きいくらい)で、意義が薄い。株に何本残すというよりも、その芽が小さいようだとむしり取るという感じで芽かきしています。太い木には2本までとし、3芽付いていたら、2つにします。細い木は1芽だけにして、同じようなサイズのものだと下の方を生かし、上の方を取ります。上の方に芽を残すと、だんだん木の始まり地点が上へ上へと上がってしまうからです。
この芽が一本の木になり、早春に15個くらいのたらの芽を生み出してくれます。
取った芽は、もちろん、天ぷらにして食べます。旬の味覚になります。
今日は代かきを進めています。高低差が懸案であった田の均平修復(土移動)にも取り組みますので、少し緊張感があります。
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大型連休が終わり、一気に春の作業が押し寄せています。連休中は好天傾向で気温も高かったのですが、その後は寒い雨の日が1週間ずっと続き、稲の苗もちょっと生育が停滞気味で、若干の焦りを感じます。
例年そうですが、4月は総じて寒く、5月の連休時にスカッと晴れて田も乾いて田起こしなどができて、その後は寒気が立て続けに入ってぐずついた寒い霧雨の日が続き、田植え後の6月になってしばらく晴れが続く、という感じです。
ちょうどカタクリも満開のこの時期、2年に一度のペースでお願いしているりんどうのフラワーバインダーの点検整備に、販売元のシンワ社の技師である木田さんが、今年も訪れてくださいました。りんどうは当園の重要な経営品目であり、出荷期の機械の不良は大変なダメージになることから、こうしてメンテナンスを行っていくことは、とても大事なことです。木田さんはプロ中のプロで、この機械のことなら、全て知り尽くしている方ですので、全幅の信頼を置いております。こうして見ていただいても、シーズン中に予期せぬ何かが起こることはあり得ますが、急遽携帯宛に質問し、解決に至ったということも何回かありました。
カタクリと並んで、春の使者であり、春の風物詩の一コマでもあります。
このりんどうや菊に使うフラワーバインダーについては、操作マニュアルをアップロードしてあるそうで、閲覧しておきたいと思います。関心のある方(花出荷農家さんということになりますが)は是非ご覧になってください。「結束」という機械作業は精密で微妙なバランスの上に成り立つデリケートな機械構造になっているのですね。
こちらも、春の大好きな光景として、毎年記録に収めている、近所の山桜と雑木林の姿です。この桜の満開をもって、りんどうの「芽かき作業」を開始する目安にしています。何度か書いておりますが、この桜がこのように丸い綺麗な形で見えるのは、私のいつもいる田畑からのアングルからのみで、桜のすぐそばを通る道路(町道)を通って眺めても、何の変哲もない形なのです。。
同じく、天気の良い「こどもの日」。ハセ掛けした稲わらを供給している畜産農家の方が、交換に堆肥を運んできてくれました。これが1台分ですが、全部田んぼに入ります。
その日のうちに作業は完了しました。その他に当園では同じく地元産の米ぬかを採取して(コイン精米所から)使用しているのですが、今年は米ぬか採取者にライバルが現れているようで、十分に採取が進みません。いままでコイン精米所の米ぬかは私が独占して利用していたのですが、有機栽培の傾向はこの山里にも現れているのか、はたまた都市部からわざわざ採りに来ているのか。。
米ぬかボカシは1週間で終わるので、まだ余裕はありますが、田植え後には発酵させたものを散布して米ぬか膜(層)を作りたく、もう少しまだ足りません。収集をさせてもらえますように。。
連休中には、1日休みを取り、娘と動物園に行って来ました。それはまた次回ご報告いたします。
ひとめぼれの田の荒代かきを行い、もう少しして2度目をかいて、その2日後に田植えとなればと思います。昨日はとにかく寒い雨風が吹いて、しゃがんで行うりんどう芽かき作業も、まるで真冬の格好でやりました。まずは好天で稲の苗が少しでも進んでくれるよう、今日から春らしい気候になってくれることを期待しています。
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肌寒い日が続いた4月でしたが、ようやく福寿草も咲き、現在はカタクリが見頃を迎えている奥羽の里沢内です。福寿草は寒い時は花が蕾状に縮こまるため、寒い日が多かった今年は満開の状態を目にすることはできませんでした。
今日から5連休ということで、野良仕事の日々に変わりありませんが、天気も良くて何となく高揚感を覚えますね。
雪が完全に解けるまで当園の夏場のメイン品目であるりんどうの作業はできないため、まずは薪の作業を終わらせることに。今年も地区の共有林組合の伐採がうまくいかなかったとのことで、森林組合から購入しました。値段は高いですが、同じような太さの木で、しかも作業する庭先まで搬入し降ろしてくれるので、その点は大助かりです。
2間ある薪の玉切りは約1日の作業工程になります。幸いチェーンソーも快調で、無事作業は終了しました。
この先の薪割り作業は、時間はよりかかります。まずは、去年割れづらくて残していた木をチェーンソーでさらに半分の厚さにカットすることで、そちらの割り方を終え(色の褪せているもの)、今年の薪に移りました。
作業は終わり、積み方まで終了しました。一つの懸案作業をクリアです。
さて、4月30日には出かける用事があり、終了後の午後の時間に、今年初めての花巻広域公園金矢池での鮒釣りを楽しんできました。
通常この手の釣りは練りエサを使うことが多いのですが、先般、今年の収穫後に廃園にするりんどう畑のマルチ剥ぎを行い(それは雪解け直後で雑草もない状態のいまが剥がしやすいから)、その際に出現し捕らえたミミズを使用しました。
餌が良かったのでしょう。2時間くらいは釣ったでしょうか。3人で(竿は2本)25匹くらい釣れました。
そして、そろそろ帰ろうと、近くのアスレチックで遊んでいた娘を呼びに言っている間に、息子が形の違うのが釣れたと言っていて、見てみると、どうやらヘラブナが釣れたようです(写真下)。われわれはそもそもヘラウキを使い、ヘラ竿で釣っていたのですが、まさか本当にヘラが釣れるとは思っていませんでした。しかもミミズでです。
大昔、まだ出版社にいた頃に、同僚と神奈川県の池で釣ったことを思い出しましたが、池の名前もすっかり忘れ、いま検索してみましたが特定できませんでした。電車で行き、そんなに山の方でもなかったように記憶していますが、どこだったか。。
お隣の町横手市(横手公園内)に有名なヘラブナ釣りのできる池があると聞いておりまして、時間が取れたらぜひ出かけてみたいと思います。連休ですしね。
田畑の方では、りんどうの草取り作業をしながら、支柱やネットの修繕をしつつ、今日あたり田んぼやジャガイモ畑への堆肥運び、野菜畑の耕耘なども行いたいところです。雪が消え、すべての作業が行えるため、どの順番でやるかはその日の天気や気分次第。いずれ何からでも、すべてをやらなくてはいけません。りんどうの芽がもう少し伸びると、「芽かき作業」が延々と作業されていくわけですので、この数日はそれ以外のできることをやっておきたいところ。しかもファミリー行楽も視野に入れつつ、です。横手のヘラ釣りか、秋田市の大森山動物園か、その両方か、です。
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4月も後半に入り、農作業シーズンもたけなわと言いたいところですが、まだ消雪は完全でなく、肌寒い日が多い奥羽の山間地沢内です。全国的に夏日とか言われるほど陽気が進んだ日でも、なんだか午後に入って寒い風が吹いてきたり、夕方はしっかり着込んでの作業、数年に一度ある「寒い4月」になっています。雪解けも遅れておりますが、何より気温が欲しいのは、稲の種まきをしており、ハウス内で出芽を待つ微妙な時期であるからです。
4月になって最初の仕事は、当地では水稲育苗ハウスの除雪です。雪の中にポツンと地面を現してハウスを作っても、地温そのものは低く、雪を渡る風は自然の冷風機であるわけで。。とはいいながら、しっかりと時間をかけて良い苗を作るためには早い時期の種まきが必要です。
「花巻酵素」製の培土を今年も買いに行き、まず晩生で、田植えも早く行いたいひとめぼれの方から播種しました。土入れはナラシ板の角度が重要です。
播種(覆土も)は、「みくに式」で、1枚ずつ。一気に押し切らないといけないのですが、途中引っかかるよう乱れると、ムラが出ます。手播きで1枚1枚修正しながらの作業になります。
前にも書きましたが、実際にいただくお米の注文はひとめぼれよりもいわてっこの方が多く、今年はいわてっこ7:ひとめぼれ3の割合で準備しています。小規模ハセ掛け自然乾燥で、規模も50アールを切る面積ですが、課題も多く、今年はハーベスタ(脱穀機)のリニューアルが目標になっています。脱穀の率を上げ、かつ余計な稲わらが袋に入って籾摺り機に詰まりを起こさせないこと、が希望ですね。。
田植え後しばらくは雑草対策に一番重要な時期ですが、水位を絶対に下げないためには、水を止めず冷水になってでも深水を保つことを最優先しようと思っています。また米ぬか投入の時期も代かきの直前が良いという説もあり、耕起前の元肥と6月下旬の2度に分けて入れていた米ぬかは、今年は代かき時1回のみの投入の方式でやってみようかと思っています。
さて3月までは平日の勤務から帰宅後のたらの芽出荷で極めて多忙な日々でしたが、いまは家にいるし、たらの芽出荷も終わるところで、少し余裕が出ています。雪もまだあるうちにやるべき作業を行っています。
冬の期間農機具を作業小屋に仕舞っていますが、これからの時期作業場を使用するために、農機具を入れておく場所が別途必要になります。去年まで使用していた19ミリ補強なしの簡易ハウスはあまりにも見た目が悪くなっていて、昨秋に解体しました。それでずっと前に導入し、稲の育苗の他にほうれん草やひまわりを栽培し、いまはビニールを掛けず、山ぶどうやあけび、さるなしを這わせている50坪4間間口パイプハウスの半分を、再びビニールを掛けて農機具収納場にしようと思い、諸々の修繕作業を行っています。
出入り口を最初の設置時とは反対側に変更する必要があったため、縦横の格子状に組んでいたパイプを抜き取り、ドアレールを付け替えてドアを設置しましたが、一見簡単そうな作業に何日か要してしまいました。錆びて固着したユニバーサル金具のネジはこじ開けるに容易ではなく、山ぶどうを這わせていたため、雪が乗ってパイプを押し下げてしまった箇所の回復や、5本植えた山ぶどうのうちの2本の絡んだヤマブドウの除去(ビニールを掛けるため)も困難な道のりでした。邪魔となった2本の山ぶどうは、掘り上げることは無理で、結局地際で切断し、失ってしまいました。ゼロから新しく建てる方が、直すという行為よりも楽かもしれませんね。
完成すれば、いままでよりも2倍以上の面積になり、1箇所に全て仕舞い切ることができ、期待しています。
ブルーベリーや他の庭木の雪囲いも昨日外しました。ブルーベリーは枝が折れている箇所も結構あり、それは残念でしたが、いずれ剪定も必要で、とりあえずさっと行ってみました。改めて資料を読み返し、何度かしっかりと剪定を行いたいと思います。
昨日は一足早く、八木と八幡平を植えたにんにく畑が消雪しましたので、秋の強風で剥がれたまま冬越ししたマルチを直してやりつつ、カキガラ石灰と豚糞堆肥を少々追肥してやりました。あとは、にんにくの通路部分に豆科の緑肥を蒔いてみたいと思っています。緑肥播種後1か月でにんにくの収穫となりますが、次に小麦を蒔くまでの間の盛夏時に草生状態にしておくことを目標にしてみようと思います。秋にはにんにくとなるいまの小麦畑も同様に通路部分に播種してみます。夏の間、雑草を何度もトラクターですき込み作業をすることは健全ではないように思っています。緑肥も最後はすき込みになりますが、途中草刈りを挟み、巨大化にはしないようにしたいと思います。
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年度末が終わろうとしています。23日には、恒例の岩手大学卒業式が4階実験室から見下ろせる岩手県民会館で行われるのを眺め、ああ冬も終わるんだなと感じました。胴上げあり、ウェーブのような歓声ありで、普段はがらんとした玄関前が、この日この時だけは若い群衆で溢れそうになっておりました(毎年記事に掲載しています)。
フラスコや実験器具、試薬類や各種装置の雑然と並ぶ実験室ともお別れ。盛岡での土壌分析も実作業がほぼ終わろうとしています。頭を春からの農業モードに切り替えつつ、ただたらの芽も引き続き盛りが続いていて、切り替えのための充電期間の休みなどは全くありません。さすがに4月からは、平日帰宅後の夜10時過ぎまでの残業はなくたらの芽が日中の作業に回せることは助かります。とはいえ、冬に給料をもらえる仕事があったということは、収入面で大いにありがたく、帰宅後の残業も「嬉しい悲鳴」として受け取らなければならないことでしょう。
年度末で運送関係も繁忙の時期に、アンプやカセットデッキの落札も重なって、通販も多めに買い物してしまいました。オーディオ関係など、普段の必需品とはいえないだけに、何かのタイミングがないと踏ん切りにくいものです(実際どれを選び入札するかも適当というわけにいきません)。前回触れましたが、アンプのおかげでしょうか、感動的な音です。1986年の日付でFMから録音したカラヤンのブルックナー8番が美しい音色で再生されました(ザルツブルク音楽祭)。アンプによって引き出された音でしょうが、それを生み出したデッキ(そして録音時のデッキにも)にも脱帽です。ちなみに、スピーカーは、うんと古いコロンビアの、それこそ50年前くらいのステレオ時代の大型のものです。CD時代の「ミニコンポ」よりも前の「システムコンポ」としてアンプやチューナー、カセットデッキのシルバーやブラックの単品を組み合わせる時代よりもさらに前の、何かしら家具の一部ともいえるような時代のスピーカーですが(カラーテレビがそんな感じであった時代のですね)、実に美しい音を出してくれます。最近の小さいスピーカーをB系統で繋いで聞き比べてみましたが、足元にも及びません。スピーカーだけは大きいものが勝ちですね。
カセットデッキも、比較的近年のものはCDのように水平のトレイに入れるものもオークションで出回っておりますが、どうもいまいち感動がありません。縦にカセットを装着し、横幅のあるタイプに美しさを感じます。できれば出力を針の触れで示すVUメーターが魅力的です。ただ録音や再生のボタンだけは、上から下にギュッと押すタイプはあんまりにも古く、軽いタッチで触れるボタンが無難です。昔のデッキでは、録音を終えストップボタンを押したときに大きな雑音が録音に入ったものでした。
子どもたちが聴けるということも意識しつつ、LPレコードを年に数枚ずつ検索し求める趣味を続けたいものです。他方、デジタルでダウンロードしたようなものもiPodを通じてAUXのソースよりカセットに録音できます。そうすれば車でも聴けます。
ところで現在、岩手食文化研究会で刊行準備している『次世代に残したい岩手の食材30選』続編の編集作業が架橋に入っています。私は西和賀の西わらびと八幡体系にんにくの記事を担当しました。現在、ほとんどの原稿が揃い、印刷用データを扱うデザイナーさんへの入稿前の表記等整理作業(編集用語でいう「原稿整理」)を一人の目で、ということで全原稿に目を通しています。編集者時代を思い出します。この表記は別の項目でも出てきたがそのときはどう統一したっけ、という感じで進めた作業の記憶も戻ってきて、ある意味楽しく進めています。参考文献の扱いなども、医学書編集のときは、きっちりと書式が決まっていて、雑誌はイタリック、関数をボールドにとか、あったなあと20年前を懐かしむ作業となりました。残念ながら非売品となるみたいですが、報告書っぽい扱いではなく、いちおう読み物としての書籍の体裁で装丁します。完成時にはまたお知らせします。
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3月も半ばを過ぎた頃より、空気に少しあったかさも出てきました。とはいえまだ雪は1.2mといった感じで、日中の気温はあまり上がらず、この雪上を渡って冷風となることで、ここ沢内はこの3月、4月は盛岡等内陸部との温度差が一番出る時期といえます。もう屋根に登って遊ぶ時期でもなくなりました。
盛岡への冬仕事通勤の傍ら、たらの芽が水槽内でどんどん芽吹き、10時過ぎくらいまで夜なべでの収穫出荷準備作業が続いています。盛岡の料理店様より業務用でのご注文を多くいただいており、出勤時に配達できることは、沢内のように遠隔地での山村農業の中では、都合よいことでありました。たらの木も定植後一番旺盛な時期になっていて、これまでの中では素材の質・量ともに一番豊富になっていて、出荷のし甲斐もあります。今後も、何とかこのたらの芽が冬場のメインの品目として収穫量も受注先も右肩上がりになってくれれば、と思います。
冬期の農業は「加工」が中心、というパターンがむしろ一般的かもしれませんが(寒冷地の場合です)、加工品のための素材を確保する作業は、大抵の場合、夏場の忙しいときに重なります。その分夏場のメイン品目であるりんどうであるとか、米やにんにく等を「減産して」冬の品目の栽培作業に時間を充てる、というのでは、トータルで見ればプラス経営にはなりませんね。たらの芽のありがたい点は、春に施肥として有機肥料を散布することと、夏場に1、2度の草刈り作業をすること、だけですむことです。芽かきもありますが、2〜3時間回って採って食べるということで、たいした作業ともいえません。晩秋に夏場の農作業の片づけまで終わってから、おもむろにたらの木を伐採することで仕事が始まるという点は、作業の住み分けとして大変助かることです。
さて、お米の出荷も順調にご注文をいただいていて、ありがたく思っております。ただ、冬期の出荷見込みで秋に籾摺りした在庫が底をついてきて、先日、風もなく雪も降らない日に、追加で籾摺りをやりました。
まず籾摺り機を動かすためには、廃塵用煙突を作業場の窓から外に出さなくてはいけません。そのためには、屋根から落ちて窓の外にたまっている雪を煙突の高さまで掘り、煙突のパイプを出すため一部雪囲い板を抜いて、まずは廃塵を確保し、次いで、奥の作業場の氷温冷蔵庫から籾の入った30kgの袋を出して、雪ぞりに載せて雪山を越えて、住宅の中の作業場にある籾摺り機のところまで持っていかなくてはなりません。。籾殻が飛んでいく様が写真で見えるでしょうか。
とりあえずいわてっこを4袋搬送し、籾摺りして当面のご注文に備えることができました。一定の氷温で冬期間貯蔵した玄米の出荷になります。寒さで我慢することでデンプンが糖に変わるという「甘み効果」が出てくれればと思います。ちょうど籾摺りした直後に30kgでの注文をいただいて、グッドタイミングでした。その日が雪が降っていたり、西風が強かったりすれば、やれなかった作業でした。
ちなみに、ご注文はひとめぼれよりもいわてっこの方が多くて、今期の在庫もいわてっこの方が先になくなってしまいそうです。その後はひとめぼれをお願いするしかないのですが、先日行ったこの春に蒔く種籾注文では、いわてっこ:ひとめぼれ=7:3の比率にし、作付けすることにいたしました(ここ数年は1:1でした)。確かにひとめぼれは粘りや甘味が強く、美味しいのですが、毎日食べるにはいわてっこの方が飽きがこないのではないかな、という気もしております。
2年目となる生姜の種芋も注文しなくてはいけません。当地では植付け適期である「平均気温が15℃」の日というのは、統計的に6月1日か2日になります。それまでの期間10℃以上で貯蔵しなくてはならず、できることなら遅い時期に注文して配達してもらいたいところですが、5月半ばになって注文しようとしても、品切れになっていると思います。4月といえばまだ雪も降ります。植付けまでの自家貯蔵を考えると、いつ注文するか悩ましいです。
雪が解けたら、にんにくにカキガラを与えてやりたいと思っています。当地は酸性度が高い地域ですが、消石灰や苦土石灰をいくら散布しても、結局残ってはくれません。ゆっくり効く有機石灰を入れ続けることが一番良いと思っています。まずは風で剥がれかけた状態で雪の下になったマルチを直してやらなければです。にんにくや小麦の畝間部分に、今年はうまく緑肥作物を取り入れていけたらと思っています。7月8月の休耕時期の雑草対策も含め、地力向上に豆科の草を活かした草生栽培を取り入れてみたいと思っています。
水稲育苗兼収穫物乾燥ハウスのビニールも新調する予定で秋のうちに処分しており、そうした注文もしたり、春はいろいろ準備があります。いざというときになってシマッタということのないように、いろいろ気を張り巡らせておかないといけません。
農業関係も含め、最近は通販を利用する機会も増えています。中古になりますが、プリメインアンプとカセットデッキを入手すべく、検索・入札を進めていますが、むしろバタバタした日常の束の間の楽しいひと時でもありますね。既にアンプは入手済みで、これで寝る部屋と作業場の完動品2セットが揃いました。いままで作業場のアンプは片側チャンネルの音量が小さくて、ほとんど右側の音だけで聞いておりました。寝る部屋に良いアンプが設置され、そこで使っていたのを作業場に移設しましたが、今回入手したアンプ、そう高級品でもないのですが、素晴らしい音質です! 音はアンプで決まる、ということがよくわかりました。
カセットの音も私は好きで、いまカセットデッキが故障していたために、こちらも落札し、到着を待っています。古いLPから録音して、寝る部屋でも作業場でも聞けるように準備しています。新規に購入する場合も、LP時代に発売されたものはCDではなくLPで入手し、カセットに録音して聞きたいと思います。プレーヤーがオートでないために、寝るときにレコードをセットして眠ってしまうと、延々と最後で針が磨耗し続け大変なことになってしまいます。レコード針も貴重ですしね。
ちなみに、ラジオ等で「カセットの音が見直されている」という話題がよく出ます。その割にいま新品でカセットデッキを作っているメーカーはないと思います(一部CDレコーダーと一体になった高価なものや、カーオーディオではあるみたいですが)。普及型のカセットデッキ製造がぜひ復活してほしいものです。ヤフオクで購入できるのは最新のものでも1990年製造といった年代物です。これから10年間愛聴できるかは甚だ疑問です。。
農機や軽トラのエンジンオイルとかも忘れないようにメモしていますが、これは通販ではなく、いまは幸いホームセンターに寄りやすい環境なので、今月中にすべきことでした。
たらの芽作業に追われ手が付けられていない米ぬか収集も頭の隅にしっかり張り付いていて、行動を起こすタイミングを待っています。雪解けにはまだ1か月ありますが、早めに。。。
薪の手配もまだ残っていました。。チェーンソーのオイルも用意しなくてはですね。作業を一覧にし始めると、切りがありません。
自分のためのメモ書きのような記事になってしまいましたが、冬職場の送別会も終わり、地区では総会の時期ですし、年度末という雰囲気真っ只中ですね。
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やや時期が過ぎてしまいましたが、今年も西和賀町の大きなイベント「雪あかり」が開催され、過疎の町にしては本当にびっくりするくらいの混雑で、近隣の市町村からの観光バスや自家用車での来訪がすごく多くなっているようでした。去年も書きましたが、ここ数年、雪像のレベルが右肩上がりに進歩してきて、お客さんもまた右肩上がりになっています。
お客さんが増えてきたから、地域の人たちもやる気度が増してきているだろうし、作品レベルが高いことでお客さんも一層増えてきているということでしょうか。
駐車場近くの郵便局前にあるこのシンゴジラ像は今回イチオシの作品でした。歯の一本一本がきちんと細工され、凶暴な感じも表現されております。
正面像です。郵便局の製作ということがわかります。ちなみに、下に小さく写っているのは暮れにわが家に来た飼い犬(6か月の子犬)です。7番目に生まれたということで「セブ」と呼ばれていますが、私は「セバスチアン」(バッハの)のセブと思っています。
カタクリ群生地のある安ヶ沢集落の作品も良かったです。
「沢内三千石およねの出どこも」味わい深い。およねの像がわかるでしょうか。かがり火も良いですね。
「川舟田植え踊りの里」です。
酉年ということで、鳥をモチーフにしたものが多かったようでした。フェニックスを描いた感じのものも見られました。
どれも除雪車やバックホーなどの重機を使って土台を作っていますので、とてもスケールが大きいです。雪はいくらでも周りから集めてこれます。
写真には撮りませんでしたが、泉沢集落では、道路脇の両方の壁に横穴を開けてずらっとシンプルな雪あかりを設置して(数千個になる?)、車のライトを消して進む(約1分くらいの距離)、という雪あかりが今年もあり、私はとてもこれが美しいと思っています。関係ない話ですが、ドラクエとかの最後のボスのいる玉座へ進むという時に、暗闇の道の両側に炎の道が灯ってこれを導かれるという感じの光景があって、いつも思い出します。
2月も終わり、3月に入ろうというところですが、当地はまだまだ2か月ほど積雪期が続きます。春というのは5月からですね。少雪傾向ながらもいまはそれなりに平年近くの積雪量になっておりますが、気になるのは4月の1日でも早い日に消えてくれるかどうか、ですね。現在は、いくら積もっていてもあまり関係ないし、盛岡への冬勤務の傍ら、屋内でのたらの芽の収穫・出荷と次の駒木の切断と水漬・伏せ込みの作業に日々追われております。
生鮮品は待ったなしの作業なので、結構しんどいですね。収穫で空いた水槽スペースに次の駒木を次々と切れ目なく置いていくこともやらないと、収穫の量にムラができてしまうため、毎週一定量の出荷をキープするための技が必要です。コツコツ毎日の作業が大切かと。。
にんにくの皮むきも一気に全部終わらせてしまい、黒にんにく化を進めなくてはと焦りもあります。
まずはたらの芽真っ盛りの日々で、どうか無駄にならないように注文を待ちたいところです。たらの芽作業のために今日は盛岡通勤は休みを取り、諸々の作業を一つずつ片づけています。
さて、ちょうど久しぶりにカンジキの注文を受けまして、近所のたらの芽出荷をしている食堂や、宿泊施設その他に問い合わせ、足を運んでみましたが、高橋栄治さんのカンジキはついに町内から在庫が消えてしまいまして、これで生産も販売も本当に終了となってしまいました。本人宅にも寄ってみましたが、とにかく材料のコクワ(サルナシの蔓)の採取に行けないということでした。サルナシはうちでも少し植えていますが、太くて頑丈なものはなかなか採取が難しく、よって、大きいサイズのものはとても製作が難しいとのことでしたが、ここにきて在庫も大中ともに終わりました。。当面、記録として掲載はしておりますが、これからは入手ができなくなってしまい、どうかご容赦をいただきたと思います。
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たらの芽の作業に追われ(切ったり、水に漬けたり、水槽に並べたり)、コンパネ4枚2坪の小規模ながら、まずは水槽全体を駒木で埋め尽くすまでが最初の目標で、通勤の帰宅後と週末とですが、日々頑張っております。駒木を置き終わった後は、収穫して空いたスペースに次の駒を置いていくという流れになります。もう少し経って出荷が始まると、伏せ込みと出荷の両方で忙しくなりますが、いまはまだ伏せ込みのみのこの時期。家族サービスというか教育的価値もあると思うのですが、1月29日日曜日、盛岡市都南にある「ベジタリアン・カフェ・ルーニー」へおいしい飲み物とデザートをいただきに行ってまいりました。
店主の照井さんご夫妻は沢内の、しかも当園の近所のご出身ということで(奥様は沢内出身ではありませんが)、お付き合いもあったのですが、ご自宅を改装し、「ローフード」のジャンルでのドリンク、スムージー、サラダ、ナッツ類を提供する「カフェ」と言っていいと思いますが1年前に開店されました。そこで出されるメニューは、まさにここだけのオリジナルで、さまざまな食材を、時に乾燥した粉末までも取り入れながら、ミキサー等で組み合わせて「創作」されております。同じものは他ではありえない、まさにオンリーワンのメニューをいただけるカフェです。
「ローフード」は「スローフード」と間違えてしまいがちですが、加温を控えた低温の調理法をモットーとする生の「raw」のようで、また農薬や化学肥料を不使用の食材をベースにし、もちろん添加物等も使っておられないことでしょう(聞くまでもないでしょうか)。健康や栄養面の安心を第一に独自の食に対するスタイルを追究されており、敬意を持って陰ながら応援させていただきたく思っております。奥様は「ローフード協会」認定による資格も持たれており、平日は「ミュクレ」という名称で、同じスペースでスクール(レッスン)を開催され、土日は「ルーニー(Looney)」という一般客にオープンにされたお店としてのカフェを展開されているのです。完全なお休みの日は土日以外の祭日のみだとか。
場所は盛岡市津志田南で、マックスバリュの近くなんですが、大きい道路から一つ中に入った住宅地にありまして、私はナビの導きによっても、間違えて2回もぐるっとやり直して走行し、ようやく辿り着くことができました。かなり近づけば、道に面した看板も出ていますので、わかると思います。
イチゴ、バナナ、アサイーなどさまざまな食材がブレンドされた飲み物3種を子どもたち2人といただき、一番ポピュラーといわれるデザート盛りつけを1皿を注文しました。左から「ベビーピンク」「スムージー」「スーパーフードスムージー・パープルルクマ」です。これは聖なる果実「ルクマ」が入っているそうです。
「アサイーボール」です。メニューについてもさっと眺めてピンと来るようなものは並んでおらず、まだ、私には完全にご夫妻のポリシーや食材の選び方について理解が及びませんが、末永く、時々ですが訪れてみたいカフェですね。お近くの方、あるいは遠方でも盛岡へ出られた際には、ぜひ立ち寄ってみていただきたいスペースです。土日限定です。有機・自然栽培系の農家の方も訪れているスポットのようですし、こうしたカフェから岩手の食や農の活発な議論がわき起こって発信されていく場所になると良いですね。文化人じゃないですが。。
さて、この日は、先立って、コンサートに出かけてきました。盛岡駅前のマリオスにある市民ホールで開催されたブルックナーの交響曲第4番で、小5と小1の2人を連れて行って来ました。盛岡市でもブルックナーを演奏されるような時代になったんですね。全国の傾向でしょうが、チャイコフスキーやドヴォルザーク、ラフマニノフ、シベリウスといった作曲家の曲は、どの地方都市でも市民権を得て演奏されております。が、ブルックナーとマーラーだけはほぼ東京や大阪でしか行われない傾向がありました。演奏が難しいのかもしれませんが、しかし、彼らの死後100年以上が経って、ようやく、「古典」になりつつあるのでしょうか。
ブルックナーといえば、交響曲第3番の初演の時、楽章が進むにつれ観客がだんだんと退席していなくなっていき、最後に残ったのは若きマーラーとその友人たちだけで、彼らから熱烈な喝采が発せられた。と有名な逸話が残っています。ラベルの「ボレロ」も初演時に老婦人の発した「クレイジーすぎる!」との評に、それこそ最高の賛辞だと作曲者は答えたそうですが(正確な記憶じゃなくすみません)、時代を先取りする大物はこういう話がいくらでもありますね。いずれ確かにブルックナーは総じて難解な曲とも言えるかもしれないです。
このブルックナーの交響曲を小学生に聞かせるにあたり、前もって次の3点をレクチャーしてみました(特に5年生の息子に対してですが)。
(1)ブルックナーは「ブルックナー始まり」で始まる。ベートーヴェンとかのようにいきなり主題が出てくるのではなく、弦楽器全体が小さな音量で震える音を出して、その背景の上におもむろにホルンで主題が現れてくる。「ブルックナー始まり」は「原始時代の霧」とも呼ばれていて、太古の時代のたち込めたもやの中から巨大な恐竜がゆっくりと姿を現してくるのだ。夜寝る前にステレオで聞くときは「原始霧」は小さい音で聞こえないので、生の機会にしっかり聴くように。このようにまずは教え込みました。
(2)ブルックナーは2連符と3連符が交互にくり返される。タータ・タタタ、と、タタタ・タータがこれでもかと執拗に出てくるのがブルックナーだ。このリズムに慣れ親しもう。
(3)「クレッシェンド」は音がだんだん強く大きくなっていく指定だが、これが非常に長く長く続く。このためクレッシェンドの到達点はものすごいパワーになってわれわれに迫り来るので、この音の強大なパンチに魂が飛ばされないように気をつけろ。が3点目。
一番好きな演奏はクーベリック/バイエルン放響のレコード時代の録音のものです。
ということで、プログラム前半のシューベルト(「未完成」)では少し居眠りしてしまった2人でしたが、後半のブルックナー4番では1時間の曲を最後まで聴いておりました。盛岡市民文化ホールは新しいホールで、残響の具合もよく、演奏もまたとてもよかったです(いわて県民オーケストラ)。弦楽器の配列は古典スタイルで、第1と第2のバイオリンが両サイドを占める形です。音のブレンド感が良いですよね。また開始時のトレモロもですが、弦奏者は常に左手もビブラートをかけ、右手は激しく上下しなくてはなりませんが、その懸命な姿にも感銘を覚えます。ハース版だったので4楽章のシンバルは入りませんでしたが、本当に久々のブルックナーを体感する一日となりました。
ブルックナーとしては、次はぜひ8番を聞きたいですし、子どもたちにもその圧巻の音圧をがっしりと受け止めてほしいと思います。第8は東京に出たての頃、上野の文化会館で朝比奈隆/大阪フィルの東京定期の公演を聴いたのが最初で最後です(聴いておいて良かった演奏会でした)。
岩手で第8の機会を待つのも良いですが、農閑期に限りますが東京へ聴きに行くこともありですね。ディズニー関係はまず訪問地として終了しましたので、次回、来年の冬になりましょうか、この前行けなかったお台場の観覧車とかも訪れながら、コンサートとか、ミュージカルなども経験させてやりたいなどと思っている次第です。まずはこの1年の農シーズンに全力を注いだ後のご褒美に、ということになりますが。。
このほど、初のチャレンジとなったしょうがを全部スライスし、乾燥機にかけました。乾燥前の状態がこちらです。まだまだどうなるか今後のことはわかりませんが、にんにくと併せ、しょうがも作っていきたいと思っています。残念ながらしょうがは寒冷地では不向きで、そんなに量は穫れませんので、小規模でやりたいと思います。旬の時期(10月後半)だけ新鮮なしょうがを出荷し、その後すぐに、フレッシュな状態のうちにスライス乾燥をしたいと思います。今回はいろいろ出遅れて遅くなってしまいました。岩手では常温でも冬越しすることができない品目のようで、出荷はスライスをメインとしたいと思います。
写真は大しょうがですが、小しょうがの金時も良い風味を持っています。昨年は「土佐」「お多福」「近江」の3種の大しょうがと金時でしたが、この春には、大しょうが1品種と金時しょうがの2種に絞って作付けしたいと考えています。
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岩手も寒い日が続いており、ここ沢内の積雪量は、平年よりはまだ50cmくらい少ないようですが、まず毎日いずれかの時間帯には降っております。冬本番といった感じになっています(50cmくらい一度の大雪ですぐ達してしまう量ですね)。
東京への盛りだくさんドライブ旅行の疲れも取れる間もなく、平日昼間の土壌分析勤務と、帰宅後の1時間の夜なべ作業がルーチンになっています。土日もフルに使い、注文いただいた米等の出荷作業、農業簿記の決算作業と簿記の次年度更新、新たに1月になってからの買い物レシート類のまとめての記帳などに追われつつ、冬のメインの作業であるたらの芽の穂木からの駒木切断、およびふかし水槽への伏せ込み作業を開始しておりました。
にんにくについてのお問い合わせもいただいたりするのですが(「現代農業」誌2月号に掲載されたことにもよるのですが)、基本は黒にんにくのリピートの方に対しての素材分として在庫確保が必要なため、通常の青果での出荷はいったん終了とさせていただいています。
黒にんにくは一般によく見かけるようになっていますが、値段も高く、どうしてこんなに? と思うことしばしばです。おそらくは業者さん(農家というよりは、建設関係の企業から参入する例が多い)が大規模な黒にんにく生産に進出し、人件費もそれなりに投入されているでしょうし、高額な製造装置を導入していることとか、長時間の発酵へのこだわりがあるようで、そのために電気代がかさんでいる、といったことによるのではと私は見ております。
当園の黒にんにくは、体調のすぐれない方からご注文いただくこともあります。食べていると体調が良くなった感じがするといったご感想をいただいて、大変嬉しく思うとともに、時々いただくような贅沢な高級おやつではなく、「日々の健康のための常食用」として取り入れていただきたく思っています。アメリカのがん研究機関により、「がん予防に役立つ食品群ピラミッド」のランキングにおいて、にんにくはその頂点に位置する、との報告がなされています。さらに加えてこの青果としては含まれていない有用成分が黒にんにくに中で存在しているわけで、このことに当園ではこだわりを見出して、できるだけ安価にお届けできる手法で作りつづけたいと思っています。農薬化学肥料不使用であることも、安心安全はもちろん、にんにく細胞に何らかのプラス効果を授けてくれることと信じております。年明け早々に、当園の製造器具である業務用ジャーが故障してしまい、新品に買い換えたという出費はありましたものの、13〜14日の保温発酵でおいしい(と思える)黒にんにくができています。多少の電気代と手間賃は青果価格に加えないわけにはいかないですが、どうかこの常食用としてのリーズナブルな黒にんにくをPRしながら、力を注いでいきたいと思います。
また、もう一点、にんにく貯蔵の限界時期という問題もあります。当園はにんにくを-1度氷温貯蔵しておりますが、休眠の浅いホワイト六片では正月明けのいまの時期、休眠の深い八木や八幡平でも3月いっぱいが、およそにんにくの貯蔵限界になります。これを過ぎれば氷温貯蔵にしていても否応なく発根発芽が進み、その分にんにくの実質部がスカスカになってきてしまいます。このため、これらの賞味期限内のうちに、乾燥スライスにんにくと、この黒にんにくにチェンジしてしまいたいのです。実に去年のいま頃に作ったスライスを現在でも全く遜色なく食べておりますし(一応賞味期限表示は6か月にしてはいますが1年大丈夫みたいです)、また黒にんにくになることで長期保存が可能な食品に変身します。品質を落としてしまう前に加工を完了し、良い状態で次のにんにくの収穫期まで、日々食べつづけていただけたらと思い、作業を続けております。
もっとも、ご自宅で黒にんにくにしますという方には、ご希望に応じ青果をお送りできますので、少量ですが、またそのうちカケラに分けたものとかにもなりますが、よろしければご活用くださればと存じます。
今回、「現代農業」寄稿用にと、いつも黒にんにくを買ってくださっている女優でモデルさんの服部真湖さんに、普段使いで食べていただいている食べ方例を写真で送っていただきました。撮影のために料理を作っていただいて、本当に感謝いたします。服部さんは以前に家庭料理の本も出版していらっしゃる方で(私もアマゾンで買いました)、当園の黒にんにくをすばらしいメニューに変身していただきました。雑誌ではスペースの関係で1枚しか掲載できませんでしたが、ご本人様の了解の上、こちらのブログで全品紹介させていただきました。以下は文章も服部さんのご説明になります。
ブランチにいかが? イングリッシュマフフインのポテトサラダハムサンド。
ワインやデザートに、季節の熟したフルーツ(今回は柿)にクリームチーズとはちみつディプ添え。
玄米(当園の)入り香草とえのきの水餃子(エスニック風)
もちろん具たくさんスープで色んな野菜と寒い季節にピッタリ。水餃子ならお好みでゴマダレ、ポン酢、食べるラー油、などなどつけながら工夫してます。揚げてあんかけにしてもおもてなしの際は喜ばれてます。
ディジョンマスタードとゴマたっぷりのポテトサラダ
マヨネーズ少なめでサラダにのせてお好みのドレッシングと一緒に。そのままでもお好きなパンと一緒にどうぞ。
クリームチーズとはちみつディプのトーストのせ
熱いトーストにのせて。まるでラムレーズンみたいと好評です。おやつにお酒のおともに。ナッツも刻んで混ぜても更に美味しいです。
このように、黒にんにくを飽きずに日々食べていただいて、嬉しい限りです。どうか参考に取り入れていただけたら幸いです。
黒にんにくのための皮むき・根切り作業も上記のごとく早いうちに全部終わらせなければなりませんが、現在たらの芽のふかし作業も時期が来ているため、こちらも手を休めることなく、どんどんと駒木を水槽に埋め尽くしていかなくてはなりません。
また、現在、「次世代に残したい岩手の食材30選」(続編)という書籍の編集作業にもかかわっていて、当地の「西わらび」、そして「八幡平にんにく」の2本を作成し、また30項目全体の集まってきた原稿のチェック作業なども行っています。この「八幡平にんにく」の項目にも服部さんのレシピを写真1枚(2点)紹介させていただきます。4月頃に刊行の予定で進めていますが、定価を付けて販売できる環境になく、当面は「岩手食文化研究会」の会員の報告書の扱いで会員と関係機関(図書館や学校とか)への寄贈という形になっております。この続編の前編に当たる数年前に出た1冊は農文協からの刊行になり、アマゾンでも掲載されているのですが、残念ながら今回の続編はそうはいきませんでした。後に要望があったり、また版元を得る機会があれば、公に世に問うていけたらと願っています。原稿を求められて書くことは時々ありますが、編集作業としては久しぶりで、懐かしい気持ちを持ちながらの作業になっておりました。
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去年の秋頃から計画していた冬休み東京ドライブへと行ってまいりました。メインの目的はディズニーシーですが、今回、車でということで、初日に群馬県太田市にある「ジャパン・スネーク・センター」を訪ねることにしました。ここはおそらく日本で唯一であろう、ヘビに特化した動物園(ヘビ園)です。
夏にヤマカガシを目撃し、もし噛まれたら、と検索していたら、このヘビ園のサイトに行き着きました。血清は通常大きな病院にも置いてなくて、いざというときはここから取り寄せることになるそうです。小5の息子は爬虫類系が好きでもあり、見学の予定に入れていたのでした。
白い蛇がいるというのも特徴で、餌を食べるところ(小さな冷凍のネズミ)も見学しました。
ガラガラヘビもいます。
ここはレジャー施設ではなくて、研究機関でもあります。ヘビについての講義やデモンストレーションもあって、楽しくヘビについて学ぶことができる施設です。
ニシキヘビに触らせてくれました。日本の本州の毒ヘビはマムシとヤマカガシの2種だけだそうで、ヘビの見分け方について、色や模様というのはあてにならず、大きさ太さがポイントだそうです。ちなみに、ヤマカガシは首の背にも毒の袋が皮下に隠されており、叩いて殺すとかしようとして毒が飛び散って目に入るのが危険だそうです。ペットの犬が首に噛み付いて、死亡するというケースもあるそうです。
ちなみに、わが家にも暮れに子犬が来ることになり、早速この大雪の中散歩を楽しんだりしておりますが、夏場のマムシやヤマカガシには要注意ですね。
ヤマカガシに噛まれると、もし毒が血管にまで入ってきた場合、全身の皮膚から血が吹き出す(滲み出る)という恐ろしい症状になるという話でした。
以上、1月8日の旅行記でした。
翌日は横浜の動物園「ズーラシア」に出かけてきました。ここはオカピが目玉だそうです。広い敷地内は緑も多く、実に様々の植物が植えられていて、ゆっくりと自然の感じを味わえる動物園になっておりました。
有料でしたが、ラクダにも乗れました(500円)。
あんまりクタクタになるまで遊び続けても翌日への影響が出てしまうため、3時過ぎには帰路につき、ゆっくりと休んでディズニーシーに備えました。
1月10日。3年前のこの同じ日にディズニーランドへ出かけました。早朝のまだ除雪車が来る前の雪道を突破して北上駅へ向かい、新幹線で直行したのでしたが、今回は都内からの移動です。慣れない首都高速はちょっと不安でしたが、何とかジャンクションを間違えることなく、また「日本一」と言われた渋滞にも遭うことなく、公式サイトのガイドに従って浦安で降りてぐるっと回って左折でシーの駐車場へと、実にスムーズに至ることができました。
写真もいろいろ撮りましたが、結局は心に焼き付いた印象が大事なんでしょう。ランドに行った時にも書いたのですが、子どもの頃に見たこの夢のような光景は大人になってもずっと奥底に残っていて、辛い時などがあっても、この思い出を糧に頑張っていけるのではないか。そういう思いがコンセプトと言っていいかどうかわかりませんが、込められているのではないでしょうか。。
蒸気船のそばでやっていたショーにちょうど出くわして、楽しんだ1ショットです。
やはり、一番のボス的存在が、このタワー・オブ・テラーでしょうか。先の楽しいショーの繰り広げられるすぐ近くの建物で、恐怖の叫び声が上がっています。ここを乗り越えないと、次へ進めない。ファストパスの時間が近づき、タワーの全貌が見えて来ると、子どもたちの表情も緊張感が満ちています。もう後には引けない。魂が引き抜かれないよう、祈るのみです。
結果は、結構楽しかったです。それほど気持ち悪くもならず、まずは大きな課題を無事終えた気分です。
わが家では小さい頃からよく見ていた「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」をモチーフにした夜の一大パノラマのショーです。これはすごい大迫力でした。ミッキーが眠りながら魔法を使って遊ぶシーンですが、さまざまに展開し、3曹の船とモンスターも出現し、花火と火炎放射が織り混ざった見事なショーでした。
ディズニーシーはランドの方よりも若干狭いのでしょうか、各区域の位置関係もわかりやすく、また人もランドより少なかったでしょう。想定した以上の15のアトラクションとショーを楽しむことができ、しかも夜10時までのため、開園の9時からみっちりと長く滞在することができて、大変満足しています。朝岩手を発てば、どうしても10時以降の入園になりますしね。
農閑期であり、関東の子ども達が3学期の始まっている、岩手の子はまだ冬休みというこの時期で正解だったでしょう。翌日11日の帰宅後は大雪が待っていましたが、それは逆に関東では晴れの日が多いことを表していますので、夏場よりも天候面でも良かったのではないでしょうか。
念願だった「レインボーブリッジ」を走行して戻りました。子どもたちはクタクタですが、ディズニーから舞浜駅、また東京駅での長い乗り換えなどなどをすることなく、車であっという間に戻ってこれるので、そこがマイカーの便利な点でしょうか。岩手までの翌日の道のりは長いものではありましたが。。
3年に一度の東京旅行ですが、今回は中学に上がった長女は参加できませんでした。3が日が終わったらすぐに合唱コンクールの練習で登校が続きます。家族でディズニーランドというのも、小学校のうちだけでしょう。中学校の修学旅行でも来ますし、今回で最後でしょうか。。
最終日は都内の本郷の付近で、ちょうど昼食に車を停められる場所が全然なくて、東京大学に入って、東大病院の駐車場に停め、安田講堂地下の大食堂で少し遅いお昼を食べました。出版社にいた時に、東大病院には仕事でよく来ておりましたし、構内の様子はわかっておりますので。最初お台場の観覧車に乗ろうと高速に乗ったものの、道を間違えてしまって、お台場は断念しました。次回のテーマにとっておきましょうか。
地下食堂でランチを食べて地上に上がり、安田講堂を見せてやりました。70年安保の機動隊とのせめぎあいの話もしてやりました(先日テレビでやっていて息子はすぐに理解できましたが)。記憶にとどめてくれればと思います。いつかここに学生として来てくれよと会話して、それから東京を後にして長い帰路につき、夜10時に自宅へと到着しました。水沢の辺りから雪道となり、戻って来て最後の町道は雪がフロントガラスに舞い上がって来て、ライトも暗く、超スローの運転でなんとか。。
2日ほど盛岡へ通勤し、週末の今日は、切断して外で寒気に当てていたたらの芽の駒木を水に漬ける作業を行って、いよいよたらの芽栽培がスタートしました。明日は水槽に並べます。
黒にんにくは、新年早々にジャーが故障して加温ができなくなってしまい、東京旅行前にアマゾンで同じジャーを注文し、新しいジャーに古い釜ごと差し替えて再スタートしました。日付が曖昧になっているので、よく見ながら完成に持っていきたいところです。が、この大雪で一気に人の背丈の雪山が奥の作業舎の間に出来上がっていて、ジャーを置いている作業舎への往来が非常に困難になっています。もう少し雪が落ち着いて締まってくれれば歩きやすくなるのですが。。
なお、黒にんにくについては、当園の黒にんにくを買ってくださっている女優の服部真湖さんから、黒にんにくのレシピ写真をいただいており、これは「現代農業」誌のいま発売されている2月号に頼まれてにんにくについて寄稿をしたのですが、その際に服部さんにお願いして料理の写真を送っていただいたというものです。この写真を次回はご紹介いたしますが、もし「現代農業」2月号をお手に取ることができる方は、よかったらめくって見ていただけたら幸いです。
新年初めての投稿になりました。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
これからしばらくは、冬の平日の勤務の傍らに、たらの芽と黒にんにくの生産・出荷を行います。あとお米はもちろん十分にございます。雪かきもありますし、休日も平日の帰宅後も、結構忙しくなります。
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12月になり、ここ数年の冬の勤務である土壌分析の仕事に出勤しております(盛岡市内丸)。11月は天気の悪い日が多く(12月もですが。。)、水を吸って重くなった「りんどう残渣」の片づけにも難儀しました。そして最後にたらの木の伐採と作業場内への運搬を終えて、まずはシーズンの作業を閉じることができました。
最初は草刈り機でも刈り払えるくらいだった木ですが、去年からはチェーンソーでないと無理になり、重さをこらえながら、正味2日の作業となりました。
雪も降って、最後はこんな感じです。地際に散らかったりんどう刈り払い後の片づけと異なり、雪が降ってからでも可能な作業となるため、最後の仕事となったものです。細く残っているものは後ほど草刈り機で刈り倒しました(搬送はせず)。
たらの芽栽培は1月半ばからのスタートとなりますが、これまで厳冬期の加温不足で最初の1作目がどうしても遅れてしまっていました。昨年の後半から電力を上下水槽に1つずつ2系統に増設したため、今期の1作目は早く芽吹いてくることと思います。低温状態で時間ばかりかけていると、カビの原因にもなるし、芽吹きの揃いもまちまちとなります。穂木は潤沢にあり、しかも小本数の株仕立てで太いもののみを採取しております。出荷開始時期を早めることで全体の出荷量を増やしたいし、同時に販路も拡大したいと思っております。
個人の方にはお米等のご注文の際に併せて少量のたらの芽をご活用いただけたら大変嬉しく思いますし、販売店あるいは料理店の方からもご利用をいただけたら幸いに思っております。遠方への発送でも、たらの芽は梱包容量・重量ともに小さいために安価に発送することができます。関東方面でも、収穫日に発送して、翌日の午前中に届けることが可能です(ヤマト便)。
当園の冬はにんにくの出荷とたらの芽の生産出荷の2つの柱(+米の出荷もありますが)で励んでまいりますので、どうぞ、農薬不使用・豚糞堆肥のみの施肥で育てたたらの木を採取し、塩素すら入らない井戸水でふかし栽培したたらの芽をご活用いただけたら幸いに思っております。
また、懸案のハセの解体と作業場2階への搬入作業も大急ぎで進めておりました。空中戦ということで、少々の積雪は支障なしということで後回しになっており、結局脱穀後1か月経っての片づけとなってしまいました。約1日がかりの作業です。片づいてやれやれです。
そして12月に入り週末だけの仕事になってしまいましたが、最初の週末は天気も良く、前日金曜日の雨でちょうど雪も消えてくれていたので、古くなったハセ柱を抜き、森林組合で届けてもらっていた新しい栗の木の柱(4m)を立てるという、これも難儀な作業を1日かけて行いました。積雪で諦めかけていた作業を年内に無事行うことができ、本当によかったです。
結構重いので子どもたちにも手伝ってもらい、5本抜いて5本立てる作業を何とか完了できました。これでまた数年は大丈夫でしょう。
11月23日ですが、昭和20年から数年間高村光太郎が疎開し過ごした山荘へ出かけてきました。この日は「智恵子の紙絵展」の最終日で、仕事は残っているものの、とにかく行こうといろんな用足しとともに花巻へ向かいました。展示は資料館の方でしたが、こちらの山荘も見学してきました。
光太郎はここで耕す暮らしをしながら、詩の創作を行っており、作品には野良の暮らしの高い精神性を追究し表現しようとした気迫がにじみ出ています。賢治もそうですが、農の持つ深い意味を言葉で表そうとする先人に、敬意を覚えます。
初めて訪れた高村山荘でしたが、岩手のこのような先人がいてくれたことには嬉しくなります。
当面、注文分にんにくの皮むき作業と、黒にんにく仕込み作業、そしてにんにくおよび生姜の乾燥スライスの作成が主な作業になります。たらの芽水槽の資材のチェックと設置作業も進めておき、1月からの仕込みに備えたいと思います。
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積雪期直前で、りんどうを中心に秋の片づけに追われるさなかの11月9〜12日の4日間、農業担い手サミットへの参加ということで3泊4日の大きな旅行に出かけてまいりました。いわゆる認定農業者を主体に行われる全国集会で、数千人が会する大規模のイベントでした。
全大会の主会場は岐阜市内の大きな体育館で、ステージイベントをメインとする2時間の催しが行われ、撮影はできませんが、農村の四季を歌った詩の朗読(紺野美沙子さん)に合わせた、歌と踊りと映像によるステージは大変素晴らしく、見ごたえのあるものでした。
この全大会イベントは皇太子ご夫妻もご参加ということで、警備も厳しく、今回の参加受付についても2か月も前から確定し、以後の参加者交替は一切認めないというものでした。特に希望しての参加ではないのですが、他に参加者が少なく、やむを得ずといえばやむを得ずの参加だったのですが、しかし後の分科会も含めイベントとしては用意も周到で、大変手応えのある数日を過ごすことができました(主催者の準備にかかるご苦労は大変だったと思います)。
岩手からの参加ということもあり、前と後ろに1日ずつ日程が増え、負担も大きかったですが、サミットとしては、10日の全大会の後、その日のうちの分科会会場へと移動し、夜の分科会会場での懇親会(写真)、そして翌11日の午前の分科会と昼食会、そして現地での散策(観光)で終了、というものでした。
写真ステージにはちょうど岐阜の関連ゆるキャラが登場しているところで、私が参加した初日夜の高山市での分科会のセレモニー部分です。足りなくなった名刺を取りに部屋へ戻る途中に撮った1枚です。市長の挨拶とかの後だったでしょうか。岐阜の特産品紹介といった場面ですね。
さて、時間的には先立ってになりますが、初日の岐阜市内のメイン会場では、午後からの全大会の前に、岐阜の農畜産物をふるまう試食コーナーが午前中行われ、賑わっていました。写真は飛騨牛のステーキのコーナーで、行列をなして焼き上がりを待っています(すべて無料です)。その他には岐阜といえば長良川の鮎ということで、鮎の味噌仕立ての汁も流行っておりました。
黒にんにくのコーナーもありました。乾燥スライスにんにくも見えます。六次化推進の波で、写真の例もですが建設業界がこうした部門に参入し、補助金も動いているのでしょう、大規模の設備投資で時代の波に乗ろうといった雰囲気が伝わってきます。専用の大型製造機で何十日もかけて熟成しているそうです。同じ品目でも、われわれ小規模農家は別発想で住み分けをしていかなくては、ということを学ばされますね。
さて2日目午前の分科会ですが、認定農業者のサミットということで、見学先の農家さんはいずれも規模が大きくて、すぐに参考になるというものでもないのですが、知見を広めるに無駄はありませんしね。ほうれん草農家を訪れましたが、バインダーのような収穫機で、見事にほうれん草を切り集めており、圧巻でした。少し地面に入り込んで、ベストの箇所を切り取るのですね。値段にもびっくりでしたが、手で収穫して行く手間と比べると、何百倍? ですね。ほうれん草は大規模化が行き詰まってきているそうで、この装置の導入がなくてはほうれん草専業も厳しい状況にあるとのことでした。
当園でもほうれん草はやったことがありますが、夏場は収穫後のしおれもあって、午前中の限られた時間内に収穫を終えなければなりません。いまの時期よりもむしろ夏場には強大な威力を発揮する助っ人に思いました。
ちなみに、冬場は高山市も結構な積雪とのことで、ハウスのビニールは外され、作業としては菌床椎茸に切り替わるそうです。
移動はほとんどバスでしたが、地元の普及員さんがいろいろと解説してくれました。すべての方がというわけではないでしょうが、この普及員さんはとても熱意を感じられる方でして、われわれ農家としての関心事のツボにはまった解説・紹介を淀みなく語っていただきました。こういう力ある専門家のバックアップがあって産地も維持され、農家も安心して生産できるわけで、当園ではりんどうがその部門になるのですが、逆に言えば個人販売している部門というのは全くといっていいほど自分で悩みながら試行錯誤していくしかないということでもあり、道なき道でもあるわけでしょう。。
3農家+農協出荷場の見学で分科会のスケジュールを終え、昼食会場に向かう途中です。終了時間直前の高山市の朝市を見て、少し買い物もしてきました。赤カブの漬物が特産とのことでした。
昼食後、帰路へのバスが出発するまでの約1時間、高山市内にある古い街並みと呼ばれる通りを散策しました。外国人がとても多かったというのが第一印象です。高山は観光都市ですし、お隣長野県の信州大学で4年間松本市に暮らした者としては、この北アルプスを挟んだ隣の高山市というのは、松本と雰囲気が似た街としてずっと気にかかる存在というか、行って見たい場所でした。それもあって今回の担い手サミットに参加したのでした。
飛騨牛のにぎりという店に行列ができていました。値段もそこそこしましたので、私は飛騨牛コロッケ(200円)にしました。
さて、その高山市での見学を終え、名古屋市まで戻って、そこで最終日を過ごし、居酒屋で手羽先や串カツを食べました。翌日は午前中、自由時間ということで美術館などを散策し、昼に岩手の研修団としてひつまぶしを食べて、新幹線で東京へ、そして盛岡へ戻り、夜8時半に沢内へと帰ってきました。
出発した11月9日は西和賀は大雪となり、50センチを超える雪がまだ刈り取りを済ませていないりんどうに覆いかぶさって、雪で押され、無残な姿となっていました。ちょうど旅行中は雪で作業ができなかったので、旅にはちょうど良かったのかもしれません。戻った翌日13日には雪も解けてりんどうの片づけを再開でき、べたっと押されて草刈機で刈れない茎を手で一本一本地際で折り取りながら、片づけ作業を進めました。
今年は廃園するりんどう圃場がなかった(マルチ剥ぎが大変な作業です)ことも旅行参加の理由でありましたが、2年生3年生の生きのいい圃場が多く、りんどう残茎の片づけには非常に時間を要し、昨日26日の午後3時に完了しました。
そして、その後、ようやく放置していた稲のハセの横棒(ホケ)の収納に着手でき、ちょっと進めたところで暗くなって終了。本日雨ですが、ハセの片づけをこれから頑張ります。
残る作業はこのハセの片づけと、たらの木の伐採と作業場への搬入、そして片づいたりんどうの畝間に堆肥を配ることです。12月1日から盛岡での土壌分析の勤務がスタートするので、もう何日もありません。。堆肥作業は来年とし、たらの木を優先し、運び終えた軽トラックは早めに洗浄し、ガソリン満タンにして、運搬車(キャリア)を荷台に載せて、作業場に収納して春まで格納する段取りにすべきでしょうか。。。
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稲刈りの頃は不純だった天候も、ハセ掛け中は比較的好天に恵まれ、秋の高気圧や大陸からの乾いた強風の助けもあって、稲の乾きは近年の中でも最上の出来になっているようでした。
写っているように稲扱き後のハセを片付けなければいけませんが、まだしばらく手付かずで残りそうです。不意の積雪があっても可能な空中の作業は後回しにできます。りんどうの刈り取り・片づけなど、地際戦から終わらせなくてはいけませんね。
毎年10月20日頃がいちばんの紅葉の時期になります。たらの木も紅葉が進み、まもなく一気に落葉し、穂木の刈り取りの作業が近づきます。
諸々の作業の合間に、慌ただしく稲刈りの準備をします。稲刈りに先立ってのハセを組む作業はいつも大変で、子どもたちも年中行事として一緒にやってくれています。ハセ組みにまる1日、片づけに半日という感じでしょうか。
今年の稲刈りでは小5の息子がバインダー作業に挑戦してみました。まずは小麦用の1条で練習し、次いで2条でもやってみました。真ん中辺りだけですが。。
当園では立っている柱は全て使用し、多めにハセを組んで、1段に1束ずつ余裕を持ってかけていくやり方にしています。下の2段などは稲を2束(2段)ずつ掛ける方式が主流ですが、柱も古いし重くなると風で倒れやすいだろうし、そして何より乾きやすいだろうという理由で1段に1束にしています。
9月に蒔いた小麦も発芽しています。こちらひとめぼれは10月10日に刈り終えました。
稲刈りに続いては、にんにく植えです。ホワイト六片は何としても早植えが必要で、稲刈りと並行して10月第1週までの終了を目指し行っていましたが、こちら写真の八木と八幡体系は、春まで芽が出ない品種ということもあり、後回しとなって、ホワイト植え付け後、10月25日までかかって植え終えました。子どもたちが写っていますが、そういう時しか写真も撮りませんで、いつも手伝ってくれているわけではありません。
ブルーベリーも紅葉が進んでいます。去年今年と「アーリーブルー」を定植しました。7月中の時期に集中的に多く採れるよう、しっかり管理していきたいものです。
稲扱きとにんにく植えが終わり、切り花りんどうも今朝の出荷を最後に終了となりました。11月に入ると上旬には地区の旅行と、認定農業者の研修旅行(サミット)で岐阜に出かけ4日も家を空けなければなりません。幸い今年は廃園にするりんどう圃場がないので、マルチを剥がしたり支柱を抜いたりの作業は免れます。次年度も採花する畑の片づけがもっぱらの作業です。それが終わるまでは雪が積もらないでほしいです。
今日の夕方暗くなってきた頃に、籾摺りを行う予定です。一番最初に脱穀した17%水分米から出荷を始めます。これはやや高い水分ではありますが、これからの寒くなってくる時期においては全く貯蔵上の問題はなく、そのみずみずしい新米らしさに好評を得ていて、続けています。通常の農家は一度の出荷で一年分全てのお米を農協に出すことから、一律15%以下にするという規定で乾燥機で乾燥させていますが、これは来年の梅雨時期から盛夏にかけての品質保持のためと言えます。すぐ食べる分には高水分の方が美味しいし、夏用に出荷する分は当園ではハウスの中で雨に当てずにハセ掛け乾燥させており、今年は条件も良くてその分は15%を切っております。
外のハセ掛けの第1次(17%)、第2次(16%)、ハウスでの第3次(15%)の3段階の脱穀を行なっていて、全体の3/5くらいを16%が占め、秋のいまの時期のみ17%を、そして6〜8月の時期に15%を出荷するという計画にしています。
本年のお米も宜しくお願いいたします。
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当園のホームページでも一部作品を掲載している、子どもたちの片袖机を作っていただいた町内の木工作家竹澤直樹さんに、下駄箱を作ってもらいました。家を建てたときに大工さんに市販のものを取り付けてもらっていましたが、重量感がなく、ずっといい物が欲しいと思っておりました。最近引き戸の具合もよろしくなくて、思い切って制作をお願いし、お盆休みに搬入していただきました。
世界に3台しかない17年前の設計の下駄箱で、ブナの無垢材になります。下駄箱の天板というのは、一時的な物置き場として、ハンコを着いたりする場として、何かと存在感のある場所と思っていました。そこをしっかりした板で作ってもらいました。特徴ある棚の戸や、左側面の作りも気に入っています。前もって寸法を測ってもらい、ブナ材で作ってもらえて、嬉しく思っています。
一段ずつ、戸が上に折れ曲がって開閉できるタイプの設計で、90度曲がるためのビスが内蔵されているのですが、これも木で作られています。万一このビスが壊れた際の修理のために、接着剤を使用しない組み立てになっております。もちろん、片袖机のときと同じく釘は不使用です。ちなみに、片袖机についての記載はブログのこの2か所で紹介しています(▶上の子2人2台・▶下の子の机)。
一番下はこのように長靴などを地べたに置いて、戸だけが付いているという形です。日々長靴をその都度下駄箱に締まったりしませんし、冬などこの戸は開けっ放しにしておきます。置くのは直接のコンクリだし、靴底の雪や水分が下駄箱を汚すこともありません。この辺りが雪国らしさを感じさせる気がします。
狭い玄関スペースですが、充実感を覚えております。
さて、本業の方ですが、彼岸りんどうから極晩りんどうへと移行しています。今年はお盆も彼岸も大幅な前進出荷で、肝心の最需要期に物流が少ない、という大変なシーズンです。夏秋とも出荷量のピークが需要期でないときに来てしまうので、価格が暴落し、ほとんど手取りがない状態になるわけで、りんどう農家としては落胆しかありません。これだけ汗して働いているのに。。
ただ彼岸需要期については、当園では、彼岸に続く次の品種が前倒しにより彼岸需要期に当たってくれたため、需要期にも出すものはたっぷりあったのですが、その前の暴落期に大量に出した低価格を取り戻すには至りません。
いずれ20日の出荷で彼岸需要期も終わり、現在また値段は下降しています。
写真は「いわて夢みのり」といって、通常9月25日頃にピークが来る品種で、彼岸需要期後の出荷ですから、去年など本当に安くてやる気を削ぐ品種でもありました。が、今年は需要期にかぶってくれて、ああ植えておいてよかったな、という感じでもあります。通常、西和賀は大家族農家が多くあり、昨今は集落営農などで、1軒あたりの規模が大型化する傾向です。こういうスタイルの人たちは、人海戦術ですからお盆と彼岸の値段のいいときだけを狙った品種を大量に作付けする傾向となります。加えて彼岸期以降は稲刈りとぶつからないよう、10月以降出荷のものに絞るようです。反面、当園のように1人農業をやっているような零細農家では、モノ日だけに大量には出せないので、細く長く、いつも途切れなくというスタイルの植え方をしています。稲刈りやにんにく定植とかぶりますが、規模が小さいので小回りが利きます。今日も安くなり始めたりんどう採りを犠牲にして、小麦を蒔いています。
値段が良いときもあれば悪いときもある。そのこと自体は不変なので、年間を通じてコツコツ地道に出荷していれば、どんな年でもりんどうは安定した収入が確保できる品目でもあります(今年は極端でちょっと異例ですが)。お盆と彼岸だけに特化して儲けようとすると、今年のようなことになってしまい、安いときだけしか出せなかった、ということが起こります。大きな人件費を抱える大型農家ではそれは経営をぐらつかせる要因になり、リスクです。いずれ今年のりんどう平均単価はすごく低くなるであろうことは間違いありませんね。
りんどうの出荷は続きますが、小麦播種・にんにく植え付け・稲刈りという最大の繁忙期に入っております。その準備がまず大変です。小麦畑はトラクターの尾輪で蒔き溝を作り、そこに手で蒔いていきます。トラクターで耕起するにも耕耘幅をダブらせながら溝を作っていくため、通常の耕起の2.5倍くらいの時間を要します。が、鍬などで溝を掘っていたら、もっと膨大な時間がかかりますし、トラクターは乗車しているだけなので、楽でもあります。中ほどに畝の広い部分が見えていますが、これは最後に耕耘した場所で、最後は狭く尾輪をつけることはできないので(これがロータリーの幅)、長靴等で踏んで跡をつけ、その溝に蒔いています。
その他、にんにくについては、7月の収穫後に米ぬかを投入して耕起、8月の下旬には堆肥と苦土石灰と豚糞を入れて2回目の耕起、そしてこのほど先週の木曜日ですが、最終耕起し、畝立て機で畝立てしました。現在時間を見てマルチを張っています。
稲の方は、稲刈りに先立ち、ハセを昨日から組み始めています。いずれ本作業に着手する前の準備作業に追われていて、逆にストレスになります。あれこれが同時進行で、てんやわんやですね。本作業が開始すれば、少し落ち着いた気持ちになりますが、先立つ段取り作業が肝心です。。それら秋作業はまたお伝えし、今回はまず雪国シューズボックスのご紹介をメインの話題とさせていただきました。
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夏が終わり、昨日から秋になりました。岩手県内で大きな被害をもたらせた台風もこちらでは全くと言って良いほど影響もなく、翌日から残暑が戻ってきています。それにしてもだんだんと被害の拡大が報道されてきていて、衝撃を深くしています。
8月は光ケーブルが切れてしまうという事故があり(室内で)、2週間もの間、電話とインターネットが繋がらないという状態が続いていました。連絡をつけてケーブルを発注するのに1週間、そしてケーブルが到着するまで1週間を要しました。時々家内の携帯からメールサーバーを覗いたりしていましたが、画面も小さく、返信メールを打つのにも大変な苦労を感じました。
その間、ブログはおろか本体のサイトの方も更新ができないでいましたが、まず小麦の脱穀が終わって選別もすみ出荷できる状態になったことと、お盆過ぎからと言っておりました「黒にんにく」も仕上がってこちらも販売が可能になったことを、回線復旧後、すぐに更新してお知らせ申し上げました。本年作もどうぞ宜しくお願いいたします。
さて、子どもたちも夏休み後半となる8月10日ですが、仙台に今年新しくできた「うみの杜水族館」に出かけてきました。ふだん8月10日というとお盆出荷のりんどうの最盛期であり、とてもお出かけの余裕などあり得ないところですが、今年は大幅に前進化し、1週間前の8月5日頃に最大となったため、ちょっと農家としては残念な夏になってしまいました。翌日の11日は山の日ということで祝日であり、その後はお盆ということで、10日しかないなと思っていて、行ってきました。
入り口からすぐ隣のエリアの大水槽がいきなり眼前に広がり、これは大迫力で見応えがありました。
イルカショーもまた大迫力で、これも大満足です。陳列の点数も多く、午後2時〜6時までたっぷり4時間をこの水族館で過ごしました。
仙台旅行なので、帰りは遅くなりますし、仙台市内で事前に検索していた銭湯に入ってきました。温泉や新しいタイプのお風呂は結構あるのですが、この昔ながらの銭湯は探すのに苦労します。20年前に東京にいた時は三軒茶屋界隈にごく近いところで3軒ありましたが、いまはどうなっているでしょうか。盛岡でも減っています。
子どもたちには、「テルマエ・ロマエ」で理解されているところです。腰に手を当ててフルーツジュースを飲みました(1本130円でした)。
水族館に行く前になりますが、宮城県美術館で「ぐりとぐら展」を見てきました。ぐりとぐらの原画でして、点数も多く、結構上の子は保育所で読んでいて知っている本が多かったです。宮城インターを降りてすぐにトンネルの直進道路があり、それが終わったところに美術館がありますが、このトンネルがかなりの渋滞で、しかもその後に美術館に行くために結構な大回りを強いられたりし、時間を使ってしまいました。
なお、この美術館から水族館までの道も簡単ではなく、道を知らない旅行者にはナビの必要性を大いに感じたところです。後半慣れてきて、水族館から銭湯までは地図をキッチリ把握してその通りに到着することができましたが、美術館から市街地を経て水族館方面へ向かう道へ辿り着くのには苦労しました。
帰宅は11時頃になりましたが、まあ楽しい夏休み旅行となりました。
ケーブル断線で夏の報告もいろいろ遅れております。町道沿いにある軽自動車用サイズの小さい車庫なんですが、夏場はいろいろ物入れとなっていて、りんどうの出荷ポイントにもなっています。8月9日早朝、ここに入れていた豚糞を熊に食われるという被害が起こりました。簡単な小屋ですが、波トタンの外壁のつなぎ目をベリベリと剥がして、手を伸ばし中の豚糞を外に引っ張り出そうということでした。剥がされたトタンの内側には縦横に組んだ垂木が邪魔をして体は入れなかったはずですが、よくも手が届いたものだというくらい、内側に置いたものまで掻き出して悪さをした様子がありありと残されております。。
しばらく前に北上市に出た際に買って置いておいたもので、臭いも結構していましたので興味を引いたのでしょう。あまり長期間置くのは良くないと感じました。
お盆の仕事は何と言っても小麦の脱穀です。今年は最多品種となり「南部小麦」「アリーナ」「コユキコムギ」「ライ麦」の作業となりました。
5年前くらいまで稲に使っていた小規模の籾摺り機を小麦の選別専用として使用しています。小麦はハーベスタでの脱穀時に既に玄麦として集められているので、一緒に混じっている茎や穂の殻を取り除くことが作業内容になります。機械に備わっている再び回収してインペラにかけるための戻りのパイプが詰まりやすいため、取り外しまして、手前の樽で受けています。ワンチャンスの選別作業になり、これを2回繰り返します。奥の方の樽には綺麗な玄麦のみが集められますが、1度の作業工程では残茎などはまだ残っているので(それが手前の樽)、それを2度目の工程にかけるという作業です。これで、ほぼ綺麗な玄麦のみが入手できるわけです。
集められた南部小麦です。既に古い品種の部類になる南部小麦で、最近は新しい品種に押され作付けも減っているようです。農家としては新しい品種ほど以前のものを凌駕している、より上位の品種と考える傾向がありやむを得ない面もあります。収量も高く穫れたり、病害虫が少ないなどの利点があれば、それが正論でしょう。
とはいえ、南部小麦は岩手の食文化に根ざした伝統ある品種であり、当園のサイトでもやはり注文は多くいただきます。中力の粉になりますが、味わい深いものを感じています。
玄麦でのご注文が多いですが、秋から冬にかけては盛岡方面へ出る機会も多く、すぐれた製粉所がお隣雫石町内にありますので、製粉希望の方は小麦粉としてもご注文いただけたら、お時間は頂戴いたしますが、対応させていただきます(1kgあたり約100円の製粉経費の実費は別途いただいています)。
ちなみに、雫石の製粉所「高村製麺所」は昔ながらの製粉機で、小ロットにも対応してくれて、かつ品質も素晴らしいと思っています。頼んだ小麦粉は精白した小麦粉とフスマとが別袋に分けられて出来上がってきます。両者をお好みで混ぜて全粒粉にしていただくのもよろしいかと思います。ちなみにフスマの比率は15%以上もあり、お米の米ぬかよりは若干多くなっています。
それにしても、岩泉の被害がどんどん拡大していて残念な気持ちでいっぱいです。春に訪れてブログでも紹介した安家洞のある安家地区も孤立があるようですし、お昼を食べた道の駅岩泉のあたりはまさにグループホームがあった地区になります。今日のニュースでは、あの「龍泉洞」は水が中から逆流して入り口から外へ溢れ出ているという途方も無い事態になっているようでした。数年前(震災の年)の夏に、確か電飾設備が新しくなったという頃に出かけましたが、その照明の設備もダメになっていると想像されます。
安家洞についてはまだニュースは聞いていません。入り口はちょっと高台だったので、こちらは被害はなかったかもしれません。そう願いたいです。とはいえ観光地よりも人や住宅の方が心配です。
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7月に入り、今年もにんにくと小麦の収穫、そしてブルーベリーの出荷に追われ、諸々の草取り作業、草刈り作業と併せ、いつもながら大変忙しい日々を送っています。懸案のにんにく掘りもまずは無事終了し、乾燥ハウス内で、ほぼ乾燥が終わろうかという段階になっています(7/29現在、重量25%減)。
まずこちらはホワイト六片になります。日本を代表するメジャー品種であり、青森の名産となっている品種ですが、まず風土の近いここ岩手の地でも無事育ってくれたようです。Mサイズのご注文が多いですし大玉を作りたいのは山々なのですが、大きめのものは種にもしなければならず、量的にやはりSが多くなります。。。
こちらは、左側に県をまたいで隣の町、横手市に合併した旧増田町八木地区の在来種「八木」です。今年は割と大きいものが採れましたが、それは全量種に回さなければならず、当面出荷はS品のみとさせていただく予定です。秋に植え付けが終わった後に、Mクラスの出荷も多少できればと思っています。八木はホワイト六片と異なり種用ににんにくを気軽に購入することはできず、100%自種で植え続けています。
こちらは、「八幡平系」になります。「八幡平」は岩手のほぼ唯一の在来種として伝統を有するにんにくですが、なかなか大きくならず、結果、量産が難しい品種でありました。比較的良いものを揃えて撮りましたが、今回は以前よりは良く穫れており、今後絶やさずに、当園なりの選抜をしていきながら、良質で作りやすいにんにくにしていきたいと願っているところです。
畑で掘ったあと数時間寝かせて少し乾燥させた状態で作業場に持ち込み、今度は夜なべ作業で茎切りを行って、この時点でMとS、種、ハジキものを選り分けながらコンテナに入れます。
これを10kgずつにんにく乾燥ネットに移して、乾燥ハウス内のハセにネットを2つ折りにして掛けて乾燥させています。乾燥ハウスは屋根ビニールの上に遮光ネットを掛けて光をマイルドにし、急激に温度が上がらないようにしています。黒いコンテナには種用が入っています。
10kgが7kg程度になったとき、乾燥は終了とします(7月31日の予定)。
そのあとは、種用を除き、-1度の冷蔵庫に入れ長期保存に向け貯蔵します。種用は冷蔵しない方が良いとの説があって、常温の作業場に入れて、9月下旬の植え付けに備えます。このことから、もし種用にお求めの際は、今月中にご注文をくださいますと、冷蔵庫に入れないような措置ができます。
さて、にんにくと併せて、小麦も刈り取りをしました。これは南部小麦専用に確保した10アールの畑です。やや離れた場所にあり普段あまりこないため、管理不足は否めません。。雑草にもやられましたし、鳥害なのでしょうか。穂の部分が切り取られてなくなっているものも散見され。。
こちらは、コユキコムギ。右にはイワテヤマナシを植栽しています。2列ほど大麦を蒔いてみたのですが、虫か、鳥か、穂の部分がちょん切られて、全滅です。背丈も取れませんでしたし、大麦は多雪地帯では合わないのかもしれません。ご飯に混ぜて炊くための要望を受けて試してみたのですが、残念な結果でした。ファイバースノーという品種でしたが。。
こちらはライ麦です。約3アールの痩せた石カラの畑で、何を蒔いても背丈が取れず小麦もバインダーにかからないほどのミニサイズで手に余していた畑でしたが、ライ麦は大丈夫でした。しっかり育ってくれ、無事収穫に至りました。ライ麦は歴史の深い麦になります。小麦なども品種改良が盛んですが、当園では古くから栽培されている品種の方に力を入れたいと思っていて、南部小麦やゲオルグ・シュトルム神父のアリーナなどにこだわって栽培を続けています。
南部小麦の面積がやや増えたこともあり、乾燥ハウス内に全ての麦を掛けることは無理となり、ライ麦だけ、外のハセに掛けました。雨よけのビニールを掛けてやります。
最後に、ブルーベリーの様子です。去年のような大雨も毛虫の害もなくて、まずまず、ほどほどに実をつけてくれています。お伝えしておりますが、7月に採れる「アーリーブルー」を増殖し、全体の半分をこの品種にと改植をしていまして、その去年と今年に植えたアーリーブルーは未成熟の未収穫樹であるために、まだ8月のブルータ・ブルーレイが主役になっていて、これからがメインの収穫となります。
既にご注文いただいた量で手一杯になっており、今年はこれ以上のご注文を受けることはできないのですが、来年以降、少しずつアーリーブルーが成熟し実をつけてくれ、収穫量が右肩上がりになっていくことを期待して待っています。
切り花りんどうの出荷が例年より前進して出荷が始まっています。需要期前で価格は低迷しており、逆に最需要期の来月10日頃には物流がなくなるのではとも心配されます。
いろんな作業が同時に求められ、体一つでは追いつきません。唯一、夏休みの子どもたちにブルーベリーの採果を委託し、それ以外の管理作業やにんにくの皮むき作業をこなしながら、現在のメインの作業であるりんどうの出荷に立ち向かっております。多くのりんどう農家が思うと同様、早く値段が上がってくれることを願っております。
当園のブルーベリーは無肥料の自然栽培になりますが、その限られた少量の実をカラスが容赦なく狙ってきます。今年は5匹連れの徒党がわが家の近辺をぐるぐる徘徊し、ブルーベリーにも目をつけています。対策として、採果期のみですが、釣り糸と3Dホログラムテープなるもの(ネットで購入)を張り巡らせています。釣り糸だけでは糸のない場所を選んで侵入してきましたので、3Dテープで増強した次第です。
パラソルとキャンプ用の机も園内に設置していますので、子どもたちにここで見張りを兼ねながら宿題や読書をやってもらおうという計画です。
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