寒天作りの出張から戻り、たらの芽の栽培を進めています。とはいえこの作業は1日むったりとかかるわけではなく、作業としてはせいぜい1日3時間くらいでしょうか。頑張って作業を進めすぎても、逆に収穫期が一斉に揃ってしまい、需要をオーバーしてしまうからです。切れ目なく同じ感じで出荷をキープするには、チョビチョビが良いのです。現状では。そこは市場出荷が困難な山間地のデメリットかもしれませんね。その意味でも、もっとしっかり仕事をして出荷量を増やすためには、季節限定のものですし、インターネットからのご注文が増えてくれることを願い、そのための努力も続けるばかりですね。
現在、たらの芽は厨房用の業務利用に多くを出荷しています。そのようなご希望のご注文も合わせてお待ち申し上げております。
さて、いまの農閑期の時期にしかできないと思っていた懸案事項に、サイトのリニューアルがありました。何よりもスマホからのアクセスに対応したデザインにしたかったし、またもう一点、ホームページ作成ソフトの老朽化(?)という問題もありました。
Macで作業する者にとって、Windowsのような一般的に使いやすいホームページビルダーのようなソフトがなくて、思いっきりプロ仕様のものになってしまいます。ビジュアル画面で扱えるものは値段も高く、勉強も難しそう。値段が安いものは直接タグを扱うタイプになります(やはりプロ向きですね)。いずれにしてもハードルは高くて、フリーのビジュアル画面で扱えるソフトで長年やってまいりましたが、OSやMac本体の進化に動作が着いていけなくなりつつあり、寒天出張中もずっと悩んでいた課題でした。
そこで今回、WordPressでサイトを再構築することに決め、その結果スマホ対応のレスポンシブルなサイトを作ることができました。併せて、ブラウザで行う作業ということで、Safariと、画像準備用にPhotoshop(Element)のみのアプリケーションですむことで、OSの進化等の問題も解決することになりました。構築には正味10日間要しました。。
慣れないツールでサイトを作るにはいろんな格闘があり、頭は朦朧として、深い森にさ迷い込んでしまった状態の連続でしたが、このほど無事すべての作業が終わり、そしてブログも新しく本体(固定ページ)と緊密に合体した構成になりました。
旧ページからのリダイレクトの設定も済ませましたので、既に前のページは削除しております。index.htmlがindex.phpとなり、販売ページを格納していたshoppingというディレクトリもアクセス不要となりました。
ただ、ショッピングカートだけは以前からのCGIプログラムを引き続き再設定しております。WEB MARTというプログラムを使用しておりますが、とても使いやすいです。何もかもプラグインに頼ってWordPressの中にショッピング内容も持ち込んでしまうのではなく、そこはWordPressの外で処理される仕組みになります。
ただカートのCGIの中で、配送日時指定欄で出てくるカレンダー(Datapicker)のボタンが見えないという不具合があって、なんとか苦戦して自力で解決し(これだけで5時間かかりました)、また注文が経過する画面(お客様情報入力等)がスマホだとなぜか縮小表示されて見にくいという不満も解消しました。もしかしてまだまだ至らない点もあるかもしれませんが、これまで通りアクセスしていただけたら、リダイレクトに数秒要しますが、新しいサイトが表示されますので、どうぞ今後とも本サイトを宜しくお願いいたします。
こちらのブログはこれで最後の投稿とします。
試験的に既に2本ほど新しいブログにも同じ記事を投稿しておりますが、今後、そちらの方に宜しくお願い申し上げます。
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雪のない茅野から雪国沢内へ戻って来ました。毎日降り続いています。1.5mは超えましたね。隣の集落へ向かう山道も雪国らしい景観になっています。これから月末にかけてが山場ですので、いろいろ雪で壊されないように注意が必要です。
長野から戻った翌日は疲労困憊で何もできませんでしたが、2日後からは少しずつ準備にかかっています。三相延長コードが足りず調達したり、またプラグ部分をもう一度配線確認したり、作業するスペースを確保すべく整理したり、必要な道具類を雪山を越えて奥の作業場から運び入れたり、出が悪くなっていたお湯のシャワーの改善に給湯器のフィルターを外して掃除したり。。茅野で圧のある水道のシャワーに慣れた後だったので、家のシャワーが物足りず、調べてみたら、うちは井戸水だしもっと頻繁にここを掃除するべきでした(もともと井戸水は水道水より圧が弱いようです。ポンプも小さいし)。さまざまな雑事をしながら、何はともあれ駒木を切断して施設内へ伏せ込んでいくという作業を進めていかなくてはいけません。
穂木はこのような感じで秋のうちに収納しておきました。こちらは住宅内に作られた作業スペースで、籾摺りや計量、精米などもここで行います。ここがたらの芽作業のメイン会場になります。
この電動鋸で、芽の部分を上にして切断し、上の方は短い間隔ですが芽の間隔に沿って切って行きます。下の方へ進み間隔が空いているところは7cmくらい残してカットして残りは捨てます。
この作業は舞い上がる木の粉を浴びながらになりますので、防塵マスクと帽子や上着のフードは必須です。
切断が終わると、カゴに入れて、水に浸けます。
一晩浸けたものをトレイに並べて行きます。トレイは稲の苗箱ですが、倒れにくくするために「プラダン」を切って十字に組み合わせた仕切り壁を作っています(別にどのようにやっても構わないでしょうが)。
細い駒木もどうしても混ざってしまいますが、基本は太いもののみにします。そのためには春の畑での芽かきをしっかり行って、株の本数を立てすぎないことですね。まあ、ヒコバエでどんどん増えていく過程で細いものも畑にはありますが、そういうのは放っておきます。細くて残したものは春にてっぺんに芽が出ますので、それを採って食し、その後草刈機で刈り払いします。やがて成長してくれるでしょう。
水に漬けることで、催芽が進むとともに、樹液がトロンと溢れて来ます。この樹液が大敵で、施設内でのカビの温床となるので、並べ終わった後に水圧をかけたシャワーで丁寧に洗い流してから施設に入れます。なお、水に漬ける際は浮かんで水から出る部分がないように、重しで沈め込んでいます。
施設に入れた後も樹液は出てくるので、写真のように強目の圧の形に絞ったシャワーでいつも洗い流し、同時に保湿してやるということが大事と思います(芽が育って出荷が近づいてからは芽を濡らしたくないので、水は上からはかけませんが)。水の交換も大切で、当地のような雪国では、湛水しての保湿重視よりも、水を2日くらいでこまめに落としながら、すぐ水を入れるのでなく少し水のない期間も作るというやり方が良いと思います。
また、今年は小さめの噴霧器で食酢を薄めて随時散布してみたいと考えています。
いずれいまは最初の一斉の生育になるのですが、1度収穫が済んでからは、収穫して取り除いたスペースに新しい駒木を差し込んでいくため、いろんなステージの木が並ぶことになるため、上からジャブジャブ潅水もできなくなります。出荷が始まる3月以降には、新しく伏せ込む駒木の樹液をかなり慎重に除去する必要があり、面倒ですが、重要な工程になります。
切断する場所に接した施設のスペースです。狭い場所を有効活用しようと、去年から3段ベッドになりました。畳6枚のスペースになります。水を貯めるために木枠の内側にビニールを敷いていますが、下からパイプの骨組み・コンパネ・ブルーの断熱材・ビニール・プラダン(プラスチックダンボールの略なんでしょう)の順に設置しています。それぞれのベッドに園芸ケーブルが架設してあります。上中の2段を上のコントローラーで温度管理し、中ほどに見えるタコ足装置で2段分のケーブルをまとめて上のコントローラーに送っています。下段は地面に近く寒いため一番電力を要します。ここは下の方のコントローラーで管理し、上2段よりは高めの設定で温度管理します。
見えていませんが、中段と下段には2個ずつ蛍光灯を設置していて、大した灯ではないですが、タイマーで設定し時々灯してやります。ここは雪国なので外の通常のハウスは潰される危険が高く、単管と茶色のポリカ壁材で住宅の作業スペースのシャッターに接して造設した場所で栽培しているのです。さすがにハウスより暗く(ハウスも遮光はするのですが、それよりもどうしても暗い)、たらの芽の色付きが心配だったので、蛍光灯設置しました。
もっとも、山形で視察したやはり豪雪地の農家では、完全に室内の暗い部屋で蛍光灯だけの明かりでたらの芽栽培していました。かえって日光が入らない方が良い色が出ると言っていたのですが、私としてはそこまで人工環境にするよりも、折衷案ということで。。本当は日光だけでやるに越したことはないと思っていますが、ただ日光はたらの芽を赤く染めることにもなるので(自然のたらの芽は緑ではないです)、結果、綺麗な緑色になってくれていることは、商品としても結構なことなんだろうと思います。そのために通常のビニールハウスでは、穏やかな遮光をします。
さて、帰宅した翌日の夜は西和賀雪あかりの日でした。私は家でぐったり。出かけた娘が撮影した写真です。
これは沢内病院の駐車場のもの。前の雪あかりの記事の時にも述べましたが、盛岡など都市部の雪あかりと違う点は、除雪車で巨大な雪山を作って、そこに明かりを付けていく点で、スケール感が全然違うのです。この写真も30mは下らないと思いますね。
毎日雪が降り続いています。茅野ではゼロだったのに。。ちょうど帰った翌日から3連休だったので、2日目にアマゾンで「メリー・ポピンズ」を観て、3日目に盛岡で下の小3の娘と「リターンズ」を観て来ました。女の子には見せたい、という考えは偏見になるかもしれませんが、本人も大変気に入ったようだし、私も面白かった。ジュリー・アンドリュース版を前日に観て正解だったでしょう。もし観ていなくては、大砲のある家のことも、その他諸々面白さがわからないだらけだったことでしょう。
昨年中の長野行きした後の現金や口座の記帳も済ませ、りんどうの資材関係の注文書も先ほど完成しました。これから中山間の事務や決算、書類整理、いろんな雑事をこなしながらになりますが(年賀状も戻ってから見ました)、たらの芽作業に精を出したいと思っております。同時に、特に小3の娘については、いまのうちです。お出かけをしてやりたいと思います。久々の再会ですしね。映画だけでなく、パイプオルガンのコンサートや、いろんな博物館関係にも連れて行く計画です。中学になれば部活や受験でお出かけもできませんから。。
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2月6日を持って寒天作業が終了しました。11月26日から連続73日の稼ぎとなりました。さすがに今日は旅の疲れもあり、体を動かす気持ちになれませんで、久しぶりにMacに向かったり、娘とアマゾンの無料映画を見たり、荷物を片づけたりで、あっという間に日が暮れました。
さて、せっかく長野まで来たので、2月7日は気になってた場所に寄って長野市で宿泊し、翌8日に帰路に着くことにしました。
順番は後の方になりますが、一番の期待は安曇野にあるこの「碌山美術館」でした。特に萩原禄山という人物に惹かれたというわけではなく、この建物がずっと気になっていたのでした。
昭和56年に信州大学人文学部に入学が決まって、広島にいたわけですが、すぐに長野の旅行ガイドブックを購入しました。その本の表紙がこの美術館でした。この雰囲気のある建物はずっと印象に残っていて、というか、この表紙とともに長野暮らしへの扉が開かれたわけでして、入学が決まって一番最初に脳裏に焼き付いた信州の画像だったのでした。
そしてそれから38年が経過し、やっとその心の底に眠っていた風景に立ち会うことができました。
冬ですので蔦は這っていませんが、想像したとおりの素晴らしい建物でしたね。
アングルを変えての撮影です。
てっぺんの拡大写真です。避雷針も兼ねているようですが、美しいですね。
車で行っても十分な駐車場があります。写真正面の受付のある棟内にはちょっとした土産物のスペースもあり、ここで子どもたちに鈴を買いました(1個500円)。
さて、寒天工場に別れを告げて最初に目指したのは野辺山の天文観測所でした。これは全国的に名の知れ渡る電波望遠鏡で有名です。これは最も奥にある立入禁止エリア内にある直径45mの望遠鏡です。
中心部の拡大です。壮大な景観です。
他にも小さいのがたくさんです。バックは八ヶ岳。いいロケーションですね。八ヶ岳は茅野の方からは割となだらかに見えますが、清里の方から見ると結構荒々しく、私としてはより好きな眺めです。野辺山まで来るとまた少し穏やかですが。。
解説の看板にもありますが、ここに匹敵する電波望遠鏡が、岩手県水沢にあり、昨年のブログでも紹介しました。
ところで、スマホで野辺山観測所を検索していたら(とりあえず車のナビに入れるために電話番号を)、野辺山のやまなしというワードに遭遇し、しかも観測所のすぐそばということで、足を運びました。なでなでし、気をもらって来ました。写真は西から東を見ています。
樹齢250年だそうですね。当園でもやまなしの実を農産加工に使えないかと優良の木を植えており、高い関心を持っております。やまなし自体は全国的に自生しているものですが、神戸大学の専門の先生によれば正式には「イワテヤマナシ」と呼ぶそうで、ここもですが、ただっ広い草原や牧草地の中にポツンと1本植わっているケースが多いのです。春に咲く白い花も綺麗ですし、シンボリックな存在感を持って眺められていたことがうかがえますね。
その次は上田を目指したのですが、野辺山から、実に遠い距離になりました。信州もいま住んでいるわけではないし、適当に走っていたんですが、2時間以上かかりました。ここは上田城跡の園内にある眞田神社です。不落城といわれたこの城は合格祈願の参拝者が多いことでも知られています。長野では夕方に県内ニュースを欠かさずに見ていましたが、受験シーズンでもあり放送もされていました。「信州ハム」がこの上田市にあり、合格祈願の絵馬を型どった形のハムを試作して受験生に配ったという話題を放送していたので、合格祈願のお守りを買った時、そのハムについて聞いてみましたが、神社としては扱いはないと言われ、手にすることはできませんでした。神社すぐそばのお土産屋さんに寄ってみましたが、ハム自体なくて、お昼はとうに過ぎているし、次のスケジュールが押していたことより、ハムは断念しました。
茅野から暮れに家に贈答用のハムをスーパーのデリシア(昔の松電ストアだそうです)から送ったところ、子どもたちからもう一度食べたいとのリクエストがあったんですが、結局この後に県内で立ち寄った道の駅等で「信州ハム」を見つけることはできませんでした。ハム自体あんまりなかったんですよね。スーパーに寄ればあったかもしれませんが。
こちらは松本市の浅間温泉にある「萬山園」の萬山麺と餃子です。これを食べるために上田から有料道路を通って松本入りしました。1時ちょっと過ぎていましたが、営業中でした。去年は「しばらく休みます」で閉まっていて、念願が叶いました。
これも38年ぶりなんですが、下宿先の大家さんが泊まっている3人をここに連れて行ってくれたのでした。そして食べた萬山麺はそれまでの18年の人生で最も美味しいと感じたものでした。それほどラーメン経験があったわけではありませんが。。そしてその後何十年も経ちましたが、いま持ってベスト1のラーメンです。
ちなみに味噌ラーメンではありません。なんとも言いようのない旨さです。浅間温泉へ出かけられた際は是非お寄りください。
店舗はこんな感じです。なお、ここ浅間温泉には「信濃屋」という「山賊焼き定食」が美味しい店がありました。当時下宿に風呂はなく、浅間温泉へ通っていましたが、山に登って下山した時はお風呂の後にここで山賊焼を食べる習慣でした。東京の出版社時代にも1度訪れましたが、その後店は閉店し、またこの近辺の道路の様子も一変してしまって、建物も残っていないと思います。何軒かあったこの辺のお土産屋さんに入っていたら、信州ハムがあっただろうかと、ちょっと後悔でした。
今回は松本は昼食と下宿前の道を通っただけで、すぐに安曇野へ向かいました。雲行きもちょっと怪しくなっってきていて。
割とすぐに到着しました。せっかくなので有名な大王わさび農園を見学しました。この水車の光景は大変有名です。ただ冬だし水車は止まっていました。
わさび田の様子です。ちなみに岩手では遠野市と合併した宮守という地域が産地です。また龍泉洞で有名な岩泉町は「畑わさび」の産地として知られていて、主にチューブの練りわさび用に出荷されているようです。食文化研究会で編纂した「次世代に残したい岩手の食材30選」続編にも畑わさびは取り上げました。
安曇野といえば、道祖神ですよね。
そしてこの後、上述の碌山美術館を訪れて、長野市へ向かいました。
翌日(昨日)はゆっくり朝食を食べてから、ずっと下道で帰ってきました。栄村に行きたかったので、飯山・野沢温泉・栄村を経て新潟の津南入りというルートにしました。日本最大の豪雪地帯ですね。とはいえ雪が消えるのはこちらよりずっと早いんですが。
長野から出発したので、高速を使わずにのんびりドライブを楽しみました。途中無料区間も何箇所かあるし、高速に乗るとトラックを追い越そうとして、かえって疲れるんですよね。どうもトラックの後ろにつくのが嫌で。。下道でもそれこそトラックに塞がれてノロノロ運転になりますがね。
いよいよ前から気になっていた栄村に来ました。といっても道の駅に寄っただけです。雪が降っていますね。
栄村は「秋山郷」があることで私には興味津々の地でした。「秋山郷」もまた、先に述べたガイドブックに書かれていて印象に残る場所でした。一度東京時代にバイクで秋山郷を訪れたことがあります。関越で津南から入ったんでしたか。途中びっくりするくらい高いとんかつ屋さんで食べたのを覚えています(結構混んでいました)。ここで最終的な買い物を済ませました。「津南ポーク」というブランドのハンバーグとウインナーを信州ハムの代わりに買い、今日の昼食になりました。
茅葺の似合う雪深い山村というのは私には本当に波長が合うんです。前にこの辺りのりんどう農家さんがうちにも見学に来られたことがあります。3.11より後でしたね。この日の夜遅く栄村でもかなり大きな地震に見舞われました。ずっとラジオを聴いていたので、リアルタイムで知った出来事でした。道中「頑張ろう、栄村」の看板を目にしました。
長野市からは下道で十分と思いましたが、雪道もあったことで、12時間以上かかって夜9時過ぎに帰宅しました。何せ、新潟が長いです。道中の半分は新潟という感じでした。
いずれこっちが大した雪でなくて良かったです。大ブキの時は9時以降には車が進まなかったりしますし、荷物を運ぶのも大変なので。
そんなわけで岩手に戻って来ました。早速米の出荷も行い、農業がスタートしました。明日は少しでもたらの芽に着手します。まずは切断して水に漬けるところから。
]]>70日間に及んだ茅野市での暮らしが終わろうとしています。1階の右の方がテングサを洗って水槽に漬ける仕事場、左奥は釜の建屋になり煙が出ていますね。2階は居住区で、今期は4畳半にほぼ1人で寝起きしました。
11月26日から結局1日の休みもありませんでしたね。去年は釜に不具合があり全体のラインがストップし、1日だけ休日があって霧ヶ峰方面へドライブに出かけたんですが。今年も釜の故障はありましたが、夜中のうちに解決して何とか途切れずに続きました。
平成も終わろうとしていますが、こんな昭和な工場が続いているんですね。あと3日ですが、朝はとても冷えていて、歩くところはツルツルです。ここにきて怪我をしないようにしたいものですし、また岩手への帰りの運転も、疲労も溜まっていることだし注意したいですね 。
こういう風景は風物詩と言えるし、テレビや新聞の取材がひっきりなしに来ました。最近ではドローンで工房周囲を庭も含めて上空から映した放送があり(長野の6チャンネル)、とても美しく見応えある光景でした。
小学3年生も社会科の実習でやってきました。家が近所らしく、後にまた一人で来て、この前はありがとうございました、と丁寧な3年生でした。同じ年頃の虐待で亡くなったニュースには憂鬱にさせられました。子どもを育てることが大人の最大の務めと思います。
取材はしょっちゅう来るのだけれど、ただ、いかんせん県内発信媒体のみで、全国放送にはならないんですよね。長野県人には茅野の寒天は十分知れ渡っていると思うんですが。。全国放送するに値する光景と思うんですけどね。東北ではあまり寒天のことが日常話題に上ることはありません。昔はお盆とかに草を煮てトコロテンを作ったそうですが。
さて、家にいざ戻ると、早速たらの芽作業に着手します。着実に技術向上を図って高品質の生産を目指します。こちらでも取り組んでみたいという人もあり、たらの芽の話題に花が咲くのは楽しいものです。
季節労働だからこそ、他に季節的な本業を持つユニークな人が集まってきます。どうみてもサラリーマン的じゃないし、夢のある事業を思い描き、冬期の蓄えを得て、各地にまた戻っていきます。
私が最初の離脱者になります。豪雪地ですので、他の人たちよりいち早く農閑期が訪れ、11月最終週からスタートしました。そして冬の後半のたらの芽の生産へと繋いでいきます。
青森から多く来ていますが、だいたい3月の頭で帰省するみたいです。
家では長女も高校受験で正念場を迎えます。お金もかかってきますよね。。
時々思い出すセリフがあります。正確な記憶じゃないですが、昔の海援隊の歌。私もテツヤなので、小学生の当時はよくからかわれたものでした。
働いて、働きぬけ、休もうとか、遊ぼうなんて絶対思うな、その時は死ね。というような言葉でしたね。厳しい表現ですが本当にその通りですね。特に農業で生きていこうとするなら、休むとか遊ぶとか、考えてはダメでしょう。その気構えは、寒天作業につながります。みんな当たり前のように多い人で100日間無休で働いています。。家族の笑顔のためです。
では、次回は岩手から雪国の写真とともにご報告いたします。2月9日は西和賀の雪あかりです。
長野での暮らしも2/3を過ぎて、先が見えてきました。
毎日、ひたすらに寒天の作業です。釜から出たプルプルのところてんが青いケースに入って庭に運ばれます。切れ目が入っていて、何個でしたか、一度私もやったのですが、木枠の中に並べる「天出し」の光景です。
奥に見えるハウスは、庭で出来上がった寒天を最後に乾燥させるスペースになります。
まあ私の任務は草を洗うことなのですが。洗った草はこのようにカゴに入れられて、この先の釜の部屋へと送られていきます。
だいたい朝の最低気温は−5、6度です。テングサも凍るし水槽の間の歩く足場も凍ります。ローラーも凍って草を入れたカゴはスムーズに滑りません。
天出しされて3日くらい経ったところでしょうか。まだ重そうです。
さて、全く関係ない3連休の暦だったですが、14日には仕事終了後に一応お出かけをしてきました。尖石縄文考古館という茅野市の施設です。ここには国宝の土偶が2点所蔵されています。
9月1日に上野で縄文展を見て以来、土偶には関心を深めておりました。
縄文のビーナスと名づけられた土偶です(実物)。
こちらは仮面の女神だそうです(実物)。
建物の外にある「尖石」を見てきました。この名を取って尖石遺跡、尖石縄文館と呼ばれております。
信仰の対象にふさわしい形ですよね。
この後は茅野の隣の原村にある産直に出かけて味噌汁の具やお酒などを買い、去年何度か訪れた「望岳の湯」に一年ぶりに訪れて、部屋に戻りました。小正月ということで事業者さんが盛り合わせを用意してくれていて、ちょうどお酒も買ってきたところだったので、3が日以来の晩酌となりました。
あと3週間、勤務が終了する日は確かに待ち遠しいことではありますが、その後にバラ色の生活が待っているわけではありません。いろいろな面で厳しい農業の現実に戻るわけですね。
ただ帰路のドライブ、長野の観光という1日だけについては掛け値なしに楽しみですね。
明日の朝仕事も寒そうです。
長野県茅野市から、明けましておめでとうございます。11月26日から36日作業し、37日目の今日が折り返し後半戦のスタート日となりました。あと35日テングサ洗浄の仕事を勤め上げ、岩手に戻りたいと思います。
朝5時から始めていますが、ちょうど早朝の2時間半が終わる頃、八ヶ岳から初日の出が昇って来ました。
雪国西和賀ではまず見たことはありません。偶然晴れていた元旦があったとしても、部屋にいれば日の出の瞬間を目にすることは難しいですね。ここでは半分外での仕事でその最中だし、その瞬間を捉えることができました。
電柱のそばに見えるのは八ヶ岳の西岳だそうです。ちょうど林が邪魔をして、仕事場から全貌は見えないんですね。
初日の出は数分間おひさまの輪郭が肉眼で見えました。
どうか今年もおひさまの力で米やにんにくに恩恵がありますように。
寒天のお店の方が、諏訪大社に初詣後、このような飾りを作業場にかけて行きました。あまり見たことのない形です。
テングサ洗浄の施設すぐそばの庭で、正月から作業が続けられています。広げていた寒天の乗ったかいりょうを積んでいるようです。
今朝は−8度でした。洗ったテングサは瞬く間に凍りバスケットにくっついてしまい、とても作業性が悪いです。
しかも洗った草を水に浸ける水槽が立ち並ぶ場所での作業ですが、その水槽と水槽の間の歩くスペースが凍って、滑ります。
まあこれくらい冷える日が寒天の品質には良いわけですが。
農業からはまだまだほど遠い厳寒期です。ただ、いまのテングサ作業というのは、農業に近いものがあり、休みなく働き続けることができているのも、農作業の延長線にある何らかの親和性が感じられる仕事だからなんでしょう。
始まれば、終わる。
1日1日が淡々と過ぎ行きます。焦って手を早めたりしないことで、心の平安(アタラクシア)が肝要です。あ、いつの間にか今日も終わったな、という感じで時間が過ぎることですね。そうすれば、すぐに2月が来るでしょう。
むしろ戻ってからのたらの芽の仕事の方がいろいろ大変です。生鮮品だし、ちゃんと無事栽培ができて、それを無駄にすることなく売り切っていけるのか、いまの単純なテングサ洗浄の日々をむしろ懐かしく思い起こすかもしれませんね。
今年も災害や異常気象なく、そこそこに良い収穫が得られますよう願ってやみません。今年も宜しくお願いいたします。
最初に寒天工場から庭へ出た寒天が、乾燥ハウスに入りました。ここでしばらく乾燥させれば完成です。
最初からハウスに入れておけば楽だろうと思いますが、やはり直接外気に当てて、凍ったり溶けたりを経て寒天になるんだそうですね。「す」という何か蔓を編んで作った台座の上に広げています。
これは広げている段階です。「かいりょう」という木の枠の上にすだれ、新聞紙、白い寒冷紗にようなネット、の上に乗っています。これを上に11段積んだり、また広げたりを繰り返して寒天になっていきます。
広げる時も、積む時も2人で向かい合って作業します。結構重いです。右下の側は地面に着いているので、こちら側に立って作業する人はカギと呼ばれる鉄の器具で1か所を引っ掛けて持ち上げます。反対側に立つ人は両手で持ち上げます。
「押し出し」という、煮上がった寒天の生汁を運搬車で庭まで運ぶ作業をしています。トロンとしたトコロテンを天切りといって特注の刃物で刻んだものが青いケースに入っていて、これを庭に運んで、みんなで「天出し」を、すなわち「かいりょう」の上に木枠を載せて、ゴム手でつかんで入れるという作業に移ります。枠を取れば上の方の写真のように並びます。
さて、去年来た時に、1日だけ休みがありまして、その時に諏訪にあるオルゴールの店で一番下の娘にオルゴールを買いました。が、何かで故障してしまって、そして今回このお店に持ち込んで修理してもらいました。娘は落としてはいないと言っておりましてが、お店の技術者によれば、やはり落下して壊れてしまったとのことでした。オルゴール装置自体の交換で650円で治りました。せっかく来たので、このオルゴールの上に乗せるという回転する飾りを購入し、ゴージャスになりました。飾りでサイズも大きくなって、落としにくくなったとも思います。
もう落とさないでねと言われて店を出ました。
テレビで「ボヘミアンラプソディー」について取り上げられていた番組を見まして、昔懐かしいクイーンの音楽に浸りたくなって岡谷市にあるスカラ座へ行って来ました。
長野県の道路は結構混むんですよね。岩手よりも人口が多いというか密集もしているんでしょう。茅野から30分以上かかりました。
クイーンはやはり音楽が素晴らしいし、メンバーもそれぞれ魅力的です。静かにピアノとともに始まって、強烈なフォルテシモに至る。ドラマティックです。美しい旋律が次々と繰り広げられますよね。ブライアンのギターも最高ですよね。
中学から高校にかけて、期間としては3年間くらいでしたか。友人とカセットとかでやり取りしたり。
ボヘミアン・ラプソディーも何度も聞きました。なぜガリレオやフィガロなのかわかりませんでしたが、全然6分間という長さを感じさせません。ラプソディー(狂詩曲)とは、いろんな曲想が寄せ集められた楽曲のことで、滑稽な部分とかも含まれるのは、リストのハンガリー狂詩曲でも同じですね。ラプソディーインブルーも「ファンタジア」を通して子どもたちにも馴染みとなっています。これもいろんな楽想の寄せ集めですね。
Nothing is real matterとか言ってたと思いますが、matterは質料、物質で、それらは無であると。色即是空のような、形あると見えるものは実は空であると言っているのか、などと当時考えたものでした。いやto meと付け足しているので、主観的な観念論のようなことか、とか。
曲の最後にタムタムにような音が静かに響きます。これは当時からタムタムだろうと思っていましたが、いやそこまではやらないだろう、ドラムスのシンバルでそれっぽく響かせているのだろうとも疑っていました。が、映画を観て、ロジャーがタムタムを叩いていました。さすがです。ここはタムタムでなければならぬ、とちゃんと用意したんですね。
おそらく、この曲で私はタムタムが好きになりました。その後高校2年の後半くらいからクラシックしか聴かなくなりました。
マーラーの曲にはタムタムが多用されますが、深く重い世界観を描写する楽器として聴き入ってしまう楽器です。
明日も、明後日も正月も、朝5時から始め午後4時前まで、テングサの作業は続きます。
]]>長野県茅野市で寒天作りに従事しています。スマホ持参のため注文を受けることもでき、今回は中学生の娘が米等の出荷に携わってくれています。
単身赴任にはもちろんマイナス面も大きいのですが、昨今、冬だけの短期の仕事を探すことは大変困難であり、また2月初めからは、たらの芽作業も入ってくることから、70日間といった条件に応じてもらえていることは大変ありがたいことです。
農作業シーズン中はもっぱら一人で田畑に閉じこもってという環境でもありますから、別の環境で脳に刺激を与えることはプラスの効果もあることでしょう。土地が変わり、仕事場のメンバーも新鮮であります。この地でいろいろ得て戻りたいものと思っています。
こちらでの仕事は寒天作りではあるのですが、私自身は、テングサを洗浄するという特殊な業務になり、テングサを煮る釜の仕事とも、茹で上がった煮汁のところてん状態を外に並べ角寒天を仕上げていく庭の作業とも異なって、水舎といわれる一人のみの役割になります。一人という点では夏場と同じなんですが。。
乾燥した状態で搬入されるテングサを一晩水に漬けた後に、2台の洗浄機で洗浄します。1日に500kg弱の乾燥テングサを処理しますので、かかりきりの専従作業者が必要です。
去年も紹介しましたが、濡れた草の入った重いコンテナを引きずり回す重労働です。
茅野は八ケ岳の麓ですが、全貌がここから直接見渡せないのは残念です。
今年は早めに赴任したので、テングサ作業に入る前段階の庭仕事の準備もやりました。田に稲わらをビッシリ敷き詰めて、ハセ掛けに使う杉の棒で台を作り、その上に板の台座を設置して寒天が乗ります。運搬車が通行するスペースにはトバイタといって板を何百枚も敷き詰めてロープで結んでいきました。秋にこさえ、春には撤去ですが、時間をかけて念入りに準備するものだなと思いました。
物にはいろいろ名前が付いていて、よく覚えてはいません。
それにしても、稲刈りの終わった田なのに轍に水がたまっているような場所が皆無であったのには驚きでした。このように降水量が少ない土地柄だから寒天もできるのでしょう。もちろん田じゃない畑跡地もありました。
10日前からテングサ煮込みがスタートしていますので、現在はもう庭へは出ず草作業に専念しております。
朝5時前には作業を始め、夕方4時前には終了します。お風呂に入って、給食センター支給の弁当を食べ、ゆっくりくつろいで9時には就寝します。飲み会も用事も集まりもないので、気分的には大変楽です。夕ご飯も早く、ご飯もしっかり出るため、お酒は全く飲んでおりません。
先日、近所のスーパー(デリシアといって昔の松電ストアだそうです)で赤ワインの1升瓶を買ってきました(1,800円)。5、6回に分けて飲んで空になったら帰り時でしょう。
何にせよ通勤がないのは、時間的にも燃料代からも助かりますね。
休日はありませんので、とにかく焦らず、暮らすように日々働いて過ごすという感じでしょうか。黙々と目の前の工程の中に没入しています。
夕方、近所の縄文博物館に行ってきましたので、縄文土器を紹介します。美しいですよね。ヘビ柄だそうです。
土偶もありました。表情が個性豊かですよね。土偶というのは壊れた状態でよく見つかるようですが、わざと壊したのかもしれないそうで、安産とかを祈って祭りとか儀式に使われていたんだそうですね。
土偶については機会があったらまた紹介します。
茅野といえば、八ケ岳登山と、大学1年の夏休みの蓼科グランドホテル滝の湯でのアルバイトの思い出が詰まった土地でした。ただ茅野市内には来ていないんですが。。
お出かけにはまだカーナビが必需品です。
ちょうど一週間前になりますが、前からずっと気になってるいた岩手県野田村にある「魚の番屋」に行って来ました。
地元局IBC岩手放送の釣りの番組で紹介され知っていたのですが、ある漁師の方が長年木彫りの魚の創作をされていて、素晴らしい芸術作品であると報じられていました。そのラジオで入館チケットのプレゼントを募集していて、応募したところ当選したという次第です(もちろん入館料を払ってでも訪れたでしょう)。
11月も下旬となり、外の仕事も大体片付きました。冬の仕事が始まる前の束の間の休日です。
「番屋」の場所はHPで見ても実に分かりにくい場所で、実際迷いました。この展示館、割合最近にできたようで、車のナビには入っておらず、最近購入したスマホのグーグルマップを併用して進みましたが、ナビとスマホが交差点で正反対の指示を出したりして最後は苦笑しながらの運行です。
中での撮影は禁止だったので、その素晴らしい作品群を紹介することはできませんが、迫力ある彫琢の魚群を存分に堪能してきました。
その後は、ちょっと大回りになりましたが、一戸町に向かい、「御所野縄文公園」へ寄りました。にわか縄文ファンというわけでもないですが、9月最初に東京上野で見た「縄文展」があまりに素晴らしく、その時にあった「鼻曲がり土面」がここ岩手県の一戸の所蔵とのことで、子どもたちにも見せてやろうと決めていました。残念ながら展示はレプリカで、本物は上野の後にいまはフランスに行っているそうでした。そのことは前もってわかっていたのですが、この日しかもうないだろうと思い、番屋と合わせてドライブに行ってきました。
さて、写真は手元にないのですが、最後の秋仕事であるたらの木の伐採と搬送、そして束ねて小屋に収納する一連の作業を終えました。たらの木はこれから2か月間休眠し、そして芽吹き作業は2月からスタートする計画です。
現在は、去年と同様に長野県茅野市に出向いていて、寒天作りのために庭の準備作業を進めています。去年より10日早く来ていまして、その分終了も10日早めてたらの芽に繋げたいと思います。
今年はスマートフォンとともに赴任しているので、メールはすべて送受信できますし、お米の注文につきましては中学生の娘に梱包出荷作業をしてもらう段取りになっています。少しずつ農作業に関わるようになってくれて、頼もしく思っています。
にんにくについてはまずは在庫分を黒にんにくに回しますので、青果の方は販売を終了しましたが、黒にんにくは出荷対応させていただきます。お米と同様に変わらぬご利用をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
寒天作り工程については、また折に触れお届けいたします。
秋も深まり、収穫後の片づけ作業に追われています。積雪までもうあまり時間が残されていません。
そんな心穏やかならぬ時期になっているのですが、11月に入ると何かと行事が目白押しになってきて、毎年全国で行われている認定農業者サミットが今年は山形県で行われるということで、参加してきました。一昨年には岐阜まで出かけてきました。去年は高知だったようですが不参加です。もちろん毎年参加することではないし、今後はしばらくないと思います。今年は近場で良かったというところですね。
初日に午後から全体会が行われ、写真の会場に全員が収容するのですが、中身的には儀礼的なもの半分です。メインの内容は開催県によって自由に決められることと思いますが、今年のメインはパネルディスカッションでした(その前にいろんな受賞者の表彰があり、これはどの県も同じです)。2回目の参加ということでつい以前の時と比較してしまいますが、内容的には前々回開催の岐阜の会の方が良かったです。視聴覚技術を駆使してステージの踊りと音響、それにプロジェクションマッピングが加わって、岐阜の四季の農村の光景の推移を多彩な手法で表現し、実に素晴らしいものでした。
今年行われたパネルディスカッションも、等身大の農家でしかも個性ある取り組みの方が話すことですし、勉強にはなりました。ただ、内容的には想像がつくこともありますし、こうした会場で突っ込んだ深い議論にはなかなか至りませんで、やっぱり岐阜の時が良かったかなという感じです。こうしたビッグなイベントを開催するというのはいずれ周到な企画や準備が求められ大変なことですね。
こちらも2度目ということで恒例のようです。特産品の試食コーナーです。時間的には初日の午前中でこちらが皮切りになります。屋内と屋外に分かれ、こちらは屋外のコーナーです。山形牛ステーキに行列ができています。割と早い時間帯からいたので、まだそれほど混雑はしていません。他に、芋の子汁、鶏肉の何か(照り焼きだったか)、そして餃子のコーナーと、結構充実していました。朝はホテルのバイキングでしたし、今日は食事関連は満点です。
昼は昼で特製弁当が出ます。山形の料理がふんだんに盛り付けられています。
ちなみに、携帯をようやく買いました。シャッター音が大きかったり、連写になってしまいびっくりと、まだまだ使い慣れませんが、写真はとても綺麗ですね。iPhone8です。
全体会が終わってコース別に県内各地に散らばります。夜になって懇親会会場です。県内に何か所かに分散して(8か所くらい?)、懇親・宿泊します。全国の農業者と接する機会になりますね。私は鶴岡市方面のコースを選び、鶴岡市にいます。西和賀からは農家3人+役場農林課職員1名の4人参加。役場の公用車で前日暗くなってから5時頃に出発し、山形市内で1泊しました。4人ともコースはバラバラで、このホテルへ向かったのは私1人です。
仲間で同じコースに希望という例もありますが、基本は普段の同郷メンバーはシャッフルされて、テーブルも宿の部屋も別々にしてできるだけ遠方の初対面の交流を促そうというのが会の趣向ですね。
法螺貝を持った武者の登場で始まり、太鼓の演奏があって、懇談という感じです。
2日目です。私のコースではまず「亀ノ尾」という古いお米についての資料館を訪問しました。昔「夏子の酒」という有機稲作を扱った漫画がありましたが、ここで栽培された酒米が亀ノ尾という山形県庄内地方で育成されたお米だったのですね。庄内というのをちょっと地理的に誤解していましたが、鶴岡の辺りだったのですね。県内北西部になり雪もそれなりにありそうですが、平野だし暖かい地域です。
亀ノ尾は長棹種でいまでも山形県内で敢えて〆縄作り用に栽培されているという話でしたが、実は岩手県内でも何軒かの自然栽培の農家さんが主食用米として生産なさっています。現代の餅系主流の米とは違った味覚も喜ばれるし、栽培上も多肥は不適で、無肥料栽培向けといえます。陸羽132号を栽培したことがありますが、当地では寒すぎた感じで、かつ病気に弱いのが欠点でした。ひとめぼれに変えましたが、ずっとよく出来ます。亀の尾、沢内ではどうでしょう?? 気になる品種ですね。
穂がオサガメの尾に似ているらしいです。
学芸員さんから話を聞きます。阿部亀治という篤農家が、水口(みなぐち)近くの冷たい水の場所で豊かに実っている稲を見つけ、その籾を元に育成したそうです。ここは庄内よりもずっと寒いので、このようなおそらくは寒さに強い稲は魅力的です。
ふつう米の品種育成というのは試験場など公的機関によるものというイメージがありますが、ここ庄内地方では民間育種家が多く取り組んできたという独特の経緯を持つ地域らしいです。
亀ノ尾、いいですね。。
さて、次に花き育苗センターを訪れました。庄内地方は花き栽培も盛んで、ストックが有名らしいです。育苗センターでプラグ苗を生産し、農家に配布しているとのことです。写真は播種機ですが、正面奥の方で土を入れたプラグトレイがここで播種されるようです。
青い金枠に先端が白く丸いプラスチック上の突起がプラグ穴の数だけ付いており、種が巻かれる場所にまずくぼみをつけるのだそうです。
次に種が蒔かれます。非常に小さい種ですが(黄色い帯状に写っているのが種の集合)が回転するローラーの突起部分に付着して、プラグのくぼんだ部分に整然と着地していきます。
播種されたプラグトレイはこの冷蔵室で少し冷蔵されてから、育苗に入るのだそうです。
普及員さんがバスに乗り込んで案内をしてくれましたが、花きの方もおられ、立ち話でりんどうのこともうかがいました。山形には「ハイネス」という県育成のシリーズがあるそうですが、ここ庄内地方は暖かいため作付けはなく、全県的に奥羽山脈寄りの中山間地域に散らばっており、ここだという特定の産地はないそうでした。時々農業新聞の市況で山形のりんどうは良い値段になっていますよと伝えました。東北の日本海側はりんどうに好適な気候と言えるかもしれません。雪もほどほどに早く解けてくれる方が、春に早くからじっくり作業にかかれて良いんですが、西和賀はちょっと多すぎですね。支柱も痛められますし。山形は適地でしょう。小国のような豪雪地になるとまた違いますが(2月に訪れました)。
3番目に訪れたのは「クラッセ」という名の米倉庫を改造した工房・店舗・レストランの合体した施設です。余目駅のすぐそばにあります。
担当責任者から話を聞きます。菓子・惣菜など農産加工の工房が3室くらいあり、他に業者のテナント利用の部屋もありました。この施設で営業許可を取っていて、個人向けとして組合員というか利用者ですが、年間500円の会費で利用できるそうです。ほぼ実費のみの負担なんですね。予約で結構いっぱいに埋まっていて、なかなか予約が取れないみたいでした。専業主婦の趣味的利用から、本格的な農産加工まで、さまざまだそうです。われわれだと、農産加工=冬というイメージになりますが、こちらでは年間を通して埋まっているようです。
販売の方はこちらの組織が責任者となり、商品のクレームも受ければ、セールスに出張することもある、そういうお話でした。左の窓の向こうが工房になります。
ガラス越しに工房を覗きました。新しい施設のようですね。細かく立ち入りませんが、高額な機械も入っていそうです。
このあと店舗でお土産を買い、レストランで昼食(豚の焼肉)を食べました。全体の運営は町で(庄内町)、町職員が管理しているようでしたが、こうした施設があるというのは、われわれから見ても羨ましいですね。自前でこのような設備というのは個人レベルの小規模ものでも投資はかなりだし、覚悟もいります。気軽にまずはやってみようという体験ができますね。やってみること、は大事ですね。
すぐそばには余目駅。駅から見てもそんなに大きな町ではなさそうですが、いま見た施設は立派です。施設の立ち上げに関しては議会の否決もあったりしたそうで、簡単ではなかったようです。費用対効果の勝算は難しかったかもしれませんが、しかし現在はうまく軌道に乗っている感じでしたね。おそらくは直接の店舗訪問者への販売というよりは、積極的に全国的に仕掛けているんだと思います。
さくらんぼのタルト、と、ラフランスのキャラメル、地元産の醤油を買って帰りました。私はだいたい旅先で醤油を買ったりします。
昼食後、これで研修項目は終了しました。オレンジジャケットのスタッフさん(多分多くは普及員)、ありがとうございました。ここから3時間近くかけて、最初に役場の車で乗り入れた全体会場へ戻り、国道13号で沢内へ帰ってきました。そういえば参加した3人の農家はいずれも沢内で、湯田の農家はいませんでしたね。役場職員は湯田の人でしたが。
バスガイドさんがいましたが、確か岐阜の時はいませんでした。全体会場(だいたい県庁所在地近く)から各コースの拠点(懇親会場)までの長距離移動中も、岐阜では普及員さんがずっとガイドをしてくださり、さまざまな地元の農業事情を話してくれ、良かったなと思い出しました。今回のガイドさんもまた一生懸命で観光的なことまで話してくれましたが、岐阜の普及員さんの時はバスガイド的な観光の話はありませんでしたね。
なんと白鳥が田んぼにいます。何か所もでした。岩手では川や湖にのような水の上でしか見たことありませんでした。車窓からです。バスでは栃木のトマト農家さんと同席で、フレンドリーに話をしてくれる方でした。
さて、今回のサミット旅行では、前日出発の計画としていました。日暮れも早い時期だし、当日早朝に出て渋滞等でイライラするよりも、前泊でゆっくりしても農作業の進みに変わりはないし、サミット自体では町内参加者はみんなバラバラになるので、前夜に懇親する機会があってもいいねということで、山形市内に泊まりました。
翌日、10時のサミット開始時までの間、旧山形県庁の庁舎を訪ねました。大正時代の作りで、西洋風に中庭を取り囲む四辺形の建築でした。
昔の洋風の部屋です。「るろうに剣心」のロケで使われた部屋だそうでした。
さて、家の仕事です。廃園にするりんどうのネットを外し、支柱を抜き、自然状態に戻っています。マルチですが、秋は多忙なので、春のまだ地面が湿っているうちに除去しておりました。天候を見て、廃園の耕耘の実行です。
結構背丈もあり林立しているのですが、綺麗にすき込まれていくものです。1畝ずつバックで戻りながら最低速でゆっくり耕します。
トラクターですが、古い22馬力を使っていましたが、エンジンの冷却系統のパイプに穴が空いて(いわゆるガスケット抜け)、エアクリーナーからの空気の取り込み口の方の破損なのでしょう。エアが冷却水内に入ってリザーバータンクまで逆流し、圧力でリザーバーのキャップを外しポタポタ水を撒き散らしながらの耕耘作業という状態でした。30分もすれば冷却水も減って水温(あるいは水量か)の警告灯がつき、しばらく休ませて、ラジエーターキャップ から水を足して満杯にし、また30分作業するという感じでした。この秋のことで、にんにくや小麦の耕耘には難儀しました。。
ちょうど農機屋さんに良い中古があり、値段も手頃だったので、買い替えとなりまして、今回この25馬力の四駆のトラクターの初仕事となりました。隅っこの方のぬかるみ箇所もぐいぐい進んだし、これだけの草丈をよくすき込んでくれました。
いまは次年度に残す他のりんどうの片づけも終盤で、もうちょっとでOKです。とりあえずの粗片づけは終わりネットも外しましたので、雪が降っても大丈夫です。
りんどう以外には、あとはハセの片づけと、たらの木の伐採です。伐採は昨日少し手を着けてみました。りんどうや稲作が終わると、たらの芽のシーズンの始まりです。まずは穂木を作業場内に収納し、年を越して休眠が冷めてからのふかし栽培となります。雪がない地方では、その都度必要な分だけ伐採して芽出しをすることができますが、豪雪地なのでそうはいきませんね。。
これらの作業が終わったら、少したらの芽栽培室の外壁や天井屋根部の修繕をして、長野(茅野市)へ寒天作りの出張に2か月出かける予定です。
タイヤ交換もやらなくては、でした。
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稲刈りが無事終わり、新米の出荷を開始しました。夏の高温傾向に支えられ稲には良いシーズンだったと思います。稲刈り時に雨が多かったのには多少泣かされましたが、ただ昨年のようなひどいぬかるみでの稲刈りということはありませんでした。去年のあのひどい稲刈りのヌカリというのは、ちょうど7月の中干しの時に、雨が続いたことにより、十分な干せ方ができなかったことに由来したと思っています。確かものすごい猛暑が7月初旬に来て、その後の中下旬の中干しの時に雨が続いたと記憶しています。それだけに今年は中干しに注意を払い、端の方だけですが溝を掘ったりして十分な干し方に努めました。それが功を奏したのだと思います。稲刈りの時期に雨が続いても、割合と水がはけて、あんまりひどい状態にはならず、一部例年通りの難所はあったものの、まずは問題なく進めることができました。
稲刈りスタートは1週間遅れましたが、土曜日に子どもたちの手伝いもあり、りんどう収穫・にんにく植え付け・小麦播種と稲刈りが重なるこの最大の繁忙期をまずは乗り切ることができたところです。
稲を運ぶ運搬車(キャリア)が古くなっておりまた小さくて、次はこの機械の更新が急務です。キャリアというのはどの家でも需要があって、なかなか中古品として出回らないんですよね。ハーベスタも去年苦心して機械更新しましたが、これも大事に使っていかなくてはいけない道具です。
ハセ掛け天日乾燥にこだわる当園では、このハセの準備(それと片づけ)が結構大変な作業になります。ホケと言ったりしますが、横に掛ける杉の棒を古い小屋の2階から降ろしてハセの柱のところに運ぶ作業です。3人がかりでも半日以上かかる工程です。
棒は2本ずつ引きずっていきます。中学生になった息子は現在野球部ですが、「巨人の星」テーマ曲冒頭のフレーズが頭に流れてきますね。将来、甲子園での勝利投手のインタビューで、稲を掛けるハセの棒の仕事をして体を鍛えました、と答えてくれたらと。。
最初は紐を使っていましたが、脇に抱えた方が楽と気づいたようでした。
さて、小麦の播種も3〜4日遅れで何とか進めました。
現在は発芽も終え、順調に生育中です(写真はアリーナ)。左の方はにんにくです。周囲は紅葉ですね。トリミングしてしまいましたが、日付は10月27日です。この日から今日で4日間連続で雨です。前の日の26日に、予報を見て今日が最後と思い、最後まで掛かっていた稲の脱穀をしました。素晴らしい秋晴れで湿度も低く、良い状態で脱穀を済ませることができました(脱穀は日中の短時間で集中して行われる緊張感を伴う作業ですので、写真を撮る余裕はありませんでした)。この日にやれず次の機会を待っていたら、と思うと、この予報通りの雨続きで生きた心地がしていなかったことでしょう。それほど日本海側の秋は天候が崩れやすい、綱渡りの作業になるのです。現に寒気が入ってきて居座ったり、冬型になったりが続いています。
にんにく植え付けも長期化していて、ようやく昨日種を置くところまで全て終わらせて、あとは土が乾いてから行う覆土が一部残っているというところです。病害虫のりん片を植え付けることがないように「ツルツル植え」を行い、りん片の準備に時間を要した次第です。健全なりん片のみを植えることが栽培の最重要ポイントです。
一方、今年の黒にんにくもまずは順調に仕上がっています。にんにくが新鮮なうちに製造してしまうことがポイントのように思います。にんにく植え付けのための皮むき作業が夜なべ仕事でずっと続いておりましたが(ラジオで日本シリーズを聞きながら)、今夜からは黒にんにく仕込みのためのにんにくの皮むき調整が夜なべ作業になります。
にんにくと並んで生姜にも力を入れたいと努力しております。が、ここはやはり寒い北国。植え付け後の6月に、去年と全く同じく寒い日が数日間続いて、発芽不良をきたして、結果収穫量も少なく、かつどれも小さいです。2年続きでダメだったので、ここは明らかに無理なのでしょう。ただ2年前の初年度のみ、運が良かったのか、普通に採れたのでした。安い種にしたのがまずかったのでしょうか。。数を取ろうと欲張って種を小さく割りすぎて、発芽や成長のパワーを奪ってしまったということでしょうか。
10月も終わります。沢内は紅葉の最盛期、から過ぎようとするところです。ブルーベリーの紅葉です。今年は当地は不作の年でした。
こちらはたらの木の紅葉です(10月27日撮影)。あと1週間くらいで全部枝ごと落葉し、縦に伸びる幹だけの姿になります。
これから、猛ダッシュでりんどうの刈り取りや残骸の片づけ、廃園にするりんどうの支柱抜きと耕耘整地、ハセの片づけ、ブルーベリー等の雪囲い、など秋じまいが始まります。そして最後の仕事はこのたらの木の伐採と収納です。
積雪というお尻は目の前にきており、この2週間が勝負です。いろいろ研修旅行やらで出かける用も多く、かつ天気も悪い。無事作物を雪の下にせずに片づけ、管理し終えられるかどうか、ですね。
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台風21号が岩手にも接近しながら、通り去って行きました。大阪の大変な映像を見て、農業の方々は恐ろしさを感じられたのではないでしょうか。農業被害の方は報道されていないようですが、特に関西近郊は心配ですね。。お見舞い申し上げます。秒速50mではどんな施設も作目もひとたまりもないと思います。ハウスや果樹、稲、また私などの支柱やネットを掛けた園芸品目も風は大変な被害をもたらします。幸い今回はそれほど風が吹かなくて、りんどうが折られたりすることはありませんでした(6月には強風で折られたのですが)。
そのりんどう栽培では、お盆と彼岸という2つの出荷の山があり、現在は彼岸品種の出荷が始まったところですが、8月の下旬というと、ちょうど出荷が途切れる時期で、手を付けられなかった草取りをしたり、農道畦畔の草刈り、にんにくの植え付けのための圃場作りなどをやっていました。
そんな8月25日になりますが、われわれ西和賀地域に住む者には馴染みの深い、北上市のショッピングセンター「パル」でオーガニックのフェスタがあり、参加してきました。県都盛岡市となればまた別ですが、北上市という中間的な小都市で「オーガニック」を銘打った催事が行われるのは、時代の流れを感じるものがあり、喜ばしく思います。
米は在庫も減ってきておりますし、小麦も今年はなくて、ブルーベリーは不作であったことから、にんにくのみの出品となり、これに近所のお母さんから預かった西和賀わらびの塩抜きしたものと赤シソの塩漬けを持参しました。「パル」にはイオンとかも入っておりますし(「パル」の中にイオンが入っているのです)、北上市の中では第1のショッピングセンターになると思います。お客さんは結構来まして、暑かったり、突然大雨も降ったりで、なかなか大変でしたが、とりあえず預かったわらび30束は完売しましたし、もしかしてと思って持参したメークイン10kgも売れました。売り上げはさておいても、まずいい経験をさせていただきました。
店員は小3の娘だけでしたが、立て込んだ時は結構助かりました。私にとって出店経験というのは2回目くらいでしたが、慣れた皆さんは、店構えがやはり違いますね。コピー用紙にマジックではなくて、濡れても良いもの、風で煽られても痛まないものなど、配慮が必要ですよね。小道具の使い方とかも。
次があるかどうかは不明ですが、こういう勉強もたまには必要で、オーガニックに関心ある方々との会話もプラスになりました。お世話になりました。
こういう場ではやはり出店したフードが楽しみです。「タコス」というのが以前気になって、去年盛岡へ冬に勤務していた時に、どこかにあるはずだと探し回ってみましたが、結局見つからず、コンビニとかにもありませんで、この日、ついに初の体験となりました。沖縄風だそうです。パリッとした包みの皮が中身とマッチしています。
あっという間という感じでしたが、無事出店を終えて、にんにく用の豚糞と牡蠣殻石灰を買いに出かけ、いっぱいになった軽トラの荷台を気にしつつ、ゆっくりと帰宅しました。本当は花巻まで足を伸ばし、「イーハトーブフェスティバル」に行きたかったのですが、途中豚糞が1袋落下する出来事もあって、積荷が心配になり、これはやめようと断念し、帰宅しました。久石譲氏の講演や、他の方のライブもあって、ちょっと気になっていたのですが。。
いつも一度にあれもこれもとやることを増やす悪い癖なんですが、今回は踏みとどまりました。
さてその1週間後ですが、今度は東京での「新農業人フェア」の「何でも相談員」に頼まれていて、新幹線の日帰りで東京に行ってまいりました。池袋サンシャインですが、案内にはただ4階とだけ書いてあり、行ってみると、わからない! 約束時間通りにビルには着いたのに、20分くらい遅れてしまいました。
これは20年くらい前から行われている新規就農希望者のための相談会で、各県の就農相談センター(県農業会議や農業公社など)や市町村などの関係機関、それにインターンシップや社員を募る農業法人から構成されています。全体がリクルート社主催ということで、民間のセンスでイベント性も高めています(前は、こういうのは全国農業会議所がすべて取り仕切っていたと思いますが)。
私らは、実際に新規就農したいわゆる先輩農家としてアドバイスを受けるというコーナーを担当します。別の一角では私たちのような移住農家が画像とかを使って体験発表するというコーナーもありました。「有機農業に関する相談コーナー」や、「女性の新規就農のための相談コーナー」もありました。
私たちはよろず相談みたいな感じですが、あまり長話をせずに、他のブースへ誘導してほしいという感じでしたので、深く突っ込んだりはしないようには努めましたが、まあどうだったでしょうか。私は3年に1回くらいの相談員なので、最新の動向に疎かったりしますし、手慣れた仲間相談員には及びません。
総じて、20〜30台の男性の方は農業法人への就職を前提にし、場所はどこにしたらよいか、何の品目がいいかとか、そういった内容が多く、女性の方は、通常の意味での就農や法人への就職といった枠組みにとらわれない、こだわりのある働き方、といったものに関心があり、かえって通常の農業写像のイメージでは割り切れないような可能性を持っているように思いました。
こういう相談フェアも回数を重ねていますし、どんな希望者にも対応できるような仕組みというものは整えられているのでしょう。いつまでも20数年前の時代とは違いますし、いまは手探りで進めるしかない試みも数年後には制度化されたりしているかもしれません。多様性というのは大事にしたいものだし、アンテナを張っていたいものです。
畑や作業場に閉じこもってばかりではだめですね。全国農業会議所のベテラン相談員とも席が隣で雑談もしましたし、良い経験をして来ました。
さて、東京の知人に、何か面白い展示イベントはないか尋ねてみたところ、「縄文展」との情報提供がありまして、午後4時半の就農フェア終了後、池袋から上野へ移動し、国立東京博物館へやって来ました。土曜日は夜8時までやっているということで可能だったのですが、翌日で終了という前日でしたので何ともすごい混雑でした。ここは博物館の別館のような施設で、入口前のテントのところで入場制限をしており、10分待って入館できました。料金も1,600円と結構な額です(岩手ではこんな値段は多分ないと思います)。
ただ、この料金も、大混雑も吹き飛ばすほどの迫力の内容で、縄文の壮大な創作パワーが漲る素晴らしい展示です! 全国から勢揃いした土器や土偶はボリューム満点でしたし、たっぷり2時間満喫できました。普段読んでいる農業新聞にもこの記事が載っていて、30万人が訪れたとか。
東北からも素晴らしい作品が集結し、特に青森は多く、国宝級の出土があったようでした。同時期の世界の出土も展示されていて、これは1人1,600円分かかっているなと余計なことを感じました。
有名な土偶には人だかりができていて、近くに寄って見ることも困難なくらいです。そういえば5年くらい前に上野動物園と合わせて訪れた「恐竜展」を見た時(上野の科学博物館でしたか)は、子どもも多くてもっとすごい混雑でした。。
唯一写真を撮って良い撮影ポイントです。何かにつけ「縄文」のワードを耳にし、ある意味ブームでもある時代のキーワードになっていますが、こうして一堂に会した縄文の作品群を目の当たりにして、まさに1万年前の精緻で大胆な創作力に、存分に浸ることができました。
今回の展示にもあった「縄文の女神像」です。これは去年山形の博物館で「ケセランバサラン」とともに撮影したものです。「粘菌展」を見たくてお盆休みに出かけたのでした。この同じ像が首都にやってきて、何十万人から熱いまなざしを受けていることには、東北人としてちょっとした感動を覚えました。
山形での「女神像」の鑑賞のポイントです。
写真には撮れませんが、今回の上野で一番注目度が高かったのは、八戸より出土した国宝「合掌土偶」ではないかと思います。また岩手では一戸町の「御所野遺跡」が有名で、世界遺産登録も目指しているそうです。今回は「鼻曲がり土面」が出品。
本当は、小3の娘と夜行バスでたっぷり時間をとって上京し、池袋での私の用務の間はサンシャイン水族館に行き、フェアの後は「デザインあ展」を見るという計画でした。が、突然に学年行事と重なるということで、1人での上京となりました。昨今の学校は行事が多く、何かと重なることが多いのです。昔は放課後なども自主的に公園で野球をやったりしましたし(「ドラえもん」で描かれるように)、休日に学校へ行くことなどありませんでした。いまは子どもが減っているせいか、土曜日も半ドンでなく休日になっているためか、学校関係も平気で土日にスケジュールが組まれます。親としてはいろいろ休日にさせてやりたいこともあれこれ考えながら、仕事に都合をつけたりしているんですが、部活とかも含めて、まあ過剰ですね。。周りの大人から制度的に与えられ用意される時間を過ごすのでなく、自由な枠組みで休日を過ごさせたいなどと願うのですが、時代遅れな考えなんでしょうかね。。
1人で、縄文展を見られたことは、結果的には良かったかもしれません。
19:30頃に博物館を出て夜の上野公園を歩き、駅の方へ向かいました。上野動物園ではパンダのシャンシャンはもう普通に見られるようになっているのでしょうか?
その反対側には、東京文化会館。懐かしいです。昭和61〜62年頃でしょうか。東京に出てきて間もない頃、朝比奈隆/大阪フィルのブルックナー8番を聴きに出かけました。地方ではブルックナーなど絶対に演奏はありませんし(唯一4番だけはあります)、世界一のブルックナー指揮者と言っていい朝比奈隆です。生まれて初めての生のブルックナー、しかも最も好きな第8番の演奏です。思いのほか早めのテンポでしたが、悠揚な息遣いのその演奏の感動はいまでも忘れられません。
当時、三軒茶屋から上野へ。新玉川線から銀座線へ乗り換えです。真っ黄色の銀座線は壁にランプが付いていて、バチっとランプが光った瞬間に車内が真っ暗になる。こんなことがあったのを思い出します。東京生活も最後の頃は銀座線も真っ黄色ではなくなったし、バチッとショートするようなこともありませんでした。32年くらい前のことでした。
後に、家からも近いNHKホールでN響の定期にD席当日券(千円)で聴きに行くようになったりして、上野からは足が遠のきましたが、ホールの音は文化会館の方が好きです。
上野公園では最後に西郷さんの像を探しましたが、なぜか見つかりませんでした。電車の時間もあり急いでいましたし。。
ちなみにアメ横で、ここで食べようと決めていた大衆食堂へ急いで向かったのですが、閉店。。店内にお客さんは見えましたが、多分材料が終わったのでしょう。ここのカツ丼を期待していたのに残念でした。。他はたいてい混んでいたり、飲み屋系だったりで、空いていたラーメン屋さんでラーメンと焼肉丼セットを急いで食べて上野駅へ向かい、東京ばななのパンダバージョンと崎陽軒のシュウマイを買って20:30のやまびこに乗り、23時過ぎに北上駅へ到着。眠気覚ましにコーラを買って運転し、12時半に家に到着しました。
縄文パワーをエネルギーに、これからの山場、彼岸りんどうとにんにくの植え付け、稲刈りと小麦の播種、に立ち向かいたいと思います。
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全国的に猛暑となった2018年の夏。われわれにとっては年間で一番の山場であるりんどうのお盆出荷の時期となり、連日、残業出荷の日々が続きました。時に、関西で40度の時にこちらでは20度といった涼しいを通り過ぎたような日もありましたが、大体が28〜29度で数日31度がありました。
お盆出荷とは8/1〜8/10の10日間になりますが、7月下旬から高温少雨が続き、高温による開花抑制が予想されたので、当園では潅水を連日続けて、なんとか少しでも需要期に合わせて開花を促進させるとともに、高温による花の日焼け障害等の防御という意味で圃場の地温を潅水により下げられればという対策を続けました。もっとも日差しの強さは水によっては防げませんが。。
もともと一人での出荷というのは1日せいぜい10箱(2,000本)程度しかできませんが、その高温の影響でしょう、ダラダラと少しずつの開花という感じになって、一人作業でちょうど良いかという咲き具合が続きました。ただ、ダラダラ開花のために、結局毎日広範囲の同じ面積を歩いての採花となり、これまでのようにお盆出荷区画を3等分とかに分けて、3日間隔で収穫に入るというようにはいかず、毎日いっぱい歩いたロスが多かったお盆でした。
全国的に、ここよりももっと暑くなった地方でもりんどう産地はあると思いますが、高温による悪影響はなかったのでしょうか。35度になるような地域ではりんどうは栽培できないと思うのですが。。
まず現在はお盆の青が終わり(今日採って終了にします)、白の出荷を続けます。これからはお盆の反動で安値になります。が、もし市場での出荷量が大量とならなければ、そこそこの安値で推移してくれるのですが、今週の動向はどうでしょうか。。
さて、高温好天傾向は、にんにくの乾燥には大助かりでした。今年シルバーよりもっと遮光の強いダイオシートでハウスを覆ってみたことは、猛暑の夏として正解でした。外気が30度の時のハウス内は27度くらいでしたね。コンテナに入れているのは種にする分と未整理の出荷用にんにくです。根は全部切りました。現在入っている注文に応じるために、お盆りんどうと彼岸りんどうの出荷期の合間に皮むき作業を続けたいと思います。そろそろ乾燥も終了したと思います。
気持ち良い風も結構入ってきてくれて、扇風機はほとんど回しませんでした。
さて、お盆出荷に一区切りついた昨日、下の2人を連れて秋田の海へ出かけてきました。本荘マリーナ海水浴場です。海水浴場は8月15日までだし、これまではりんどうがあったり、また息子は部活の野球があって、結局お盆しか出かけられませんでした。
下の娘と久慈の海に出かけた7月下旬はたまたま涼しい傾向で、泳ぐにはちょっと寒い感じでした。もう一度暑い時に、ということで暑い折に海に来れてよかったです。もうすぐに涼しくなってしまいますから。。
1時頃に海水浴を終え、ちょっと遅い昼ご飯を食べた後、息子が道の駅で友達に買い物をしたいというので、急遽西目の道の駅へ向かいました。途中、午前中は姿を見せなかった鳥海山がその威容を表してくれました。
土産の傾向ですが、秋田では、まずナンバーワンが「秋田犬」のキーホルダー系やお菓子類でした。ダントツで、ほとんど秋田犬しかないような感じでしたね。
道の駅西目の近くで買ったババヘラアイス(200円)。
さて、午後は釣りの予定をしていまして、本当は海水浴をした本荘マリーナの堤防で釣る計画だったのですが、先に買い物に道の駅へということで(道の駅は早く閉まってしまいますので)、西目の方へ向かったことで、釣りも西目の漁港で行うことにしました。釣り餌を買った釣具店の情報では、マリーナよりも西目漁港が良いとの感じで、結果的に良かったかもしれません。
シロギスが釣れました。今日の昼に天ぷらになりました。
こちらはハゼ。子どもの頃広島の川で、3人で100匹、4人で100匹とバカ釣りしたものでしたが、何十年かぶりに出会いました。
こちらですが、何でしょうか。海タナゴ? 写真では大きく見えますが、10cmくらいの放流サイズです。。どことなく真鯛にも見えなくもないですが、目がちょっと違いますね。子どもの頃瀬戸内海では結構真鯛が釣れたものでしたが。
そんなわけで午後3時過ぎから6時まで釣って、久々の街場でもあり買い物を少しして、温泉(「ぱいんすぱ新山」〜料金も手頃で良い温泉です)に入って、8時になったので夕食も由利本荘で食べてから家路に着きました。到着は23時ちょうどでした。お盆出荷の疲れを引きずっての強行の旅でしたが、帰りの眠気は用意していたコーヒーだけでは抑えられず、コーラを買って乗り切りました。コーラは眠気覚ましに結構効くみたいです。
そういうわけでお盆休みも終わり、今日はまたりんどう採りです。早くお盆品種にケリをつけて、たまった別の作業にも着手したいところです。
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当園の柱の品目であるりんどうが咲き始めてきて、夜なべ作業の日々が始まりました。もっとも、にんにくを掘った時から根切り皮むき作業等で残業はスタートしていましたが、いよいよ夏本番のお盆需要期りんどう出荷が開始しました。7月後半からの全国的な高温傾向で、逆に開花が抑制され、お盆需要期には十分な供給ができないかもしれません。できるだけそうならないように、水口から潅水をして、開花を促し、かつ圃場の冷却を図っています。30度超えが続くと花に白い花焼け障害が出るのも要警戒です。
りんどうが始まる前に終えなければならないことを一つずつチェックして、取りこぼしなきように諸々の作業を進めてきましたが、農道の草刈りがちょっとだけ残ってしまいました。これからの1週間はもうりんどう出荷のことしか考えてはならず、咲いたものを無駄なく最大限出荷すべき、まさに1年の正念場の到来です。
その正念場の直前ですが、夏休みも部活で出てゆく上2人の中学生から取り残された小3の娘と、約束の海に出かけてきました。
場所は三陸海岸の久慈市です。「侍浜海水プール」というのがありまして、面白いかなと思ったことと、水族館の「もぐらんぴあ」に行ってみたいとのことで、ここ久慈まで3時間半かけてやってきました。が、グーグルマップで片道170km。ちょっとやはり遠出でした。
ここは岩場の中に平らな底のプールを作ってポンプで水を汲み上げています。海のすぐそばになんでわざわざプールを、と思われるかもしれませんが、ここは太平洋に面した三陸海岸です。私のように瀬戸内の穏やかな海辺を見て育った者には、直接目にするまではわかりにくかったことですが、波が荒いです。写真の裏側の海に接した岩場では、常に大きな波しぶきが舞い上がって、このプール脇の視野にまでも入ってきたりします。砂浜も三陸では少ないし、なかなか海=すぐ泳げるという感覚ではないようです。
もっとも砂浜の海水浴場を最初から目指せばそれもまた良かったでしょうが、今回は水族館も見たかったので、こことセットになった次第です。
うちの娘と、やや後に来た1家族の2家族で独占した海水プールでした(私は水には入りませんが)。
さて、海水プールは気温の上がる午後からと思っていて、まずは午前中に手前になる久慈琥珀博物館を訪れました。長野の八ヶ岳に東側の町では黒曜石を見て土産も買って来ましたが、ここ久慈地方は琥珀の産地です。琥珀を使った立派な美術品も飾られてあり、土産のストラップのようなものも買って来ました。琥珀は樹液が元になっているということで、虫が閉じ込められているケースが多いようでした。
展示されているチェスの琥珀です。
こちらは人魚像ですね。
人魚像モザイクの説明文です。
さて、海水プールで泳いだ後に、久慈市の水族館「もぐらんぴあ」に来ました。震災で全壊し、再びリニューアルされて1年くらい経ったでしょうか。そんなに大きい水族館ではありませんが、岩手ではここが唯一ではないかと思います。このトンネル水槽が目玉のようで、3.11を生き残ったと言われるウミガメがいました。
こちらは、5年間何も食べなくても生き延びられると言われる、ダイオウグソクムシ。
クラゲのコーナーが充実していました。冬に行った江ノ島の水族館もそうでしたが、クラゲはブームのようですね。山形県鶴岡市のクラゲ専門の水族館が火付け役になったかと思いますね。
もぐらんぴあのすぐそばの漁港で少しだけ竿を出してみましたが、アタリの気配もなく、すぐに納竿しました。
久慈からの帰り道、新山根温泉(べっぴんの湯)に寄ったことで、行きとは途中まで違うルートで帰ることになりました。ナビのままに成り行きで進んでいたのですが、道路の半分が崩壊しているところが多く見られました。途中で大型車では通行不能との看板も現れて、思わず近くの商店にいた方に大丈夫か尋ねて、通れるよとのことで進みました。崩落していないところでも道幅は狭く、カーブはまさにヘアピンで、通行する車両もなく、霧も立ち込めて来て、満月がぼやっと木々から垣間見えたりして、緊張の走行となりました。平庭高原で、久慈から岩手町へ向かうメインの国道に連絡し、ホッとしましたが、結構な時間を要して、結果、帰宅も夜11時を過ぎたりと、スケジュール満載のハードな休日になりました。
道路の崩落が多発していたのは2年前の台風10号による被害だと気づきました。岩泉町と接するこの久慈市も被災した地域が多かったと記憶しています。山根温泉から、その2年前の春に訪れた安家洞も比較的近いようで案内表示が多く出ていました。山根温泉から平庭高原へ抜ける道は交通量も多くないことから、復旧工事も遅れて現在に至っているのでしょう。
カーナビに頼るパターンが多くなっているのですが、ナビの指示のままに進んで、土砂崩れで通り抜けできません、みたいに遭いどうにもならなくなるような可能性もきちんと理解しておくべきでしょうね。ドライバーとしては。同乗した娘も不安に思ったことでしょうが、これもまた思い出の一つでしょうか。。
さて、本業の方ですが、にんにくの次の植え付けの準備がすでに始まっています。土壌改良の意味で何も植えずに去年の秋から水を張って、今年の春には代かきもしてしっかり湛水したにんにく予定地です。7月10日に水を落水し、その後7月後半の好天続きでよく乾いてくれて、1回目の耕起をしています。水を落としてから10日後に耕耘できていますので、本当に天候には助けられました。
湛水中にも一度米ぬかを散布しましたが、落水してからもまた精米所から収集できたので、全面に散布して、トラクターですき込んでいるところです。植え付けまでに米ぬかもの発酵も進んでくれるでしょう。乳酸菌の補給は大事ですね。
お盆りんどうの出荷が終わったら、豚糞やカキガラ石灰を投入してしっかり耕運し、畝立てしてマルチを張って床作りをします。彼岸のりんどう需要期出荷が9月の10日頃からスタートしますので、休眠の浅いホワイト六片についてはそれまでに、9月になったら植え付けを始めてみようかと思っています。土の中で休眠が解けてすぐに発芽できるという環境を作る、ということですね。小屋内に貯蔵していれば、休眠が解けたとしても発芽は進みませんから、遅れるよりは早めに進めて、その後にりんどう秋彼岸出荷や稲刈りをやりましょうという計画です。いつもりんどう出荷を優先し、にんにく植えは後手に回ってしまうので。
休眠の深い八木や八幡平はお彼岸の後の植え付けで十分です。早いとかえって土の中で腐敗してしまう心配もありますから。
さて、岩手でもここへ来て本格的な猛暑が来ております。先週三陸へ泳ぎに行った時は、十分に気温が上がるであろう週間予報を念頭に入れて出かけたつもりでしたが、やはり寒かったそうです。三陸沿岸部はもともと夏は気温が低めですし、この日も最高気温が26〜27度という感じでした。
今度は三陸より温度の高い秋田へもう一度行こうかと計画しています。お盆出荷が終わってからですが、秋田もそれまでは暑さが続いていて欲しいです。予報では来週辺りから気温が低めになるのではと懸念されています。盛岡などの内陸部では昨日35度に達したようですが(ここ沢内では今季最高の31度)、関東や関西の傾向とは完全に違った世界ですので、すぐに寒くなってしまうのですね。少なくともお盆が終わりすぐ2学期が始まってしまう、その時まではいわゆる猛暑を引きずっていて欲しいと願うのですが、こう言えば炎天下で復旧作業を続けられる豪雨被災地の方には申し訳がありません。日本列島の南北の気象格差が顕著な昨今です。ここ沢内では本当にいまの気温は稲にとっても貴重ですし、毎日スクールバスでプールに通う小学生にとっても貴重な日々なのです。部活で野球をする長男にはしんどいことでもありますが。。。
今日から8月ですが、昨日よりは涼しい感じで正午現在で28度になっています。
今日もりんどう圃場に水を入れ、圃場を冷やしつつ、開花を促進させようと努力しているところです。
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7月に入り、雨が続いたり高温の晴れが続いたり、総じて多湿な日が岩手でも続いています。ここ沢内では30度超えは滅多になく気温28度でもかなりの暑さに感じてしまいますのに、西日本での被災地では、35度の環境で土ぼこりが舞う足場が悪い中の重いスコップ作業、ただただお身体のご無事を祈るばかりです。
広島市内からキリンビール工場を越えマツダの工場がある府中町を経て、水分峡(みくまりきょう)へ遠征し「石ころび池」で大鯉釣りに挑んだり、瀬野川方面で毛針を使ったハヤ・ヤマベ釣りで面白いように釣れたり、呉方面へと国道31号を走って音戸の瀬戸から倉橋島へ渡って海浜での投げ釣りを楽しんだりした、懐かしい中学生の頃の記憶の地がニュース映像で流されています。広島市内を拠点に西側では宮島方面へ、北部では水内川(湯来町)へヤマメ釣りと、結構広範囲に遊んだものでした。当然自転車での釣り行脚ですが、ここ岩手で車で走る感覚と比較すれば、広島の時の方が実際狭い範囲での活動だったのでしょう。
こんな状態の時に何もできないでいるのも切ないことでありますが、農家として日々目の前で要求される作業に汗し、手に余る規模のこの田畑をできうる限り万全に管理し、最善の収穫へ向けてたゆまぬ努力を続けることだろうと思います。
お米の在庫もだいぶ減ってまいりまして、例年のそういう状況から今年はコメの作付けを若干ですが増やしました。5反歩弱の小規模でありますが、一般農家と違い、育苗や田植えよりも植えた後の除草管理の方が労力的に大変になります。
初期はチェーン除草です。去年は滑車を使い軽トラやトラクターで農道をバックで引っ張るなどしてみましたが、紐は切れるし、速度加減もよくわかりません。今年は本来の姿の田の中を漕いで引く方式に戻しました。この作業を2度行いました。
10年くらいも前に作ったチェーン除草器具です。3cm間隔に30cmのチェーンを垂木に付け、塩ビのフロート(両端にはしっかりキャップ)に結びつけたものです。長さは2m。チェーンを垂木に止めるのは電気コードを柱に止めていくコの字状の釘です(ホチキスの針を大きくしたようなものです)。通常のペンチではチェーンを切断できず、容易に切断できる切断専用のペンチを中古で買い使いました。
10年前に田を引いた時は苦痛にも思いましたが、あれから田の中を多少は歩き慣れたためか、今年はそれほど重労働には感じませんでした。りんどうの芽かきや草取りのしゃがんだ作業の後にこのチェーン引きを組み合わせて、作業姿勢の分散化を図ったという形です。
そして通常はこの後にエンジン除草機で2回くらい除草するのですが、2階から担ぎ下ろしてエンジンまではかかりはしたものの、その動力が先端の回転部に伝わらず、故障。。古いものではあったし、修理代を惜しんで躊躇しながら、時間は過ぎていきます。。
そして、今年は本格的に「除草下駄」を使用することに。
太い針金のついた下駄で田の中を歩くことで、草を泥の中に押し込んでいくという理屈です。田の全ての部分を歩くので結構大変でしたが、他になすすべもなく、いままで真面目に使ったことがなかったので、今年こそはと賭けてみたのでした。
左が下駄除草歩行後です。効果はてきめんです。ある程度雑草が伸びて大きくなってからの方が埋め込みが良いようで、中干し直前の最終の除草工程となります。田の土が固くなってしまうと埋め込めないので、中干し前です。今年は少し遅れてしまいましたが、田の泥と雑草の草丈から勘案し、7月5〜10日が当地ではベストの時期のようです。そのまま、水を落として中干しに入りました(7/13〜14)。
作業時間は1反歩で2時間というところ。この「除草下駄」は岩手県金ケ崎町の農家の方が製造販売していらっしゃいます。通販で7千円くらいで入手したと思います。
田の最終除草と併行して、にんにく掘りです。
全て掘り上げました。西日本の豪雨後に着手となりましたが、その後梅雨前線が北上して、ちょうどホワイト六片を掘り上げた後に雨が続き、一気にというわけにはいきませんでした。
以前にもお伝えしておりますが、昨年夏のにんにく掘り後に土壌浄化のために水張りを行って、今年の春には代かきも行って湛水するという処置を行ったために、小麦の作付けができず、今年は小麦はありません。去年まで小麦を植えていたあまり状態の良くない畑ですが、そこに昨年秋ににんにくを植え付けいたしました。石が多く耕盤も浅い畑でして、まとまった面的に成長ができないままに小さい状態のまま収穫期を迎えた株も多く、ただ9月半ばという早い時期に植え付けができたことから、良好に育ったものももちろん多くて、まずは胸をなで下ろしています。小さいものは結局用途もなく調整作業の手間ばかりかかってしまうため、畑に残し、良いものだけを持ち帰ったという感じです。
上に触れた代かきした水張り圃場も現在は落水し、この3日の高温の気候で順調に干せ始めています。ここをしっかりと乾かして深く耕し、次の作付けを期待感と緊張感を持って臨んでいきたいと思っています。次回には植え付けする種も厳選して小さいものは植えず、植えたものは全てS品以上のサイズになることを目指します。
また、収穫期に雨が多いという梅雨の気象を変えることはできず、タイミングを逸して収穫が遅れ、抜いても茎が切れて地下に裂球となったにんにくが残るという事象も結構ありました。思うに、植える時に深く植え過ぎているのではないかと自問しています。秋にたまたま浅めの植え方になっていて収穫ですっと抜けたものを見てみますと、別に小さくはありません。10cmの深さの穴、あるいは覆土5cmというのはちょっともうやめて、気持ちやや浅めにしてみたいと思います(思った以上に深く穴を開けてしまうこともありますし)。
沢内では雪が早く積もるために土の表面が凍ることはあまりなく、麦踏みなども不要です。にんにくについても同じことが言えるのではないでしょうか。去年など11月19日から根雪になりました。自家用で11月初めに植えた玉ねぎなど、全滅です。いたずらにテキスト文献のセオリーに従うのではなく、早く、浅く植えることでいかに早く芽を出させ、秋のうちの生育を確保させるか、に焦点を当てる農法がここでは現実的でしょう。
気象にしても、こちらは豪雨的な振り方は少なくて(皆無ではありませんが)、寒気が入った時のようなチリチリと霧雨が降るような低温多湿型の気候です。こういう気候は今後もこちらでは変わらないように思うし、ここは35度にはなりません。われわれから見て南日本(いわゆる西日本と東日本)との格差はより先鋭化すると思います。
数年前の広島市北部の集中豪雨の時にも思ったことですが、もともと広島は雨が少ない温暖な気候と言われていました。そのためにため池も多かったと思いますし、山を削り谷間筋を切り拓いて住宅が立ち並ぶ様をごくごく当たり前のように見ていました。岩手や長野のような深い山というわけではありませんが山は山ですし、崩れます。いま被害なくこうした谷筋に住まわれてる方も、将来的に不安をすごく感じておられるのではと危惧いたします。
もちろん、どんな場所でも水害には遭ってしまいますし、2年前には岩手県岩泉町で大変な豪雨災害がありました。あの時は8月でしたが、当初ここ西和賀方面は台風10号の予報進路のど真ん中に位置していました。子どもたちも早く下校して来ました。それが南に逸れて、いったん太平洋に抜け出た後に、逆に西へ進路を変えて岩泉町に向かったと記憶しています。岩泉では激流が特養施設を直撃し、道の駅も壊滅しました。あの豪雨が来ていれば、ここも同じ状況になっていたでしょう。
そもそも農産物の被害というのは、ニュースにもならないようなちょっとした気象のカラクリでも起きてしまいます。2週間前の大雨と風で、既にりんどうのある品種は大きく曲がってしまいました。こういう曲がりやすい品種は次には定植を避けたいものですが、こうした失敗を身を以て重ねながら、学び、最善を目指してやっていくしかありませんね。
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